265.Crybaby
ユスティア。
以前フランのアトリエを巡って敵対したギルド『ユグドラシル』のリーダー。
四角四面なところがある人物で、自警ギルドの頭を張っていた彼女はマリスの力を使うフランたちを悪だと断じ、アトリエを潰そうと働きかけてきた。
最終的には対抗戦で勝利し、ユスティアがマリスの影響を受けていたことが判明したことで丸く収まったと言う経緯がある。
しかし和解はしたもののそれから大した交流は無く、関わることもほぼなかった。
だからこそフランは驚いた。
まさかユスティアが自分を守ろうとするなんて、と。
「どうしてここに……」
「悪あるところ私ありです。……というのは冗談ですが」
珍しくそんなことを口にするユスティアは噴水の向こうで薄く笑うピオネを見据える。
言葉に反してその目には複雑な感情が溢れてしまいそうに揺れていた。
「ここ最近、ゲーム内でピオネに連絡が取れなくなりまして。そのことをリアルで会って話しても不自然なほど知らないの一点張りをされたのでこの世界で探っていたんですが……まさかこんなことになっているとは思いませんでした」
鋭い視線を外さないユスティアに対し、ピオネはまるで脅威に感じていないと言った様子で朗らかに両腕を広げる。
「やあユシー。どうしたの? 怖いなあそんなに睨み付けて。ボクたち幼馴染――――」
「あなたは誰ですか」
「誰って……もちろんピオネだよ。君の大事な副団長のね」
あくまでも笑みを崩さない。
ユスティアはわずかに目を眇めると、首を横に振る。
「話し方も仕草も声色も、確かにピオネそのものです。ですが断言できます。あなたはピオネではない」
「……おっかしいなあ。これ本人の真似してるとかじゃなくて、人格を完全に乗っ取ってるんだよ? なのに見抜けちゃうんだ。すごいなあ人間って」
その表情ががらりと変わる。
人好きのする笑顔から、嘲るような邪悪な笑みへと。
称賛する言葉を吐きながら、遥か高みから見下していることがありありと感じられる。
「……アレは私が相手します。あなたは早く逃げてください」
「だ……ダメよ! なに言ってるの、あいつは……!」
おそらくあれはマリスに属する何かだ。……いや、もしかしたら”そのもの”かもしれない。
伝わってくる不気味な気配は常軌を逸している。通常のマリスに比べれば、まさに原液。
もし殺されれば。いや、傷つけられただけでもどうなるか。
そうでなくても規格外の強さを誇るのだ。フランの攻撃が一切通じなかった。
「わかっています。だからこそです」
ユスティアは背後でへたり込むフランに向かって振り返る。
「詳しい事情はわかりません。ですが、きっとあなたはここで倒れてはいけない」
「…………っ」
「今は逃げて。そしてあなたの相棒さんと合流して、何とか切り抜けてください」
「……っ、そうだミサキは……!」
街に到着し、二手に分かれてから音沙汰がない。
もしかしたら自分のように敵に襲われているのかもしれない。
「おそらくあなたの想像通りです。ですがご安心を……私の仲間をすでに向かわせています」
そこまで告げた瞬間、腕に炎を纏わせたピオネが噴水を飛び越え飛びかかってきた。
燃える右腕を、ユスティアは何とか細剣で受け止める。
「ユスティア!」
「早く行って! 後のことは後で考えればいいんです!」
「――――わかった、ありがとう!」
悔しいが今は任せるのが最善だ。
痛む身体を引きずるように、それでもフランは踵を返して走り出す。
そして遠ざかる背後ではピオネが炎の腕で剣ごと押し込もうと力を込めている。
「あはは、待つのってつまんないね。それにしても君も無謀だなあ。ボクに勝てるとでも思ってるの?」
「……さあ。でもひとつだけはっきりしていることがあります」
フランを逃がす。
その目的は嘘ではない。
しかし、それはあくまでも建前に過ぎなかった。
