229.電脳ユートピア
ミサキとクルエドロップの二人は連れ立って草原エリアを訪れていた。
このエリアにしてはあたりに樹が多く、岩が突き出ていたり全体に起伏の激しい区画だ。
平坦な場所やとうちに有利すぎる――というのはクルエドロップの弁。
確かに平らで障害物が無い場所だと好き勝手に長物を振り回せるし、リーチ差も活かしやすいだろう。
それにしても、だ。
こんなに早くクルエドロップと再戦することになるとは思わなかった。
前回は一週間と少し前だった。
「こういうのなんていうんだっけ。舌の根も乾かぬうちに? ……違う気がする」
「舌がどうしたん? ちゅーしてほしいん?」
「違うから。それにクルエドロップの場合は舌入れたら噛み千切ってきそう。……いやそれ良さそうみたいな顔しないで」
こうしている間にも現実ではこの子と隣り合って寝てるのか……と思うと若干の危機感を感じないでもない。
まあそうは言っても大事は起こさないだろう、と能天気に委ねられるほどの信頼を持てていないのだ。
フラン復活に協力してもらうために自分と戦え――というのがクルエドロップの言い分だった。
「よし、そうと決まったらさっそくログインやー!」
おー、と張り切って拳を突き上げる松雪を辟易した目で見上げる。
付き合うと言ったはいいがやはり気が乗らない。この期に及んで反故にするつもりはないが、どうしてもまごついてしまう。
「そうなると澄桜ちゃんはいったん帰らないとだね」
「ああ、心配せんでも大丈夫やで。ゴーグル持ってきてるから」
そう言ってずるりと鞄から取り出したのは確かに銀色のVRゴーグルだった。
『社員用』『持出禁止』のステッカーが貼ってあるが、見なかったことにする。
「準備いいね……」
「備えあれば嬉しいなー。というわけでPC借りてええよな? ちょちょいのちょいと」
松雪はゴーグルと同期させているらしいスマホにケーブルを差すと、神谷のPCのUSB端子と繋いだ。
本来は自前のPCからでないとログインできないようになっているが、デバッガーの特権として社員用のスマホがあればどのPCからでもログインできるようになっているらしい。
この子にそんな自由度を与えて大丈夫なのだろうか、と若干の不安を覚えたが、哀神の存在を考えると下手なことはしないだろう。
「よっし、じゃあ一緒にいこか。ベッドつこていい?」
言い終わらないうちに背中からベッドに飛び込みぼいんと跳ねる。
この子、一応確認は取ろうとするけど返答は聞かないな……と初めて会った時のことを思い出す。
「はいはい。わたしはどうしようかな……陽菜かみどりのベッド使わせてもらおうかな」
「え? そんなことせんでええやん。ほらこっち来て、一緒に寝よー」
がしっと手を取られて引きずり込まれる。
その手の熱さに驚いて抵抗ができず、身体の小さい神谷は簡単に隣へ転がり込んだ。
「もー、危ないよ……まあいいけど……」
「へへ、同衾やな。照れる~」
「なに言ってんの……」
頬を手で挟んでくねくね照れている。
ここまで来ると抵抗しても無駄なので諦めてゴーグルを装着すると、松雪も同じく頭にはめた気配がした。
「ねえ」
「ん?」
「澄桜ちゃんはさ、なんでそんなにわたしと戦いたいの?」
「強いから。それ以外の理由いる?」
「…………そっか」
何をわかりきったことを、と言いたげな口調だった。
目を閉じ、視界に暗闇を被せていると、隣に寝ている少女へと意識が向かう。
松雪澄桜。
クルエドロップ。
首を斬るのがたまらなく好きだと、特に強い相手なら最高だ――と話していた彼女。
その時の様子を見るに、生半可な欲求ではないだろうことは容易に想像できた。
しかしその性癖は、この現実世界ではまず満たすことのできないものだ。
現に彼女は、ゲームの中でなら首を斬っても問題ないと言っていた。
普段はその欲求をずっと抑えているのだろう。想像しかできないが、それは相当に苦しいものだったのではないだろうか。
そんな欲求を解消できるあの世界は、彼女の目にはどう映っていたのだろう――と考えていると、浮足立った声色で隣からアクセスという宣言が聞こえ、神谷も慌ててそれを追った。
踏みしめる草々は柔らかく靴底を押し返してくる。その感触は驚くほどに現実そっくりで、この世界に初めて足を踏み入れた当初も感動した覚えがある。
それでもだんだん最初は慣れていって、歩くだけで心が揺れることも無くなった。
「ごめんなあ」
10m離れて向かい合ったクルエドロップがぽつりと零す。
表情は笑顔だったが、その表面を剥がしたら、おそらくは違った顔が出てくるのだろうなと思った。
「うち、めんどいやろ」
「――――……」
「自分を抑えるんって難しいねん。特にこの世界では」
息をすること。
食べること。
眠ること。
そういった生得的行動を我慢するのは不可能に近い。
戦ったり殺したりしたくて仕方がない――そんな衝動を備えていれば、どう考えても生きづらい。
「強い子と戦えるチャンスがあったらどんな手を使っても逃したくなくなる――例えそれが相手に嫌われるようなことでも。おかしいのはわかってるよ? だってこんなんうちの他に見たことないもんな」
あはは、と落とした笑い声は乾いていた。
こうして内面をさらけ出すことも、おそらく今まで出来なかっただろう。
当たり前だ。そんなことをすれば、結果は見えている。
異分子は弾かれる。攻撃される。それが大衆というものだ。
「それでもうちは――――」
「よかったね」
「え?」
この世界でなければ出来ないことがある。
剣士になる。
魔法を放つ。
ダンジョンを探索する。
プレイヤーを殺す。
そして――この世界でしか存在できない少女がいる。
「『アストラル・アリーナ』があって良かったね、わたしたち」
「…………!」
「大丈夫だよ。ここなら殺し合っても、首を斬ったっていいんだから。もちろん現実じゃ絶対ダメだけどさ、きっとクルエドロップを受け入れてくれる人はたくさんいると思うよ」
ゆっくりと拳を構える。
目を見開いたクルエドロップはじわじわと相好を崩し、腰に提げた刀――《チギリザクロ》を抜いた。
いつもの、どこにも力の入っていないリラックスした構えだ。
「ありがとうな、ミサキちゃん」
「いいよ。わたしも戦うの、好きだから」
もう彼女を怖いとは思わない。
わからないから怖かった。
今は、少しだけわかるから。
二人の少女が同時に大地を蹴る。
青空の下、拳と刀がぶつかり合う音が連続した。
勝ったのは――さて。




