241.Bayonet Drive
螺旋状に回転する鋼鉄の塊が空を貫く。
けたたましい音を立てて放たれた殺意の象徴は、肉眼では視認が難しいほどの速度で一直線に駆け――真っ二つに両断される。
「あはははははっ! 適当に撃っても当たらんでー!」
「……今のを斬りますか……ッ」
このゲームの拠点であるホームタウンに酷似した都市を舞台に翡翠とクルエドロップの戦闘が続いていた。
屋根の上を飛び回りながら弾丸を撃ち続ける翡翠に、それらことごとくを斬り落とすクルエドロップという構図が展開されている。
追うものと追われるもの。刀を使っている白髪の制服少女――クルエドロップの方が圧倒的に不利な状況なのに、双方に浮かぶ表情は全くの正反対だった。
翡翠は双銃から絶え間なく発砲しながら密かに奥歯を噛みしめる。
(強い強いと聞いてはいましたがこれほどとは……)
このゲームで最速の遠距離攻撃は銃系武器による実弾の発射だ。
時点でエネルギー弾、弓矢、魔法スキルと続く。
普通なら躱すことすら困難なのだ。ましてや翡翠は銃の扱いなら他の追随を許さないほどの実力を持つプレイヤー。そう簡単に防げるような弾は撃たない。
だというのにクルエドロップは一刀でもって弾幕を凌ぐ。
弾丸に込められた威力はとてつもない。ただ弾こうとしても力負けし、軌道を逸らすことができず撃ち抜かれる。
それを知ってか知らずか彼女は弾丸の中心線に寸分の狂いも無く刃を通し、完全な両断を実現している。
明らかに常軌を逸している――生まれる時代を間違えたとしか思えない。いや、この時代だからこそなのか。
「なーなー、なんで逃げるんー? こっち来てや~」
「近づいた瞬間死ぬからですよ!」
双銃をアサルトライフルに換装し、フルオートで連射する。
撃っても撃っても斬られるなら、量でもって制圧する。
だがその弾丸の行く先には誰もいなかった。
「え――――」
「こっちやでー」
思わず空を見上げると、太陽の輝きに思わず目を眇める。
その光を背にして高空から落ちてくるクルエドロップの持つ刀が高速でブレる。
するとそこから血のように赤い九重の斬撃が眼下の翡翠目がけて落下する。サイレントスキルによって発動された【ヨモツオロチ】だ。
「……ッ! 【ヘッジホッグ・バレットストライク】!」
反射的に双銃へと換装した翡翠もスキルを発動させる。
全方位に弾丸を撒き散らす攻撃によって斬撃を迎撃――できない。
弾幕によるドーム型のバリアと【ヨモツオロチ】はわずかに拮抗したかと思うと押しつぶすようにして突破した。
「きゃあああっ!」
ある程度軌道は逸らしたものの、完全に防げるわけがない。
斬撃はいくつもの傷を翡翠のアバターに刻み込む。
もうもうと上がる粉塵。
それを一気に突き破ってクルエドロップは翡翠へと肉薄する。
猛然と迫り刀を振りかざす敵に向かって、被ダメージによって技後硬直を解除した翡翠はとっさにショットガンへと換装し眼前に突きつける。
だが。
「ほいっ!」
クルエドロップは軽やかに飛び跳ね放たれた弾丸を回避、そこからショットガンの銃身を足場にもう一度飛び上がった。
二段跳躍によって視界からクルエドロップの姿が消失する。
一瞬の思考の空白。しかし、その瞬間翡翠の脳内のサイレンが鳴り響いた。
とっさの判断だった。
ぎりぎりの状況で、まるで走馬燈のように過去の記憶が想起され――がくん、と。
翡翠は首を前に倒す。
直後うなじに鋭い痛みが走った。
「あれっ」
背後から聞こえる困惑の声に向かって、脇から後ろに通した銃口から弾丸を放つ。
命中はしなかったようだが、遠ざかる足音から距離を取らせることはできたと判断した。
瞬間、一気に背筋が冷たくなる。
クルエドロップは翡翠を飛び越えた後、背後に落下しながら首を斬り落とそうとしていた。
