252.君に幸あれ
決意をした。
戦う覚悟を決めた。
揺るがない意志がこの刃には宿っている。
だが、それだけで実力の差は埋まらない。
「そんなもんかよ!」
「うっ……くっ……」
カトラスと短剣が打ちあう甲高い金属音が連続する。
啖呵を切って戦いに臨んだシオだったが、猛攻を防ぐので精いっぱい。
いや、そのアバターにはあちこち赤い傷が刻まれている。完全に防ぎきれてなどいない。
単純な速さだけで言えば装備が軽いシオが上回っている。
だがその差を補って余りあるほどに技術の開きが大きいのだ。
致命傷を避けるだけでも全神経を注がなければならない。
(強い……!)
エルダはあのミサキとしのぎを削るほどのプレイヤーだ。
わかってはいたが、こうして実際に相対してみると圧倒的だ。
「知ってるぜ。お前対人戦の経験ほとんどないだろ」
「っ…………」
「戦うのはMob相手ばっかだったもんなァ!」
ガキン! とひと際重い一撃によってシオの身体が吹き飛ばされる。
床を転がり何とか立ち上がるも、その足は震えていた。
これまでシオは対人戦を避けていた。
それは強くなりたいという欲求が乏しいから――しかしそれ以外にも理由はある。
始めたばかりのころ複数人に囲まれて殺されたシオは未だに人と戦うことを忌避していた。
知っている。
そんな自分がエルダに勝てる見込みなど無いことを。
知っているのだ、そんなことは。
なぜならエルダがミサキに勝つため努力を続けてきた姿をそばで見ていたから。
その強さがどれだけの研鑚に支えられているかをよく知っている。
「なにをそんなに焦ってるのですか」
「あ?」
「全部捨てて、身軽になって……そうしたら何かが変わるのですか」
地面を蹴り、一気に加速。
わき目も振らずに真っすぐ駆け抜けて右手の短剣を振るう。
しかし、その攻撃はたやすく防がれる。この世界で最速のミサキを相手取り、そして超えようとしているエルダに対して生半可なスピードは通用しない。
「何が言いてーんだよ」
「どうせ捨てるなら……なんで私と一緒にいたのですか! 中途半端はやめてください!」
「…………!」
「私が居たら勝てませんか。私がそんなに邪魔ですか。それでもいいです、だけど、だったら……ちゃんと理由を話してください!」
せめぎ合う短剣に雪が纏う。
少しずつ少しずつ強さを増し、あたりに冷たい風が撒き散らされていく。
「【葬氷牙】!」
冷気を纏った短剣がカトラスのガードを突破し、すれ違いざまに脇腹を斬りつける。
ダメージエフェクトが散ると、その傷口から身体に霜が広がった。状態異常”凍結”だ。
「……お前に言う義理はねーよ!」
「じゃあ誰にあるのですか!」
再び短剣の一閃がエルダを切り裂く。
凍結による素早さ大幅ダウンによって防御は間に合わず、さらに物理ダメージが倍になる。
「ぐっ……」
「……言ってくださいよ」
ぽつりと、その呟きは落とされる。
ともすれば聞き逃してしまいそうなほどにかすかな声だったが、それは確かにエルダの耳朶を震わせた。
「友達じゃないですか。ずっと一緒にいたじゃないですか。私はあなたより一回り以上も年下だし、教師と生徒だけど……それでも辛いことがあるなら言ってほしかった。頼ってほしかった」
子どもの自分には何もできないと諦めそうになった。
しかしそれでは駄目だと思った。
エルダが関わりを捨てたきっかけが必ずある。だったら自分が助けにならなければと思った。
初心者の時に殺され、打ちひしがれていた時。
初めて出会っただけのミサキは親身になって話を聞いてくれ、エルダのPKギルドに殴り込んだ。
だから自分も同じように、誰かを助けられるようになりたかった。
せめて身近な友達くらいは。
「だから……お願い」
目の前にいる大人を、子どもは優しく抱きしめる。
エルダはわずかに肩を揺らし、動きを止めた。
「少しで良いから……私に寄りかかって」
息遣いさえ聞こえる距離で、シオは目を閉じる。
まるで身体を委ねるようにして。
すぐ近くでエルダが息を呑むような気配がした。
その腕が、ゆっくりとシオの背中に回されようとして――――
「ごめんな」
軽い衝撃が響く。
思わずシオは目を見開く。
目線を下げると、自分の胸がカトラスに貫かれていた。
致命的な損傷。
HPがどんどん減少していき……0になる。
「どう、して」
崩れ落ちる。
その身体が淡い光を放ち、消えるその直前。
部屋の扉が勢いよく開かれた。
「やっと着い…………え」
到着したのはミサキ。
その視線の先で展開されていたのは、エルダの足元に倒れるシオが今まさに消滅した瞬間だった。
少しでも早く。
守護者を倒した報告を三人から受けたミサキが考えるのはそのことだった。
早くしなければフランが消えてしまう。
だからミサキは全力で走り最上階の扉を目指す。幸い、その道順だけは覚えていた。
しかし気になるのはそれだけではない。
シオと連絡がつかない。
最初に通話がつながったときもどこか様子がおかしいように感じた。
だがこの広く複雑な塔の中では合流することも難しい。
「急げ……!」
とにかく、それは後で良い。
喫緊の課題はフランだ。ここを逃せばもう二度と会うことはできないかもしれない。
焦燥に駆られる足をひたすらに動かし、ミサキは長大な階段を上っていく。
そして、それはすぐに見えた。
巨大な扉。はめ込まれた三つの宝玉は煌々と輝いている。
内心で仲間たちに感謝を唱えながら、走る勢いで開け放つ。
「やっと着い…………え」
そこにいたのは敵チームのエルダ。
そして、そのエルダに胸を貫かれそのまま消えるシオの姿だった。
最後の瞬間、その顔に悲愴と驚愕が浮かんでいるのが、ありありと見えた。
思わず息を呑む。
エルダとシオの関係は少しだが知っている。
PKした側とされた側。そしてそこから違った繋がりを築いていたことも。
チームとして敵対したから戦って、そして倒された――だけではないのは、今のシオが浮かべた表情から察することができた。
そしてミサキは。
(……………………)
考えて、考えて――――
(考えるな)
全ての疑念を振り払う。
「…………後ろのクリスタルを破壊すればわたしたちの勝ちなんだよね」
「何も聞かねーのかよ」
「それは……後で良い。今わたしはフランを取り戻すことだけ考えてる」
エルダの背後にある青白いクリスタルは、まるで内部に金色の水を注がれたかのように下半分が染まっている。
あれさえ壊せばチームアルファの勝ち……だが、それはイベントにおいての勝利であって目的の達成にはならない。
「このクリスタルはイベントが始まってから少しずつ金色に染まっていった。シオとの戦いで、さらに加速した」
「もしかして……わたしたちの感情の喚起に反応してる?」
「さーな。そんなことはどうだっていい。アタシはお前と戦うためにここにいるんだからよ」
おそらくこの予想は正しいと直感した。
本気の戦いをすればするほどあのクリスタルは金色に染まり、そして染まり切ればフランの復活に繋がる。
「…………だったら。わたしはエルダを踏み越えて、その先にいるフランに会いに行くよ」
「そうかよ……。なら来い!」
何度目かの戦い。
しかし今この時、二人の見ている方向は完全に違っていた。




