261.The Will to Power
その人物は暗闇でほくそ笑む。
計画は順調の一言だった。
想定内と想定外の両方を予想の範疇に巻き込んで、目的へとひた進む。
全てが思い通りだ。
懸念点としては目的の達成に必須な要素が揺らぎを起こしやすいというもの。
だが、それも修正が効く範囲だろう。
「お前もそう思うよな? ……聞こえねえか」
まるで無数に存在するSRPGのユニットを動かすような気軽さで、心ある人間を意のままに操る。
ひとりを動かせば連鎖的に他の駒も動く。
そんなドミノ倒しを楽しむようにして、無邪気に邪悪に計画を楽しんでいた。
悪い想像が現実になってしまった。
マリス……のようなゾンビ男を倒し、押っ取り刀でホームタウンに駆け付けた二人が見たのは暴れるマリスと逃げまどうプレイヤーの姿だった。
「――――――――」
ミサキが息を呑み、なにかを言おうとして、何も言えず口をつぐんだのをフランは見ていた。
その心中を察して眉を下げると、背中を軽く叩く。
「行きましょう。とにかく今は被害を抑えないと」
「…………ありがと。わたしは西区から南区を回るから、フランは北と東をお願いね」
「ええ。……あまり気に病まないようにね」
「うん」
視線を交わした二人は頷き合うと、素早くその場を発った。
人気の薄い路地を走り抜け、首のない狼のようなマリスを長剣で切り捨てながらフランは小さくため息をついた。
(気に病まないで、なんて……我ながら無理を言ったものよね)
『マリス・パレード』後、自分がいなくなっていた間の経緯はざっくりと聞いている。
あれからぱったりマリスは現れなくなっていた。脅威は去ったと思われていた……はずだったのに。
ミサキはマリスの被害に人一倍心を痛めていた。その心中は察するに余りある。
自分のせいで、なんて思ってなければいいが――まあ、思っているのだろうが。
黒幕を倒したのはミサキだ。しかしこうして再びマリスが出現した以上、その背後にさらなる悪意が潜んでいたことになる。
「それにしても数が多いわね……というかこいつらプレイヤーを襲ってない……?」
先ほどから見つけたマリスは目的もなくたむろするばかりでプレイヤーを攻撃していない。
いや、正確にはプレイヤーがいない場所ばかりにいる。
こちらが近づけば攻撃してくるものの、大して強くは無く簡単に倒せてしまう。
そして何より不気味なのが、倒したマリスは黒い粘液となって消えずに地面に残ったままだという点。
前は蒸発するように消えてしまっていたのだが、これはいったいどういうことなのだろうか――と思考を巡らせていると周囲で異変が起こった。
「……なにこれ」
気が付けばあちこちにおびただしい量撒き散らされていた黒い粘液が、意思を持っているかのように――いや、むしろ何かに引き寄せられるようにして地面を這いずって行く。
明らかに一点を目指している。もしかしたら罠かもしれない。
しかし、
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、よ!」
あくまでも前を見て、フランは路地を駆け抜けていく。
一方、ミサキは。
「……天気悪いな……」
赤く染まった空には分厚く黒い雲が集まってきている。
ときおり地響きのごとき雷鳴も聞こえ、今にも雨が降ってきそうだった。
フランと違い、ミサキのルートにはマリスがほとんどいなかった。
幸いと言っていいのかプレイヤーもほとんどログアウトした後のようで人っ子ひとり見当たらない。
わずかに安堵し息を吐く。しかしそれは言いようのない重さを含んでいた。
(……白瀬さん)
マリスの黒幕だった男。
そしてこの『アストラル・アリーナ』の最高責任者だった男。
ミサキはあの男を打ち倒し、そして『マリス・パレード』は終結を迎えたはずだった。
しかし、それは間違いだったのかもしれない。こうしてマリスが出現しているのがその証拠だ。
思えばあの戦いの中で、彼とはほとんど言葉を交わせなかった。
