263.錬金術士VSアンノウン
地を這う黒い粘液を追った先。
ホームタウン中央の噴水広場にその人物はいた。
「やあ、君か。奇遇だね」
フランは思わず足を止める。
黒い粘液は声の主に這い寄ると、足元から吸収された。
セミロングの銀髪にゴツいゴーグル。オーバーオールに身を包んだその少女の名はピオネ。
自警ギルド『ユグドラシル』の副団長で、『錬金術師』というフランによく似たクラスだ。
ピオネは前に見た時と変わらない笑顔を浮かべて噴水のそばに立っている。
だが、この状況で”いつもどおり”だというのが違和感を喚起する。
「あなた、なぜここにいるの」
「答えは出た?」
ピオネはフランの言葉をを完全に無視して呟いた。
その問いは、以前アトリエで二人が話した時のもの。
『君はどうして今現在自分がここに存在しているかを考えたことはある?』
『自分と言う存在に違和感を覚えたことは?』
『この世界に違和感を覚えたことは?』
『君はいったいどこで生まれた? どうやって、誰から生まれた?』
自分はいったい何者なのか。
その時はわからなかった。……いや、考えるのを避けていた。
しかし一度消えて復活したことで、考えざるを得なくなってしまった。
ミサキたちがそのあたりの詳細については濁しているので実情はわからない。
だが。
「そんなことはどうでもいいのよ。あたしは今ここに存在してる。錬金術士フランとして、ここにこうして立ってる。それだけで充分なの」
「ふうん、そうかい。大して期待はしてなかったけど――意外につまらない奴だったんだね、君って」
「あなたにどう思われようが知ったことじゃないわ。それより……この状況がどういうことなのか教えなさい」
「どうしてボクに聞くのさ。ボクは偶然ここにいただけで、」
その言葉を遮るようにフランが剣を抜く。
臨戦態勢に入った錬金術士を前に、ピオネはわずかに眉を動かすだけで済ませた。
「この状況でしらばっくれようなんて本気で考えてるはずないわよね」
「おっけーおっけー、わかった。降参だよ。そう、ボクが真の黒幕ってやつ……と言っても本体じゃないんだけどね」
ピオネは笑っている。
しかし、それは何か――忌避感を覚える類のものだった。
少なくとも以前見たものとは決定的に何かが違っている。
ピオネ自身が笑っているのではなく、その中に潜む何かが……極めて邪悪で、唾棄すべきものが顔の筋肉を操作しているかのような。
不気味の谷の境をわずかに越してしまっている――そんな違和感。
「『こいつ』は、まあ仮宿さ。普段は本人の意志で活動させてるけどいつでも自由に乗っ取れる。この子……ピオネは全く知らないけどね、出来る限り違和感を覚えないよう精神をいじってるし。でもなんていうかな……はっきり人格が違うってわけじゃなくて混ざり合ってる……というか同化してる。だから口調とかが本人のものに引っ張られてたりするんだ」
思わず息を呑む。
何を言っているのか理解はできる。しかし頭がそれを拒んでいた。
「…………人の身体と心を勝手に使って、心は痛まないの」
「はあ? 心が痛む? なにそれ。心に痛覚なんてないでしょ。というか人間なんて資源だよ資源。目的のためには使えるだけ使い捨てたほうが得に決まってる」
「……そう。だったら加減はいらないわね」
その言葉と共に長剣で空間を横薙ぎにすると、無数に生成された針状の流銀が次々に射出されピオネを襲う。
絨毯爆撃のごとき乱射によって激しく舞う砂煙を前にフランは朗々と宣戦布告する。
「あなたが誰かは知らないけど――力ずくでもその身体から引っぺがしてやるわ」
フランはピオネのことをよく知っているとは決して言えない。
アトリエに訪れた彼女と錬金術の話で盛り上がって、そしてアトリエの存続をかけて戦うことになった。
対峙した彼女は、親友の――ユスティアのために必死で戦っていた。
あれは間違いなく真実の行いだ。今対峙している『アレ』とピオネは決定的に別物だ。
聞かずともわかる。あの時のピオネは確かにピオネだった。
親友の正義が間違っていると分かっていても、それでも懸命に寄り添おうとしていた。
それをこの何者かは踏みにじろうとしている。いや、今までもずっとそうしてきて――これからもピオネの尊厳を凌辱しようとしていることだけはわかる。
このままにしてはいけないと強く感じた。
これ以上の好き勝手は絶対に許されない。ここで確実に仕留めなければならない。
そんな決意を胸に一歩踏み出した、その時。
空気砲じみた破裂音とともに、胸元に強く殴打されたような感触を味わった。
「か、は……」
開かれた口からか細い吐息が漏れる。
そのままおそるおそる視線を下げていくと――フランの胸には風穴が空いていた。
「【風式・サンジェルマン】……だっけ。しょぼい技だけどボクにかかればこんなものだよ」
冷めた物言いはフランの耳に届くことなく、膝から崩れ落ちる。
その様を見てピオネは酷薄な笑みを浮かべる。
「あらら、一発で倒れちゃうか。思ったより弱いなあフラン。むしろピオネはどうやって負けたんだろ」
「なんなの……その、わざ……は……!」
【風式・サンジェルマン】は本来こんなスキルではない。
巨大な竜巻を複数生み出し、当たった敵を内部に閉じ込めダメージを与え続けると言った性能だ。
だが今しがたフランが食らったのは全く異なる性質だった。放たれた槍のような竜巻が視認が不可能な速度でフランの胸を貫いたのだ。
それだけではない。通常の攻撃が効かないマリシャスコートを纏った状態のフランに通じているという時点で充分すぎるほどに異常だ。ピオネの外見はマリスに感染しているそれではないというのに。
だが先ほどの黒い粘液。あれをこともなげに吸収していることからしてこの人物は明らかに異常だ。
「これくらいは簡単だよ。言っちゃうとボクってこの世界の神みたいなものだから。この世界のものならけっこう自由にいじれるんだよね――こんな感じで」
途端吹き荒れる猛烈な突風に吹っ飛ばされたフランはノーバウンドで民家の壁に激突する。
霞む視界の中、ピオネの右手が泥のようにシルエットを崩し、剣や銃、竜の手、イソギンチャクのような何本もの触手へと次々変化していくのが見えた。
自由に、というのはハッタリではないらしい。
このゲームと言う世界においてプログラムを任意に、しかも即座に書き換えられるというのは文字通り神のごとき力を意味する。本当に何でもできるなら、今この瞬間にフランを即死させることすら可能だ。
「だけど例外はある」
こつこつと大きなブーツで石畳を鳴らし、ピオネはゆっくりと近づき、倒れるフランの顔を覗き込む。
「君と、あのミサキって子だけはなぜかほとんど干渉できないんだよね。君に関してはわかるんだけどミサキだけはどうにもわからない。まあ、直接いじらなくても消す方法なんていくらでもあるんだけど――どうする?」
放課後どこに寄る? くらいの軽い調子で投げかけられた言葉に上げられたフランの目はまだ死んではいなかった。
「……どうするって何が」
「決まってるだろ。諦めろって――――」
「ありえない」
力強く断じたフランは棒のような足で立ち上がり、ぎらつく視線でピオネを捉える。
この世界の神だとか、彼女にとってはどうでもいいことだった。そんなことで意志は揺らがない。
「……錬金術の真髄は無限の可能性。だけどここで諦めたら、その瞬間ゼロになる」
相手が何者だろうがどんな力を持っていようが変わらない。
ここで倒す。何があっても、絶対に止めなければならない。
何よりミサキを消す意思があると分かった以上、ここで負けていい理由は完全に消失した。