首を倒していなければ、完全に切断されていた。実際に斬られたのは薄皮一枚といったところか。
「すごいなあ、今の防ぎきるなんて」
「ミサキさんが言っていたんです。あなたは首を斬るのが好きだって」
あれが無ければ死んでいた――と改めて愛するパートナーに感謝する。
クルエドロップは少し照れたような様子で、
「いややわあ、あんまり言いふらさんといて欲しいんやけど」
……こうして見ると普通の少女だ。
だが彼女はさっきこう言った。
『うちを倒されへんかったら――つまり翡翠ちゃんが負けたら、うちはチームアルファの子たちを追いかけて全員殺す』
仲間を殺すなんて……しかもそんなことをすればクルエドロップの友人であるフランの復活は失敗する。
だというのに、平然と彼女はそう言い放った。冗談ではないかと思ったが、違う。
クルエドロップの言葉に嘘はない。翡翠の本気を引き出すためならそれくらいのことはするだろうと思わせるような迫力がそこにはあった。
異常な戦闘欲求。それを満たすためなら何を犠牲にしても構わないというのか。
「あなたの目論見に乗るのは癪ですが、いいでしょう。私と戦う以上ミサキさんのもとへ行けるとは思わないことです」
「……あははっ! 翡翠ちゃん、強いしおもろいし――好きやわ」
「換装!」
翡翠の宣言と共に姿を変える銃――《フラクタルネイバー》はガトリングへと換装を果たすと、回転する銃身から火を噴いた。
クルエドロップは素早く横へ駆け出すと、屋根の上を走り抜け、まるでパルクールのように屋根から屋根へ飛び移り銃弾の嵐から逃げ続ける。
啖呵を切ったものの、不利なのは翡翠だ。
そもそもガンナー系クラスが得意としているのはPvPよりPvEだ。輝くのは不意打ちや狙撃ができる状況、パーティ戦闘が想定された大型ボスや集団戦あたりであって正面切っての直接戦闘には不向きである。
だが。
(負けるつもりは――ありませんけど)
この戦場に限って言えばクルエドロップは格上だ。
そんな相手から勝利を掴むために必要なものは。
以前ミサキの言っていたことを思い出す。
――――大事なのはノリと勢いだよ。
――――長引けばその分実力差が顕著になるからね。だからリスクリターン度外視で一気に終わらせるのが一番いい。
「あなたは強いですね、クルエドロップさん」
大量の弾をばら撒いたガトリングを双銃へと――もっとも使い慣れた形態へ換装する。
「でも勝つのは私です。だって戦いは――――」
――――ようするに『壊す』。
――――戦いって言うのはね、強いほうが勝つんじゃなくて…………
「勝った方の勝ちなんですから」
ドン! と真下に風属性のエネルギー弾を撃ちこんだのと同時、巻き起こる爆風を利用して翡翠は上空へと飛び上がる。
眼下にはこちらを見上げるクルエドロップの姿。そこに浮かぶ表情は嬉しそうな笑顔だった。
「【カバー・ジェネレート】」
翡翠がかざした手から生み出されたのは一辺3メートルほどの立方体だ。
【カバー・ジェネレート】はガンナー系クラスが共通で持つ遮蔽物を生成するスキル。
破壊可能で耐久力は脆く、使い道の少ないスキルだ。
ブロックは重力に従って自由落下していく。それに反して翡翠の身体はまだ下から噴き上がる風の影響を受けていて、落下には至らない。
「おもろいこと始めたなあ! ええで、全部叩き切ったる!」
獰猛な笑みを浮かべて刀を構えるクルエドロップ。
しかしブロックは落下しきることなく、空中で爆散する。
わずかに目を見開くも、それは翡翠の弾丸によって打ち砕かれたのだと思い至った。
ばらばらになった瓦礫の向こう、翡翠の双銃から無数の弾丸が撃ち下ろされる。
それらはクルエドロップを狙うことなく、全てが軌道を逸らしていた。
(外れた? いや、外した――ちゃう!)
