272.回遊魚のクロノスタシス
ついにメンテナンスが明けた。
その数日前、運営から出されたのは、
『これまでの騒動やこれからの施策について直接お話いたします』
『ぜひ××日の21時にホームタウンへお越しください』
要約するとこのような声明文だった。
とうとう動き出した、と感じた。
きっとこの日に何かが起こるという確信にも似た予感を神谷は抱き――そして。
あっという間にその日はやってきた。
久々に電脳の世界へ降り立った途端、音の洪水に飲み込まれた。
「うわ、人めっちゃ多い……! これみんな運営の話聞きに来たのかな」
明らかに人口密度が高い。
ともすれば初めてログインした時――ベータテストや正式サービス開始時よりもなお賑わっている。
ここにいるプレイヤーたちはこのゲームの動向に関心が高い人々、言ってしまえば野次馬根性の旺盛な人たちだ。
それはまあ気になるよね、と納得する。
あれだけの事件があって、平和になったと思ったら再発。
それについて直接運営から話が聞けるというだけでも興味を引かれるものも多いだろう。
この時代ニュースサイトやまとめブログ、それにSNSだって情報の速効性は重要視されている。
いち早くかぶりつきで知りたいと考えるのは当然だ。
運営からの発表……通称”会見”はホームタウン『アニミ・ラティオ』の中央広場で行われる。
もちろんそこまで広い場所ではなく大した人数は入れないので各所にホログラムモニターを表示しどこからでも会見の様子を見られるようにしているらしい。
小柄なミサキは人の海から逃れ石造りの建物の壁を駆け上がると目的地の方向を見据える。
それは中央広場ではなく、ホームタウン東区A-22……フランのアトリエだ。
「会見までは……うん、まだ時間がある」
熾烈なログイン戦争を繰り広げていたら時間がかかってしまったが、まだ余裕はある。
何は無くともまずはフランに会いに行かなければ。
ミサキは力強く屋根を蹴ると建物から建物へと飛び移っていく。
「い、いた! 良かった~……」
勢いよくアトリエのドアを押し開いたミサキは膝に手をつく。
目当てのフランはいつもと変わらずロッキングチェアに身を預けていた。
ミサキは勢いよく近寄ると思い切り抱きしめる。
なつかしい花のような香りがした。
「あら、遅かったわね」
「遅かったわねじゃないよもう。すっごく心配したんだからね」
電脳生命体『Tierra』である彼女はメンテナンス中でも関係なくこの世界に居られる。
逆に言えばここ以外に居場所がないとも言えるのだが、今はさておくとして。
ミサキがいない間に何かあればどうにもならなかったし、最悪以前のように消滅していた可能性もあった。
ひと際強く抱きしめて感触を確かめると、ミサキは相棒を解放した。
「ふふ、ありがとう。大丈夫よ、たまに地震があったくらいでなんとも無かったから」
「地震?」
ミサキは思わず首を傾げる。
巨大モンスターが歩くときなどは疑似的に地面が揺れているような感覚を味わうことはできるものの、それを除けばこの世界に地震など無かったはずだが……。
「ええ。地中から突き上げるみたいな、大地そのものが振動してるみたいな妙な感じだったわ」
「なんだろ……メンテってそんな感じになるのかな」
一口にメンテナンスと言ってもその内容は一般プレイヤーには知る由もない。
アバターが干渉したり埋まったりするのを防ぐため地形の修正はもっとも頻繁に行われているアップデートだが、それに関係しているのだろうか。
現時点では何もわからない。
「暇だったからいろいろと準備してたわ。前みたいにアイテムが無くて苦戦するみたいなことにはならないはずよ」
「おー。いいね」
「それに……リベンジもしなきゃいけないしね」
「リベンジって言うと」
「あの錬金術師。ピオネよ」
ピオネ。
フランを苛烈にして規格外の攻撃で追い詰め、助けに来たユスティアをその手にかけた少女。
彼女の中には今回の事件に大きく関わっている”何者か”が同化しており、フランの話によるとこの世界のモノなら自由自在に扱える――まさに神のごとき力を持つと言う。
いわく、真の黒幕。
しかしその物言いは享楽的に過ぎていてどこまで鵜呑みにしていいものかわからない。
ただでさえ『マリス・パレード』では白瀬を黒幕として扱ったのだ。
疑いは持っておいた方がいいだろう。
「…………なんていうかさ。やりきれないよね」
「ん?」
「わたしたちの知らないところで知らない人たちが悪だくみしてて、そのせいで誰かが踏みにじられてる。そりゃ気づけっていう方が難しいけど……でも、なにか出来たんじゃないかって思うよ」
マリスによって意識不明になった人たちや、精神を乗っ取られているピオネもそう。
何かが起きてからでは遅い。
そして起きてしまった事実は変えられない。
だが、フランは今さら何を言ってるんだと言わんばかりにため息をつく。
「あのねえ、そういうのは傲慢って言うのよ」
「う……はっきり言うね」
「あたしもあなたもできることしかできないの。あたしは錬金術に限界はないとか自信ありげに言ってるけど、それは『錬金術で出来る範囲』に過ぎない。例えば無から何かを生み出すとか……死んだ人を蘇らせるとかはどうやっても無理」
「…………そうだね。でも思っちゃうよ、時間が巻き戻ったりしてくれたらなって。やり直せたらなーってさ」
「時間。……時間? 時間!」
何かに気づいたフランが勢いよくミサキの手を取る。
そのきらきらした瞳に射抜かれて思わずしどろもどろになってしまう。
「いいこと思いついたわ! ありがとミサキ!」
「う、うん? それなら良かったけ――――」
その時。
タイミングが良かったのか悪かったのか、アトリエの扉が勢いよく開く。
「お邪魔しま……あーーーーーっ! なんか仲よさそうにしてる!」
入ってきたのはラブリカだった。
接近している二人の姿を確認すると眉と目尻をきりりと吊り上げ、ピンクのツインテールを揺らしながらずかずか近づいてくる。
「離れてくださいよフランさん! というか先輩も! 告白されたんだからちょっとは配慮とかしてほしいんですけど!」
「えっ、告白ってなになに、ちょっと聞かせなさいよ」
にわかに騒がしくなるアトリエの中、確実に時間は過ぎ――そして。
ついにその時が来た。




