228.一歩特定・二歩リア凸・三歩決闘
苦手な人とどう接したらいいのかわからない。
それは誰もが持つ普遍的な悩みだと思う。
例えばクラスメイト。例えば部活の先輩。例えば職場の上司――これに関してはまだ神谷にはわからないが、エトセトラエトセトラ。
二年前の神谷は、そもそも苦手どうこう以前に全ての人間を拒絶していた。
誰もかれもを遠ざけることで自分を守っていたのだ。
元はそれなりに他人と関わりを持つのが好きだった神谷は、その期間の影響でコミュニケーションに若干の不得手を抱いている。距離感の調節が未だに下手だ。
なので今、目の前にいる相手とどう接したらいいかわからないのだ。
「んふふ~」
「あは…………」
どうすればいいのかわからないのでとりあえず笑ってみた。
たぶん鏡を覗き込めば笑えるくらいに引きつった顔の自分を拝めるに違いない。
これはコミュニケーション力以前の問題ではないだろうか。
その圧倒的な強さと狂気を孕んだパーソナリティで、嫌というほど神谷を追い詰めた相手であるクルエドロップ。本名――松雪澄桜と今対面している。にこにこと人好きのする笑顔を浮かべている彼女は、恐ろしいほどに行儀よく神谷の自室のカーペットに正座している。
あまりにも姿勢が良すぎて、そういう形状に作られた人形なのではないかと錯覚してしまいそうになるほどだ。
まさかこんなことになるとは思わなかった。
連絡を取って、ゲーム内で会って話して……というルートを想像していたら全力で間合いを詰めてきた。
こんなことになると誰が予想しただろう。いや、むしろ神谷はこうなることだけは拒否したかったのだが。
『さ、神谷ちゃんち行こー』
『わたし寮暮らしなんだけど……』
『あ、そうなんや。じゃあこっから近い?』
『うん、すぐそこ。あの……ほら、向こうの林の中に建ってるよ』
という感じの流れで気づけばこうなっていた。
どういう流れ? という感じだが、それは神谷が一番聞きたい。
校舎を出て松雪と出会ったあたりから寮にたどり着くまでの記憶がおぼろげだ。
人間関係においても間合いの詰め方が上手いのか。
神谷は痛む頭を抑えながら、
「どうやって学校入れたの。一応警備員さんがいるから部外者はそう簡単には入れないはずなんだけど」
当然の質問に松雪は、ふっふっふーと楽しそうな笑みを浮かべて鞄からネックストラップ付のカードホルダーを取り出した。
かしこまった顔写真に肩書。おそらく社員証だろうか。
「これ見せたら入れてもらえたで。大企業って得やなあ」
「ず、ずさん……」
「ちょろいもんやで」
「危険人物!」
この子に権力を持たせてはダメだと強く確信した。
リアルとアバターの外見に差異が無いからか、こうして対面している今もゲーム内と変わらない恐怖を感じる。
今にも学生鞄からナイフを取り出して首を狙ってくるのではないかという想像が――さすがにそんなわけはないと信じたい。
「警戒してるみたいやけど、さすがにリアルではやらんてー」
「え? な、なにが?」
「『こいついきなり襲い掛かって来んやろな』みたいなこと考えてへん?」
「か、考えてないですけども…………」
鋭すぎる。
やはり侮ってはダメだ。
とは思うが、さすがに失礼過ぎたかもしれない。
必要以上に怖がるのは相手を加害者に仕立て上げることと同じだ。
よく見るといつもの笑顔が少し悲しげに見える。……たぶん。
もしかしたら大して気にしていないのかもしれない。
「……いや、ごめん。そうだよね、いくら何でもそんなことしないよね」
「せやでー。まあ法律が邪魔せんのやったらヤってたかもしれへんけど」
「大人の人呼んでー!!」
一目散に逃げだしそうになると、松雪は冗談冗談と笑う。
しかし神谷は見逃さなかった。その弧を描く目の奥にはぎらりとした眼光が閃いているのを。
「うち、これでも実はお嬢様なんやで? 普段はそういう趣味隠してるんや」
ふふんと自慢げに胸を張る。
まあ、何となく所作からそうかなとは思っていた。
しかし……。
「嘘つきは嫌いってあれだけ言ってたのに」
「……まあ、矛盾してるよなあ。うちもそう思う」
初めて出会った時。
