253.おぼろげに霞む月
ミサキと戦う時、一番大切なことは何か。
それは近づけさせないことだ。
素手で戦う彼女は手足の長さより遠くへ攻撃することができない。
だから何としてでも間合いの外で戦うべきだ。
だが言うまでも無くそれは容易ではない。
目で捉えることすら難しいスピードは、距離を取るという選択を完膚なきまでに潰してくる。
まず反応できるか。その次についていけるか。
そこがやっとスタートラインだ。
本人は火力がない、リーチがないと言っているがとんでもない。
近づかれたらその時点でおしまいな時点で相手にかかる心的負担は尋常ではない。
エルダはこれまで何度も何度もミサキと対峙してきたが、それを理解するのでやっとだった。
耐久には乏しいものの、身体は小さくすばしっこい――つまりまともに攻撃を当てるだけでも一苦労だ。
彼女が回避に徹すれば、超広範囲スキルを使わない限り捉えることは不可能に近い。
心情としては大量の誘導ミサイルが四方八方から飛んできているようなものだ。
対処するのは至難の業。
だが、
「【ゴースト・レギオン】!」
エルダが左手の銃のトリガーを引くと、無数のエネルギー弾が幽鬼の姿をとってミサキへと向かっていく。
厚い弾幕だ。すり抜けることは不可能だと判断したミサキは自身を前へ運んでいた足を急停止させる。
瞬間、握りしめた両拳が鋭くぶれたかと思うと弾丸をことごとく弾き飛ばした。
エルダに驚きはない。
あいつならこれくらいは当たり前にやってくる。
しかしその動きに違和感を覚えた。
何かがおかしい――いや、なにかどころではない。
ふつふつと湧き上がってきた考えは、『精彩を欠いている』だった。
立ち止まって圧倒的な弾幕を捌ききる。
確かに卓越した技術だ。
しかしいつものミサキならそれ以上のことをしてきたはずだ。
少なくとも”この程度”の攻撃で立ち止まるなどということは無かった。
エルダは奥歯を強く噛みしめると一気にミサキへと接近し、カトラスを高く掲げるとその刀身から薄い水しぶきが舞う。
「あああッ!」
がむしゃらに振り下ろしたのはサイレントスキルにより発動された初級スキル【カタラクト】。
重い一閃を、ミサキは両腕のグローブを頭上でクロスして受け止める。
交差する視線は一瞬。逸らしたのはミサキの方だった。
その隙を狙い、エルダの爪先がミサキの腹に直撃した。
「ぐっ……」
痺れにも似た衝撃に顔をしかめつつ宙返りして着地、そのまま駆け出すとエルダの周囲を回り始める。
視界から外れ、攻撃の出所を絞りにくくするいつもの戦法。特に以前はエルダとの対戦で良く使っていた手だ。
だが。
「【スプラッシュ・サークル】!」
水を纏ったカトラスによる回転切り。
全方位を切り裂くこのスキルに死角は無く、いかに高速で周囲を走ろうが関係ない。
だが、手ごたえがない。
知っている。
ミサキは飛んでいる。この技から逃れる方法は限られている。
そして敵の視界から逃れるなら道はただひとつ。
「上だろ、わかってんだよ!」
「ヤバ、」
「らあああああッ!!」
頭上から飛びかかってくるミサキに対し、素早く繰り出した突きが右肩を抉る。
ダメージによって体勢が崩れたものの、何とか片手で着地し肘をバネのように使うことで飛び上がり距離を取る。
今の攻防は、初めて戦った時に行われたものだ。
あの時は頭上からの攻撃に反応できず敗北した。だが今なら反撃も可能だ――しかし。
この瞬間、エルダに喜びは無い。みしりと握った剣の柄から異音が響く。
「てめえ、なんだ今の攻撃は」
「何って……なに」
「こんなもんが今さら通じるわけねえだろうが!!」
響く怒声にミサキの口が噤まれる。
あからさまに怒りを発している目の前の女にたじろぐことしかできない。
「本気で来いよ。下に見るのもいい加減にしねーと足元掬われんぞ」
「本気でやってるよ!」
売り言葉に買い言葉を吐きながらがむしゃらに駆け出す。
握りしめられた拳から繰り出される速く鋭いミサキの攻撃は本来受けることが困難だ。
しかし。
「……ッ、どうして……!」
連なる拳打が。
熾烈な蹴撃が。
そのすべてがことごとく捌かれる。
焦燥の中、ミサキは視線を逸らす。
隙を見てクリスタルを壊してしまおうか。
いや、今このイベントを終わらせてもしフランが復活しなかったら――――
「まだわかんねーのか」
「何が。何をわかってないって言うの」
わずかに震えたその言葉に、エルダは深い苛立ちを含んだ嘆息を落とす。
「お前さっきからどこ見てんだ? お前今戦ってるのはどこのどいつなんだよ。ああ?」
「そんなの、エルダに――――」
「見てねーだろうが!!」
大音声と共に振り下ろされた足が床を叩く。
この部屋全体が揺れたような……いや、塔自体が揺らぐほどの迫力がびりびりとアバターの肌を擦る。
ミサキは思わず息を呑む。普段から笑ったところを見たことがないが、ここまでエルダが怒ったところを見るのは初めてだった。
そしてその激昂を引き起こしたのが自分であるということも理解した。
「本気でわかんねーのかしらばっくれてんのかは知らねーよ。どっちでもいい。だからアタシがはっきり言ってやるよ。お前が見てるのはあのクリスタルだけだ。もっと言えば……あのフランが復活するか否かだけだろ」
「……ちがう。わたしは本気で……だってそうじゃないとフランは……」
「それだろうが。二言目にはフランフラン……お前がどれだけあいつのことが大事かは知らねーよ。だけどな、せめて今戦ってる相手のツラくらいは見ろよ」
「エルダ……」
「このままでいいのかよ。こんな中途半端な戦い方で終わって、それで何もかも取りこぼすのかよ。だったら……アタシが勝たせてもらうぞ!」
幽鬼の弾丸とカトラスの刃が迫る。
しかしミサキはいまだ自分の為すべきことが揺らいでいることにすら気づいていなかった。