もしかして自分は取り返しのつかない間違いを犯してしまったのではないかと思うと、背筋が寒くなる。
身体から気力と言う気力が失われそうになってしまう。
だが。
「なおさら足は止められない」
そうだ。
間違いだったとしても、諦めることはできない。
一度起こした行動はなかったことにはできない。しかし、これからは違う。
未来を変える権利は誰だって持っているはずなのだから。
そうして走っていると、頬に冷たい感触がした。
「……降ってきた」
ぽつぽつと落ちてきた雨雫は、すぐに堰を切ったような大雨に転じた。
雨が石畳をうつ音が連続し、目と耳を塞ぎそうなほどに激しく降り注ぐ。
マリスは残り何体だろうか。
もう結構な数を倒したはずだ。だが――先ほどから感じるこの気配。
重く粘つく邪悪な空気が纏わりついて離れない。
この主がどこかにいる。
だが、気配が大きすぎて方向が定まらない。
フランはこれに勘付いているだろうか。もしすでに交戦しているなら、いち早く加勢しなければ。
だが今は請け負った範囲の捜索が先だ。
北区は見回り終えて、今は西区。
普段はガラの悪いプレイヤーが多く騒がしいこの区域も、今は静まり返り雨の音が響くのみ。
ミサキはあまり来ない場所だ。
どちらかというと年長向けの雰囲気は肌に合わなかった。変な絡まれ方をされても面倒だからと普段は避けて通っている。
しかし一度だけ。
このゲームを始めた当初、ただ一度だけ明確な目的を持ってここに来たことがある。
あれはシオと初めて会った時。初心者狩りされた彼女の話を聞き、ミサキは西区の酒場へ赴き、そこで――――
「……………………」
ミサキの足が止まる。
広い路地の向こう。
三叉路の交差点がちょっとした広場になっている場所。
そこに、知った顔を見た。
ミサキは目を見開いたまま固まっている。
もしかしたら、次に瞬きをしたら見間違いだったということにならないだろうか――そんなありもしない願望を抱えて。
しかし、雨のカーテンの向こうにいる影は変わらない。
事実として、そこに佇んでいる。俯き、表情はわからないがその口元は笑っていた。
「……なんで……」
「よお。遅かったじゃねーか」
荒々しくまとめられた赤髪。
露出度の高い装備に、右手に握られたカトラス。
それはこの世界で幾度となく見た姿。
ミサキは震える唇を懸命に動かし語りかける。
「エルダ……なに、それ」
「あん? 見りゃわかるだろ。アタシの新しい力だ」
幾度となく見た姿。
それは右半身だけだった。
エルダの左半身は見るも無残な姿へと変貌していた。
毒々しい色の肉が這いまわり、爪先から顔まで浸食している。
目を引くのは左腕だ。
金属なのか、それとも肉なのか。中間のような質感の巨大な砲身へと姿を変えていた。
見るからにアンバランスなその半身はそれ自体が別の生き物のように不気味な脈動を繰り返している。
「新しい力って……それどう考えてもマリスだよね」
「ああ、そんな名前だったな。だがそんなことどうでもいいだろ?」
今まで感じていた気配の主は間違いなくエルダ。
しかしこのタイプのマリスはこれまで見たことが無かった。
その目は先ほど戦ったゾンビ男のように白い部分が黒く反転しているが、会話が成立している。
これまでマリスに感染した者は例外なく自我を失っていた。
理性を失う者や意識を乗っ取られる者。タイプは様々だが、コミュニケーションが取れることは無かった。
それは最後のあがきに大量のマリスを取り込んだ白瀬も同じこと。
「聞いていい?」
「さあな。言うだけ言ってみろよ」
「その力――誰にもらったの」
その問いに、さっきまで平静に見えていたエルダが一転、獰猛な笑みを浮かべる。
「……はは! その前にアタシと戦ってけよ。早く試したくて仕方ねーんだ」
「…………っ」
エルダは挑発するように左腕を――禍々しい砲身を向けてくる。
「アタシは全てを捨てた。お前に勝つためにだ。…………だからお前も全部失えよ」
低く呟かれたその言葉とともに、何十度目かの対戦が始まった。
……こんなにも戦いたくないと思ったのは初めてだった。