カン、と軽い音。
それは弾丸が瓦礫に跳ね返った音だった。
クルエドロップの周囲に降り注ぐ瓦礫の雨に、無数の弾丸が跳弾している。
それらは弾道によってクルエドロップを囲み、疑似的な牢獄を作り出している。
「これは……っ!」
「動けませんよね? その中では刀を振ることすらできないはずです」
狭い通路などで長物を振るえば切っ先が床や壁、天井に引っかかってまともに扱うことが難しくなる。
翡翠はその状況を局所的に作り出した。瓦礫が落ちきるまでの刹那の間とは言え、それだけあれば充分だ。
あとは撃ち抜くだけ。双銃はスナイパーライフルに換装され、その照準が少女の額に狙いをつける。
「【スターリング・エクスキューション】!」
真下へと放たれた弾丸はこれ以上なく鋭利で、視認が難しいほどの速度だった。
だが翡翠は見た。発砲と同時、クルエドロップが銃弾の牢獄をものともせず飛び上がったのを。
当然ダメージは免れない。大量にあふれたダメージエフェクトを見れば、おそらくHPは風前の灯だ。
しかしクルエドロップは笑う。極上の獲物を前に、舌なめずりすらしてみせる。
「――――【グレンライカ】」
その刀、《チギリザクロ》が稲妻と炎を纏う。
クルエドロップの姿が消える。空中から一気に加速する。
一筋の閃光となって真上へと駆け抜け、翡翠の放った【スターリング・エクスキューション】を両断し、そして。
「…………っぁ」
翡翠の視界がぐるりと回る。
クルエドロップの刀が首を斬り飛ばした――その事実を、その時正しく認識していたのは斬った本人のみだった。
とん、と。
猫のように大した音も無く着地したクルエドロップは流れるような動作で納刀する。
その身体はわずかに震えていた。
「ああ……これや。ああ、ああ、ああ――――さいこう」
全身を貫く興奮が、高揚が、快感が。
そのアバターを狂おしいほどに震わせる。
涙すら流しそうな恍惚の表情で虚空を見つめ、快楽に打ち震える。
だが。
「…………っ!?」
わずかに残った理性が、その意識に危機を伝えた。
思わず空を振り仰ぐと。
「――――まだですよ」
首。
翡翠の生首がこちらに向かって落ちてきているのを見た。
直後、開かれたその口から覗く歯が。
クルエドロップの首に深く深く食い込んだ。
「がっ……!!」
「首を飛ばせば終わりだとでも思ってたんですか……!?」
攻撃による肉体の欠損は大きなダメージを与えることができる。
特に首など、現実では即死するような部位を攻撃した場合のダメージは、こちらの世界でも即死級のダメージを受けてしまう。
だが、それは通常の攻撃によるダメージと違い、時間をかけてHPを減らす。
時間といってもほんのわずかだが――今この瞬間。
首だけになった翡翠は、その”わずか”に全てを賭けていた。
「あ……ぐ……!!」
「言ったでしょう、ミサキさんのもとへは行かせないと!」
ガンナー系クラスの持ち味は圧倒的な攻撃力だ。
それは武器を使った攻撃以外にも適用される。
そう、それが例え自らの歯による噛みつきであっても。
そこらの一般プレイヤーが放つスキルを凌駕する威力が、クルエドロップの首に集約される。
双方の視界の端のHPゲージが恐ろしい勢いで減少していく。
「…………は。あんたイカれてるわ」
「それはお互い様です」
言えてる、と静かに呟いたクルエドロップの両腕がだらんと垂らされる。
力が抜けた膝をつき、ゆっくりと横倒しになり――それに伴って翡翠の首もごろんと転がった。
二つのアバターは青い光を放ち、ポリゴンの破片となって消滅した。
(首切ったら首に殺されるなんてな…………)
どこかから響いたその声は風に流され、後には静かな都市だけが残された。




