235.暗路1:START UP
「あれ?」
こぼれ出るようにそんな声がした。
あたしの口からだった。
「なにかしら、ここ」
自分が立っている場所がわからない。
ゆっくりと首を回すと、ひたすら真っ暗。
前後左右上下が真っ黒。
だけど足元だけははっきりと見える。
長いローブの裾から覗く、皮のブーツ。見覚えは無い。
自分の手を見る。色白で細長い指だ。なかなか綺麗。
そうして下を見ていると、頭の上に乗っている何かが少しずれて、慌てて手で押さえる。
手に取ってみると魔女が被っていそうな三角帽だった。どういうセンスなのかしら、と首をひねる。
ただ無いと何となく落ち着かないので被りなおす。
すると顔の横の髪が揺れた。ウェーブした長い金髪だ。手の上に乗せてみると、丁寧にケアされていることがわかる。
「あたしってきっと美少女ね。うん、間違いない」
こんなにも一面真っ黒なのに、自分の姿だけは鮮明に見える。
おかしな場所だ。果てが無く、自分以外は何も存在しないように見える。
「自分。自分?」
あたしって何だろう。
名前が思い出せない。
どうしてここにいるのだろう。
何も思い出せない。
ぶるりと身体を震わせる。
こんな場所で何もわからず、たったひとり。
何となく横が寂しいような気がした。
「誰が……いたのだったかしら」
隣にふと手を伸ばしてみる。
当然ながら、何もない。そんな当たり前のことで、胸が締め付けられるようだった。
とにかくこうしていても始まらない。
こんな場所で何をしたって無駄かもしれない。だけどとにかく動いてみようと思う。
基本は実践と失敗のサイクルだ。
何の基本かは覚えていないが。
「行かないと」
何かに引き寄せられるようにして歩き出す。
目印になるものが無いからどこへ向かえばいいのかも、まっすぐ歩けているのかもわからない。
でも何もしないよりはいい。
足音はしない。
前に進んでいるのかもわからない。
だが、しばらくすると一歩進むごとに、周囲の空間に妙な電流のようなものが走るのに気づいた。
何かが起ころうとしている。きっと進むのが正しいはず。
「なにか……思い出せそうな気がする」
歩むごとに。
頭の裏側が擦られているような感覚。
張り付いた氷をこそぐように、自己を塞ぐ何かが削り取られていく。
少しずつ、少しずつ。
そこで、何百歩目かのこと。
踏んだ足を中心に、ぱり、と電流が広がる。
「え?」
それは高速で足元を離れ、黒の大地を駆け抜け、巨大な円を描き出す。
そしてその円はぼんやりと輝き始めた。実に直径50mほどのサイズだ。
「うん、やっぱり行動を起こせば何かしらは起こるのよ」
とは言えこれで何ができるわけでもない。
ただ輝くステージが出現しただけだ。
とりあえず調べてみようと中心へと歩いた、その時だった。
「いっつ……!」
頭が激しく痛む。
同時に周囲にノイズが走ると――そこには。
「何だっていうの、こいつらは」
いつの間にか、だった。
小型で真っ白い悪魔が何匹もそこかしこで飛び跳ね、こちらの様子を窺っている。その顔には目と鼻が無く、不気味な印象を与えてくる。
小さいと言っても、その鋭い鉤爪が、ずらりと並んだ牙が、槍のように尖った尾が。
彼らが敵性存在であると嫌でも伝えてくる。
「とにかく逃げないと……!」
武器もないのに戦えない。
何となく懐を探ってみたが、何も持っていなかった。
囲まれたこの状況からどうやって逃れようか、と策を練っていると、悪魔の内一体が金属の擦れるような声を上げて飛びかかってきた。
「あっぶないわね!」
何とか横に跳んで回避するも、身体の感覚がおかしい。
身体がやたらとふわふわしているのだ。体重自体は変わっていないが、感覚がおぼろげで掴みどころがない。
そんな時、背中に鋭い痛みが走った。
思わず背後に視線を送ると、悪魔が楽しそうに口元を三日月形に歪めている。鉤爪で背中を裂かれたのだ、と気づくと同時、慌てて距離を取る。
熱を伴う痛みに息が上がる。
頭痛で薄ぼんやりした頭で悪魔の数を数えてみると、とりあえず片手では足りないことがわかる。
悪魔たちは再び襲い掛かってくる。
今度は全員まとめてだ。
全方位からの攻撃に、あたしは考える間もなく自然と低い体勢を取っていた。
そのまま力強く光る床を蹴り、凶刃をくぐり抜ける。
なんとなくこうすれば切り抜けられると思っていた。
誰かがこうしていたような気がしたのだ。
そのままの勢いで光る床を出て、悪魔たちを振り切ろうとしたその瞬間。
ばん! と勢いよくぶつかった。何に? わからない。
