273.I(LL) wILL
ある程度早めに来たはずが、やはりごった返していた中央広場に辟易するミサキたちだった。
「これじゃあ会見が見られないですねー……」
「人が! 多い! みんな! 背高い!」
「ちょっとミサキ、間近でぴょんぴょんしないで。ちっちゃくて見づらいのはわかったから」
中央広場は学校の体育館の倍程度の広さがあるが、今日に限ってはそのサイズも意味を成していない。
中心のスペースだけ透明な進入禁止バリアで区切られており、エアポケットと化している。おそらくあそこに運営の人間が現れるのだろう。
ミサキ・フラン・ラブリカの三人がいるのは広場の外周部分。
ポジションとしては最悪だが、広場に収まれただけでも幸いだったかもしれない。
そこそこ止まりの興味を持つプレイヤーは別の場所か、もしくは現実世界から視聴している。
「翡翠さんたちはどうしてるんですか?」
「もうすぐ来るって。でも広場じゃなくて喫茶店から見るらしいよ」
「あー、まあこの人じゃあ仕方ないよね」
翡翠だけでなくミサキの知り合いはみんなこの世界で会見を見るつもりらしい。
ミサキの交友範囲に限らずアクティブのプレイヤーは大抵同じ考えのようだ。
それだけ注目度の高いイベントなのだろう。周囲の様子を見る限り、すでに録画を始めている者も大勢いる。
エルダもどこかで見ているのだろうか、と思いを馳せているとジャケットの袖を軽く引っ張られた。
「ね、さすがに視界が悪すぎるから場所変えない?」
「せっかく直接見られそうなのに? というかもう始まりそうだし、今からどこか行くのは微妙だと思うけど」
「いいから。よいしょ」
フランがおもむろに両手をぱんと合わせると何もないところから箒が現れる。
以前使っていたものとはまた違う、メカニカルな箒だ。頭から尻尾まで金属なので箒かどうか自信が持てないが、少なくともシルエットだけならそのものだった。だが穂の部分はジェットエンジンのようになっており、掃除には使えそうもない。
「《エーテライド・タウズ》。新しく作った空飛ぶ箒よ。ほらラブリカ乗って、屋根の上まで行きましょう」
「えっわたしは」
「ミサキは自力で上がれるでしょ」
えー……と不満げな視線を送るもののフランは素知らぬ顔でラブリカを乗せ、一気にどこかのギルドハウスの上まで飛び上がる。
眺めていてもしかたないのでミサキもその辺の壁やひさしを伝って駆け上がった。
ホームタウンにおいて屋根の上に登るのに必要なのは、【ウォールクライム】などを始めとした俗にパルクール系と呼ばれている移動系各種スキルが前提。そこに充分な素早さに加えて装備重量の低さまで求められ、地味にハードルが高い。
見渡してみると他にも同じ考えで屋根に上ったであろうプレイヤーがちらほらいるが、やはり数は少なかった。
フランのような自力で自由飛行が可能な規格外の存在はさておき、そこまでの機動力を求める者は少数派らしい。
「あっ、始まるみたいですよ!」
ラブリカの上げた声に反応して指さす先を追うと、広場中心の進入禁止区域が青い光を放っていた。
その光が徐々に規模を上げてピークに達すると、そこから少しずつ小さくなっていき、いつの間にかそこには複数の人影が現れていた。
「……哀神さん……クルエドロップ……あとはええと、アドマイヤさん……かな」
思わずごくりと生唾を飲み込む動作をする。
知っている顔が大半に加え、知らない顔がわずかといった感じだ。
元パステーション社の社員はあれで全部なのか、もしくはその一部だろうか。
横一列に並んだ状態から、リアルとほぼ変わらない容姿の哀神が一歩前に出て両腕を広げる。
「いつも『アストラル・アリーナ』をご利用いただいているプレイヤーの皆様、お集まりいただきありがとうございます。プロデューサーの哀神です」
良く通るテノールが響く。
肉声にしては(ゲーム内で肉声と言うのもおかしな話だが)声量が大きいので演説用のエフェクトをかけているのだろう。
知り合いがこういった場で大人数に対して話しているところを見ると少し妙な気分になる。
