242.暗路3:PARTNER's MEMORY
記憶とは何だろう。
そんなことを考えてみる。
きっと失わなければそこに考えが至ることも無かっただろう。
今のあたしにあるのは自分の名前と、錬金術士であることと――あとは、ずっと誰かが隣にいてくれた感覚だけだ。
本当にそれだけ。あまりにも心許なくて立ちすくみたくなってしまう。
それでもあたしは先に進むべきなんだ。
この真っ暗な道を、ひたすらに。
歩むごとに敵が現れ道を塞ぐ。
それらと戦うと記憶が蘇っていく。
まるで落としたものを拾い集めていくような道程だ。
目に見えない糸を手繰り寄せていくような道のりだ。
心細いなんてあたしには似合わない。だけど独りぼっちのときくらい許してほしい。
「ふっ!」
雪男の振るう豪腕を後ろに跳んで回避しつつ、空間から精製した爆弾を投擲し、火の海に包む。
閉ざされた光の台座で対峙するあの雪男は掛け値なく真っ白だ。全身が白色という意味ではなく、そこだけ消しゴムで擦ったかのように真っ白な空白がその輪郭を形作っている。
……そう言えば、どうしてあたしはそんな不確かな存在を雪男だと断ずることができたのだろう。
あたしはこいつを知っている?
以前に出会ったことがあるのだろうか。
今投げつけた爆弾もよくわからない。
手を掲げるだけで、あたりの空間から光る青い糸のようなものが寄り集まって形成される。
とても手に馴染む。イメージするだけで作れるから便利だ。
これも以前のあたしが使っていたものなのだろうか。
雪男は音も無く拳を床に叩きつけると、そこからあたしに向かって氷柱を次々に隆起させる。
速い。再び回避を試みようとして――捕まった。
跳ぼうとした足が氷に包まれている。怖気が走るほどの冷たさだ。足を引っ張っても杖で叩いても氷は砕けない。
そして雪男はチャンスとばかりに猛進してくると、
「か……は……!」
意識ごとどこかに吹っ飛ぶかと思った。
太い腕から繰り出される渾身のラリアットをまともに喰らったあたしは空中をまっすぐに飛び、ノーバウンドで見えない壁に叩きつけられた。
ずり落ちてへたり込んだあたしの身体の上を、砕けた氷がざらざらと滑り降りていくのが見える。
ああ、痛い。こんな痛みを、どうして味わわなければいけないのだろう。
それでも立ち上がらなければ。
前に進まなければ。
胸が熱い。燃えているのだ、あたしの魂が。
あの呼び声を求めてあたしという存在が燃え盛っている。
杖を頼りに、ふらつく足に鞭を打って立ち上がる。
だが眼前には雪男。
しばし見下ろすその顔と目が合ったような気がして――次の瞬間、あたしはまた吹き飛ばされていた。
「――――ぁ」
攻撃を受けるたびに自分という存在が危うくなっていくのを感じる。
ここで倒れたら、おそらく後には何も残らない。
ほとんどの記憶を失い、存在だけが辛うじて残っているあたしが消滅する。
「ねえ、”誰か”」
息が苦しい。
視界はぼやけ、焦点が定まらない。
「どうか……どうか」
雪男が迫っている。
シンプルな暴力によって押しつぶさんと迫る敵が少しずつ近づいてくる。
あたしは――それでも、そいつを見つめ続け、どこかの誰かに口を開く。
「またあたしの名前を――――」
そこで口を噤む。
ダメだ。
もう頼れない。
ここは――この場所では。
「あたしひとりで……がんばらなきゃ」
頼ってばかりではいられない。
思いだそう。
「記憶は無くなったわけじゃない。きっとずっと、あたしの中にいる」
掲げた手から光の粒が飛び出した。
その光は高く高く舞い上がり、この世界を照らし出す。
それは淡く頼りなく、しかし確かに輝いていた。
真っ暗な世界の闇がわずかに剥がされていく。
そして同時に手に持っていた杖にヒビが入る。
それはまるで、太陽の光によって氷が溶かされるかのようだった。
乾いた音を立ててヒビは広がっていく。そして――ぱりん、と。
割れたその中から現れたのは血よりも深紅の刃を持つ一振りの長剣だった。
あたしはこれを知っている。
当たり前だ。なぜならこれを作ったのはあたしなのだから。
そして連鎖するように記憶が引きずり出されていく。
「これを作ったのは……そう、覚えてる。忘れるわけない」
だって。
だってそれは、何より大切なあの子のためだったから。
「――――ミサキ」
ああ。
この名前にたどり着くまで本当に長かった。
大して長い道のりではなかったはずだが、どうしてかそう感じる。
会いたい。
もう一度。
「無限に続く道なんてない。だからあたしは歩みを止めないわ」
雪男に剣の切っ先を突き付けてやると、地鳴りのような咆哮が響き渡る。
しかしそんなものは、今のあたしを揺るがすには至らない。
ワープポイントを通ったミサキは、現在ひたすら階段を駆け上っていた。
「ぜえぜえ……きっつい……」
この世界は呼吸を必要としないので疲れることは無いが、精神的に辛い。
必死に走っても全然頂上が見えてこないのだ。というかあのタケノコのような形状の中にこんなに巨大で長大な階段があるなんて現実的に考えればおかしいのだが、ここはゲームの中なので特に問題はない。
あるとすればこんな階段にさしたる意味があるとは思えないという点だ。
しかしそこはミサキ、この世界最速の名を欲しいままにする少女。
ある者は韋駄天と呼び、ある者は流星と呼んだ。そしてあるアンチはその艶やかな黒髪からGのつくアレに――というのは彼女の名誉のために口を噤むとして。
とにかくミサキはその足の速さによって無限にも思えた階段を登り切った。
現実ならとっくに肺と心臓が破れてたな……などと思いつつ、目の前に現れた物々しい巨大扉に近づいていく。
「でっか……。わたしって運良いな。どう見てもここがゴールでしょ」
その重厚な雰囲気を漂わせる黒鉄の扉は向こうに重要な何かがあると伝えてくるようだった。
ミサキはおもむろに扉に手を掛け、一息に押して……押して、押して、押して……。
「ふんぬぐぐぐぐぐぐぐ!!」
びくともしない。
この都市の扉はこれよりずっと大きかったが簡単に開いた。
ゲーム内において大きさで重さを語るのは少し的外れな気がしなくもないが、そこまで乖離させることも無いだろう。
つまり鍵がかかっている。
「まあ、最初からそんな簡単に行くわけないよね……」
よくよく考えるとタワーディフェンスってこういうのじゃなかった気がする……と考えつつ扉を眺めていると、そこに三つのガラス玉のようなものがはめ込まれているのが見えた。
おそるおそる手で触れてみると軽やかな効果音と共にウィンドウが現れる。そこには『三人の守護者を倒せ』と書いてあった。
「ああ、そういうこと。…………くっそー!!」
ぽんと手を打ったミサキはしばしの間停止すると、ぎゅるん! と凄まじい勢いで振り返り階段を駆け下りていく。
それこそ転がり落ちるようなスピードで。
どうやら目的のクリスタルにたどり着くには敵チームを倒さなければならないらしかった。