ユスティアの抱える本心は、そう――――
「ピオネは私が倒さなければと思ったんです。友達として、幼馴染として」
パキン、とスキル発動音を立てて青白く輝いた剣を振るいピオネを弾き飛ばす。
ユスティアは流れるような動作で構え、その切っ先を大切な幼馴染に向ける。
その敵意を目の当たりにしたピオネは――ピオネの中に巣食う何かはこれ以上なく失望したような表情で、
「……君って本当に面白くないね。だったらピオネで殺してあげるから、どうかたくさん絶望してね」
静かな呟きと共に、ピオネの背中から紅蓮の炎が巨大な翼のごとく広がった。
横たわったミサキの薄く開いた瞼に、流れ落ちる雨雫が滑り込む。
しかし少女の身体はぴくりとも動かない。
虚ろな目でどこを見ているとも知れず、雨に打たれるままになっている。
まるで死体のような有様だった。
「おい、なに黙ってんだよ。立て」
見下ろすエルダの声にも一切の反応を示さない。
ぶち、という音が聞こえた。噛みしめたエルダの唇からだった。
苛立ちをぶつけるように蹴り飛ばすと、ミサキのアバターは無抵抗に転がり瓦礫の山にぶつかって止まる。
それでも反応がない。指先ひとつ動かない。
絶望的なダメージに加え精神に大きなショックを受けたことで、今のミサキは立ち上がる力を失っている。
それでも未だ消滅に至っていないのはマリシャスコートのおかげか、それとも――――
「……こっち見ろよ。起き上がって来いよ。ピンチだろうが。こういう状況こそお前は憎たらしく逆転してくるんだろ。なあ……なあって!」
抑えきれない怒りをぶつけるように、エルダは何度も何度も少女を踏みつける。
足を振り下ろすたびにアバターが揺れる。あちこち削れた身体がさらに抉れ、目も当てられない様相に成り下がっていく。
それでも動かないミサキに、エルダはとうとう表情を消す。
右手のカトラスを逆手に持ち直し、その切っ先を無防備な胸元へ振り下ろした。
「…………あ?」
だが、その刃は突如として現れた氷の盾に阻まれる。
これはミサキの仕業ではない。間違いなく第三者の介入だ。
エルダは素早く辺りを見回すと、同時に鈴の鳴るような声が鋭く響く。
「【軍屍・渇亡】!」
三叉路へとどこからか流れ込んできた黒い霧から次々にゾンビが出現し、ゆっくりと向かってくる。
エルダは左腕から砲弾を放ちそれらを打ち倒しながら声を張り上げた。
「誰だ!」
返答は無い。
しかしゾンビは際限なく出現し、示し合わせたように地面から次々に氷柱が飛び出しエルダの視界を奪う。
あからさまな妨害。ミサキの仲間か、と判断したエルダはその思惑を崩すべくとどめを刺そうと倒れる少女に目を向けるも、いつの間にかミサキは氷の棺のようなものに閉じ込められている。
「な――――」
「貰っていくぞ」
その声は上から降ってきた。
素早くエルダとミサキの間に落下した何者かは剣で周囲の氷柱を砕き割り濃密な白霧を発生させる。
ゾンビの大群。氷柱。そして霧――エルダの視界は完全に塞がれる。
「てめえら……うっぜえ!」
苛立つエルダは砲口から乱雑に【パイレーツ・カノン】を連射し周囲の全てを打ち払う。
しかしその跡には何も残されてはいなかった。
自ら砕いた瓦礫。
雨に濡れる石畳。
砕かれた氷の残骸に、溶けていくゾンビのなれの果て。
静寂が満ちる三叉路に、エルダの喉奥からくぐもったような笑い声が響く。
「……まあいい……アタシは勝った! あいつに勝ったんだ! 完膚なきまでに、議論の余地が無いほどに!」
雨の音すらかき消すほどの哄笑が響く。
エルダはただ笑い続ける。ひたすらにひたすらに笑い続けて――それでも。
何もかもを捨ててまで勝ちたかったはずなのに、胸の奥底に巣食う渇きは消えてくれない。
そのことにエルダ自身気づかないまま頬に雨粒が落ちて、流れて消えた。




