231.天魔シザース
両手に花という言葉がある。
二つのいいものを手に入れていることの例え……というか今になっては二人の女性を連れていることを指すことが多い。
とにかく、良い状態を表す言葉だということは間違いないだろう。
と、今までのミサキは考えていたのだが。
「もうっ、離れてよルキ!」
「フェリちゃんこそ邪魔……」
両側からぴったりくっついてくる双子の悪魔と天使には思わず天を仰ぐばかりだった。
どうしてこうなってしまったのだろう、とミサキは平和だったころを回想する。
スズリに会うため『アストラル・アリーナ』にログインしたミサキは、ホームタウンの北区に足を踏み入れていた。
「うーん、どこにあったっけ」
目的地は『ユグドラシル』のギルドハウス。記憶が正しければ大樹を模したデザインだったはずだ。
まあまあ高さがあって目立つからすぐ見つかると思っていたのだが……。
「どうしよう、迷ったかも……」
あたりを見回しても高い建物ばかりで視界は遮られ、しかも道が入り組んでいるので自分がどこから歩いてきたのかもわかりづらい。
もう前みたいに屋根の上に登って探してしまおうか、と考えていた時だった。
「あれ? あの子って」
路地の端で膝を抱えて座り込んでいる少女に視線が向く。
赤い天使のような外見には見覚えがあった。タッグトーナメントで対戦した双子の片割れ。たしか名前はルキだ。
だが穏やかで落ち着いていたあの時に対し、今は明らかに悲しみに暮れている様子だった。それこそ今にも泣きだしてしまいそうな。
「……………………いやいや」
思わず足が止まるが、他にやるべきことがある。
今はフランを復活させるために一刻も早くスズリに会わなければならない。
だからここは見なかったことにして素通りすべきだろう。
「…………あ゛~~~~~っ! もう!」
そんな器用なことができる性格なら良かったのだが。
初対面のシオが泣いていたからという理由で声をかけ、そのままPKギルドに殴り込みをかけた前科があるミサキにそんなことはできなかった。
「ルキちゃん、だよね」
観念して駆け寄り声をかけると、ゆっくりと顔を上げたルキは目を見開いた。
「あ、ミサキちゃん……」
慌てた様子で頬を手の甲で擦り、立ち上がったルキは気まずそうに俯いている。
そう言えば双子のもう一人、フェリがいない。いつも一緒のような口ぶりだったのに。
「どうしたの? 何かあった?」
「…………その、フェリちゃんと喧嘩しちゃって」
「喧嘩? ルキちゃんたちが?」
驚いて思わずオウム返しすると、ルキは僅かに頷く。
そうか、と思わずしみじみしてしまう。姉妹なのだからそれは喧嘩もあるだろう。
あれだけ仲が良くて息が合っていても別の人間だ。気持ちが食い違うこと、すれ違うことはあって当たり前だ。
問題はそれをどう乗り越えるかだが……。
「……その、最近フランちゃんがいなくて……」
「あ…………」
そう言えばこの双子は自分たちのファンだった、と思い出す。
その中でもフェリは特にミサキを、そしてルキはフランを推していたとのことだった。
「私すごく落ち込んでたんだけど、そしたらフェリちゃんが……『もう引退しちゃったんじゃないかなあ』って……!」
「……そっか」
「思わずカッとなってそのまま言い合いになっちゃって……喧嘩なんて初めてだからどうやって仲直りすればいいのかもわからないし」
フラン失踪がこんなところに影響しているとは。
実際彼女は人気も高く、その行方を考察する記事や動画が複数存在している。
ミサキとしてはそういった彼女への扱いは受け入れ難かった。こっちは必死なのに、話のネタにされるのは嫌だ。
……しかしこれで無関係とは言えなくなってしまった。
「フェリちゃんは今どこに?」
「……わからない。学校から帰って来てすぐこっちに来たから……」
「気まずかったんだね」
こくん、と頷く。
それはわからなくもない。同じ家に住んでいるならなおさらだ。