「数か月前の『マリス・パレード』に引き続き、このような事態を招いてしまい申し訳ございません」
哀神が代表して一礼する。
そこから上げた顔はいつもの能面で、しかしミサキはそこになぜか不気味さのようなものを感じた。
何ひとつ変化した要素がないのに、空気が一変したような。
哀神はひとつ息をつくと、信じられないようなことを――いや、信じたくないような事実を口にする。
「――――以前の事件も今回の事態も、全て我々が起こしたことです」
「……は」
言葉が出ず、代わりにわずかな吐息だけが漏れた。
口を薄く開いたままそこで止まる。現実ならば呼吸すら止まっていたのではないかというほど衝撃を受けながら、ミサキは同時に『やっぱりか』とも思っていた。
広場に集まるプレイヤーたちの喧騒もまたぴたりと収まり、そこからじわじわと打ち寄せる波のようにざわめきが膨れ上がっていく。
哀神はそんな状況に一切動じることなく続ける。
「このゲーム――『アストラル・アリーナ』自体が我々の”目的”のために作られたと言っても過言ではありません。目的のためには大勢の人間の感情データが必要だった……しかし我らの神はそれでは不足と考えたようです」
使っている言語は理解できるのに、何を言っているのか理解できない。
いや、むしろ頭が理解を拒んでいる。
目的。
感情データ。
神。
哀神が手を挙げると空中にモニターが表示され、そこには無数のアルファベットが並んでいる。
詳しくないミサキにその内容を理解することはできなかったが、おそらくソースコードか何かだと分かった。
根拠はない。しかしそれがスクロールを始める前に一番上に表示されていた文字列に”MALICE”と表示されていたことを考えると、あれはマリスの構造を記したものだとミサキは推測した。
「なにを……言ってるの」
「これまで性急にデータを集めるため様々な情報でマリスをばら撒いてきました。しかしやはり遅い。足りない。だから……これから始めるのは、最後の手段です」
いよいよ怒号が響く。
ふざけるなとか、意味が分からねえとか、口汚く罵っている者がバリアを叩いているのが見られるが、進入禁止区域にはどうやっても入れない。
そんな彼らはまだいいが、他の者は状況が飲み込めず呆然としていた。
ミサキもその一員だった。
そんな混沌の中、誰かの悲鳴じみた声が上がる。
「ちょ……ちょっと待って! ログアウトできなくなってるわよ!?」
集団が騒然とする。
その言葉を確かめるために広場で次々にメニューサークルが開き、そしてそのすべてが事実を裏付ける。
「わ、私もログアウトできません……!」
「そんな……」
隣のラブリカも確認したようで、動揺しながらも見せてくれる。メニューサークルの中から、ログアウトの項目だけがきれいさっぱり消えている。
最悪の事態が起きてしまった。
黒幕が運営そのものなら、こういった横紙破りな真似もできる。……もちろん後先を考えなければ、だが。
つまり、それだけ彼らがなりふり構っていないということを意味していた。
ログアウトを封じる。
つまりそれには『この世界から逃がさない』という意図が含まれているに他ならない。
「お気づきになられたようですね。その通り、皆様のアカウントからログアウト機能をオミットさせていただきました」
先ほどの喧騒から一転、場を静寂が支配する。
その根本にあるのは――恐怖。
これまで当たり前だったものが奪われた。その意味を理解したプレイヤーたちは自分たちが置かれている状況がいかに絶望的なものか知る。
現実世界の空っぽの肉体から切り離された精神はこの世界であまりにも無防備だ。
何しろ現実には存在しない圧倒的な悪意の象徴がいるのだから。
そしてそのプログラムは、今目の前で会見を行っている哀神たちが生み出したものなのだ。
「さて、現在この世界にログインしておられる13051人のユーザー様方には――これからとあるイベントに参加していただきます」
それは何でもないようなイベントの告知であり。
しかし同時に死刑宣告のような絶対性を纏っていた。