だってそこには何もなかったから。
光る床のふち、そこには何もない。透明な壁が外の真っ暗な世界と隔てていた。
「まさかこいつら倒さないと出られないとか言うんじゃないでしょうね……!」
振り返ると、牙を剥き出しにした小さな悪魔たちはじりじりとにじり寄ってきている。
獲物を狩ることを楽しんでいるかのように。
耳を塞ぐ轟音で我に返った。
「いっ……!!」
高度はおそらく数十メートル。
ひたすらに落下するミサキは、パラシュートも無しに空中へ転送されたのだと理解した。
「またこれーー!?」
バトロワゲーのような開始演出――にしては死と隣り合わせすぎる。
これでみんな全滅したらどうするつもりだったんだ! と憤りたいがそんな暇もない。
このまま何もしなければ絶対に死んで終わりだ。
両腕に装備したグローブ……《シリウスネビュラ》の感触を確かめる。
これを使えばおそらくは着地できるはずだ。……はずだ。ごく短時間の飛行なら試したことがあるが、こんな高高度からの着地などしたことがない。
そう言えば他のチームメンバーの姿が見えない。バラバラに転送されたのだろうか――と。
「え?」
視界の端に何かが見切れたのを確認して、無理やり首をひねるとそこには。
「――――――――」
ぐるぐると回転しながら落下する幼い少女の姿があった。
腰に差した短剣と茶色の短髪を見ると、おそらくはシオだ。他の仲間の姿はない。
何やら叫んでいるようだが風の音にかき消されてろくに声が届かない。
回転する中で見えた表情は明らかに泣き出す寸前だった。
「…………っ」
彼女と初めて出会った時も同じ顔を見た。
この世界に来て、初めて出会った少女がシオだった。
地面はもうかなり近くなっている。
「――――助けないと」
気づけばそう零していた。
このグローブの力を使って彼女を助け、そのまま着地する。
できるだろうか。いや――――
「やる以外……ない!」
イグナイト、と呟いた起動コードに呼応して両腕から蒼炎が迸る。
炎は推進力を生み出し、落ちるシオへと一直線に主の背中を押す。
手を伸ばす。目いっぱい小さな手を広げ、そのまま一気にシオの背中をつかみ取った。
「うわああああ……へえっ!? み、ミサキさん!?」
「身体ぎゅっと丸く固めて! 怖かったら目閉じていいから絶対に動かないで!」
頷く間もなく指示通りに丸まったシオを左腕で無理やり抱え、眼下の大地を見る。
いや、大地ではない。風に煽られたからかいつの間にか真下に広がっているのは鬱蒼と木々の立ち並ぶ森だ。
使えるのは右腕だけ。
二人分の着地が可能だろうか。
いや――やってみせる。
「【シヴァ・イグナイト】!」
その叫びと同時、先ほどをはるかに超える規模の蒼炎が顕現する。
噴出口である右腕は真下に。炎は木々を焼き、大地へと到達し、落下の勢いを殺していく。
だが。
(殺しきれない……!)
この蒼炎は真下に向けると燃費が劣悪になり、かつ威力が落ちるという特性がある。
自由飛行を難しくするためのデメリットだ。
製作者のフランいわく、他の性能を上げたぶんそこは削るしかなかったとのこと。
この炎は使い切ればフランの手を借りない限り補充できない。
激しい戦いが予想されるこのイベントでは温存しておきたかったのだが……背に腹は代えられない。
腕の中で震えるシオを一瞥し、心を決める。
「ここで使い切る!」
火勢が増す。
真上への推進力が、落下のスピードを相殺していく。
それでもまだ速い。
残り5メートル、3メートル、1――――
「だあああああっ!」
その気合いに反した柔らかさでシオを上へ放り投げる。
直後、背中に衝撃が走った。落下ダメージに息が詰まる中、シオだけを注視する。
彼女はふわりと宙に滞空し――のちに軽く背中から落下した。
いつの間にか詰まっていた息を勢いよく吐き出す。
「し、し、死ぬかと思った…………」
とりあえず二人とも生きているらしい。
落下ダメージは受けたものの、無視できるレベルだ。
「シオちゃん大丈夫?」
「い、生きてます? 私生きてるのですか?」
震えてはいるが、無事のようだ。
とりあえず胸を撫で下ろす。
薄暗い森だ。
周囲の木は焼かれて消滅したが、かなり密度が濃い。
自らの腕を見下ろすと、《シリウスネビュラ》は輝きをおぼろげなものにしていた。
通常攻撃を強化する炎は出せるが、もう炎を噴射するイグナイトは使えないだろう。
フラン復活作戦――タワーディフェンスイベント、『クライムネスト』は前途多難のスタートを切った。