顔を合わせたくないのに、否応なくそばにいる。だから逃げるようにこの世界へとログインしてきたということなのだろう。
「ねえ、フェリちゃんのこと嫌いになった?」
「…………っ、~~!」
ぶんぶんと必死に首を横に振る、その心細そうな顔を見て思い出した。
二年前、カガミが失踪したばかりのころのこと。
中学のころ、ミサキは所属していたバスケ部のゴタゴタによって孤立していた。しかしその時手を差し伸べてくれた友人たちがいたのだ。
彼女らとは卒業まで――いや、高校に入学するまで交流が続いていた。
そう、入学まで。
断ち切ったのは他ならぬミサキだ。
全てを拒絶するようになったミサキは、彼女たちからの連絡をも遮断した。
それから何かが起こることはなかった。
今でも後悔の念に囚われる過去の行い――そこからミサキが学んだのは、人と人の繋がりは、繋ごうとしなければ簡単に途切れてしまうということだった。
臆病だったミサキは立ち直ってからも友人たちに連絡を取ることは無かった。
漫画のようにドラマチックな再会があるわけではなく反対に報復にやってきたりすることも無く、ただひたすらに自然消滅してしまった。
いや――させてしまったのだ。
ライラックとリコリスのような、冷戦状態の姉妹もいる。
取り返しのつかないものはあるのだ。
だからせめてルキたちにはそうなってほしくない。
「じゃあもう一度話してみよう? このままだと話さないのが当たり前になっちゃって、ずっとそのままになるかも」
「え……そ、それはやだ」
「だよね。わたしも手伝うからさ」
少し脅すような物言いになってしまったが、これくらいの方がいいだろう。
おずおずと頷いたルキの頭を撫でてやると、顔を赤くして俯いた。やっぱり年下なんだなあとしみじみしながら、
「よし、じゃあさっそく連絡取ろう。チャットかメール送れる?」
「え? 今……?」
「もちろん。ほら早く!」
その言葉に背中を押されたのか、ルキはすぐにメニューサークルを開いて操作し、フェリへチャットを送った。
返信はすぐだった。まるで向こうもチャット画面とにらめっこしていたかのような早さだ。
ルキはかすかに頬を緩め、
「すぐ行くって。近くにいるみたい」
「二人とも同じこと考えてたみたいだね」
「うん。……えへへ、ありがとうミサキちゃん。でもまだちょっとだけ不安だからこうしててもいい?」
そう言うなりルキはぴったりと寄り添い、ミサキの腕を抱いてくる。
決心したとは言えまだ不安なのだろう。
なんとなく、近所の猫に懐かれたような気分だった。
「あーーーーっ!」
そんな和んだ空気を裂くような大声が響く。
驚いて振り返ると、そこには青い悪魔のような格好の、どこかルキに似た少女――フェリがいた。
フェリはわなわなと身体を震わせ、ミサキとルキを交互に見やっている。
「な、なんでルキがミサキちゃんといるの!?」
「え? 偶然会っていろいろお話を聞いてもらったんだよ」
「なんて羨ましい……ずるいよルキ!」
「ずるくないもん」
だんだんと雲行きが怪しくなってきた。
双子は睨みあい、今にも取っ組み合いでも始めそうな空気だ。
「ずるいずるい! ルキっていっつもそうだよね、お使い私に押し付けるし」
「た、たまにだもん。それにフェリちゃんがおやつつまみ食いした時とか私が代わりに怒られてあげてるんだからね」
「そっ……し、知らない!」
「私だって知らない」
「もーミサキちゃんから離れてよ!」
「やだ」
「ううううう! じゃあ私もくっついちゃうから!」
がし、とフェリがもう片方の腕にしがみついてくる。
両隣に双子。というか、万力にかけられたような気分だった。力はさほどでもないが、板挟みの圧力が洒落にならない。
「離れてよフェリちゃん」
「やだ!」
「「む~~~~~!」」
「喧嘩はいいけどわたしを挟むのはやめてほしいな……」
思わず天を仰ぐ。
いつも通り電脳の空は快晴で、しかし今は少し憎らしい。
どうしてこうなった――と。ミサキにできるのはそう呟くことだけだった。