神谷は友人のスズリと共に松雪に立ち向かった。
その際、『スズリ』という毅然とした剣士を演じている――要するにキャラを作っているスズリに対し、クルエドロップはあからさまに怒りをぶつけてきた。
それは嘘だと。周囲の人間を騙しているのと同じだと。
いつも穏和で楽しそうなクルエドロップが、唯一感情を荒ぶらせたのがあの時だった。
「同族嫌悪……ってやつなんやろな。厳しい家で育てられて、親の決めた枠にぎゅうぎゅう押し込まれて……ま、昔は細かいこと考えてられへんかったけど」
考えられないくらい大変やったけど。
そう呟いた松雪は笑っていたが、声色にわずかな湿り気を感じた。
それを笑って話せるまでに、どれだけのことがあったのだろう。どれだけのことを乗り越えてきたのだろう。
今は――どうなのだろう。
「松雪さん……」
「澄桜ちゃんって呼んで♡」
「切り替え早いね」
きゅるん、という効果音が聞こえてきそうなほどの見事なかわいこぶりだった。
雰囲気が暗くなる前に急ハンドルを切ったような印象を受ける。
基本的には明るく、そしてそう振る舞うよう心掛けているのだろう。
「ま、おもんない話はここまでにして……ミサキちゃん、じゃないわ沙月ちゃんってゲーム好きなんやね」
様々なゲーム機がカラーボックスに収納されているのをぐるりと見渡して松雪は言う。
いつの間にか名前呼びに移行している点はスルーするとして。
「ああ……うん、まあそれなりに」
好きと言っても手を出したのは二年前なので、なんとなく少し濁してしまう。
好きということに歴の長さは関係ないはずだが。
「ま、す、澄桜ちゃんは結構好きそうだよね」
「いいや? 『アストラル・アリーナ』しかやったことあらへんよ。でもあれをゲームって言うのもちょっと違うんかなあ」
「そうなんだ。……そっか」
家が厳しいなら娯楽も禁止されていたのだろう。
ならば今はどうして……と聞きたくなるが抑える。
あまり人の家の事情においそれと首を突っ込むべきではない。
それよりも本題だ。
彼女に連絡を取った理由を忘れてはならない。
「あのさ、」
「フランちゃんのこと?」
「……先回りしないでよ」
ぶすっと唇を尖らせると、松雪はからからと笑う。
「あははー、だって沙月ちゃんめーっちゃ顔に出るんやもん。その癖ちゃんと直しとかんと一生うちに勝たれへんでー」
感情が表情に表れやすいというのは前々から周りの人に指摘されていたが、松雪にもわかるレベルだったのかと内心ショックだった。
というかリアルでは初対面なのにそれほどわかりやすいものなのか。
「それはさておき、フランちゃんな。話は聞いてるけど……さすがのうちもまあまあびっくりしたなあ」
「まあまあなんだ……でもそれなら話が早いね。フランの復活手伝ってくれる?」
「いやや♪」
「…………えっ」
これ以上なく楽しそうに断られて思考がフリーズする。
今なんと言った? 嫌?
「ちょ、ちょっと待ってよ。澄桜ちゃんってフランの友達じゃないの?」
「そうやで? うち友達少ないし、また会いたいなーと思てるよ。たとえあの子が電脳生命体ってやつだったとしても」
「だったらなんで…………」
縋るように尋ねる神谷に、松雪は弓なりに目を細める。
まるで追い詰めた獲物を見下ろす捕食者の顔だ。
「うーん、今って沙月ちゃんがうちに頼んでるって構図やんなー?」
「……そうだけど」
「要するに立場としてはうちが上なわけやろ。ってことは……こんなチャンス、逃すわけないやんなあ?」
「ま、まさか」
思わずたじろぐ。
まさか。この戦闘狂はこの期に及んで――――
「うちと戦ってくれたら協力したってもええよ☆」
ぱちん、と放たれたウィンクに、思わずうなだれる。
何となくこうなるような気はしていた。
いつもそうだ。神谷の最悪の予想は、いつだって現実になってしまう。
「…………ああああああもうわかったよ! 死ぬまでやってあげるから言ったこと忘れちゃダメだからね!」
やけくそ気味に叫ぶと、松雪はこれ以上なくうれしそうに頷いた。
まるで親に遊園地へ連れて行ってあげると言われた子どものように。




