227.リア凸はやめよう!
「…………へっ!? 電脳……なんて言いました?」
その日の夜、アトリエにて。
もはやほとんど自宅と化したこの場所で、ミサキはソファーに腰を下ろしている。
このアトリエもフランがいなくなったことで、実質的な家主がミサキになってしまった。
そのすぐそばのテーブルについて目を丸くしているのはラブリカだ。
さすがに衝撃的な内容だったのか、開いた口が塞がらないと言った様子だった。
「あ、あんなに自然に話してたのに……っていうか人間としか思えなかったんですけど」
「だよねー」
そうそうこの反応、これが自然だよとミサキは満足げに頷く。
カンナギとかが動じ無さすぎなのだ。
「でも、そう考えるといろんなことが腑に落ちますね」
「そうだね。わたしもまだ全部信じられてるわけじゃないけど」
「…………知りたくなかったな」
え、とミサキが視線を向けるとラブリカは慌てたように両手をぶんぶん振った。
「あ、その、違います。フランさんが人間じゃないのがやだってわけじゃなくて……」
自分でも何を言っているのか、何を感じているのか……それにいまいち整理がつかないらしく、うんうん唸っている。
電脳生命体。それが実際どういう存在なのか、はっきりとはわからない。
この世界で自然発生した、人間に限りなく近い存在。
しかし限りなく近いというのは、明確に”違う”ということでもある。
「……例えば、無事フランさんが復活したとするじゃないですか」
「うん」
「そしたら、私は今までと同じようにあの人と話せるのかなって……別に今までと何かが変わるわけじゃなくても、私の中に『この人は私たちとは違う』って意識がある……ってことになるでしょう?」
「そう、だね」
電脳生命体……ティエラと一口に言っても、その存在はAIや、もっと言えばNPCに近い。
その記憶は。その心は。その感情は――どこまで人間と同じなのか。
それから目を逸らしてはいけない。
「そうだよねぇ…………」
「ご、ごめんなさい」
深くため息を落とすミサキに、ラブリカは恐縮して肩を縮こまらせた。
ああ、そういうつもりじゃなくて、と手を軽く振ってやる。
「ラブリカはおかしくないよ。むしろ自然だと思う」
今までのフランがどれだけ人間と同じ振る舞いをしていても、たとえ人間と変わらない情緒を所持していたとしても。
そこに疑念は存在する。まさか、もしかしたらと。
彼女の言葉は全てプログラムされたものでしかないのでは? と。
「でも、たぶんそれってあの子とまた向き合わないと分からないことだからさ」
ミサキはフランが実際にどういう存在かなんてどうでもいいことだと思っている。
しかしそういう考えは少数派だろう。
どうしたって気になるものはなる。そういうものだ。
「そうですね。私もこれで終わりなんて嫌です。またフランさんと会って……話して。考えるのはそれからでも遅くないですよね?」
「うん! 心強いよ」
その言葉に、ラブリカは嬉しそうに笑う。
フランの記憶を強く持つ者たちを集める。そのためにはラブリカの協力も必要不可欠だ。
誰でもいいわけじゃない。信頼のおける相手でなければ。
「ありがとね」
「え? なにがですか?」
「フランのこと、真剣に考えてくれて」
ミサキは柔らかな笑顔を浮かべる。
フランとのことに悩むということは、それだけ彼女のことを考えてくれているということだ。
それが我がことのように嬉しかった。最初はあんなにウマが合わなそうだったのに……と涙を拭いたい気分になってしまう。
「当たり前じゃないですか。だって……あなたの大切な人なんですから」
「お。おー……ちょっとドキッとした」
そのいつもよりも大人びた表情に心臓が跳ねる。
「えへへ、やった」
いたずらを成功させた子どものように笑う彼女に、いい後輩を持ったな――と。
感慨深くなってしまうのだった。
これで神谷含めて四人。
アドマイヤはフラン復活にはそこまでの人数は必要ないと言っていたが、
「少ないよねえ……」
せめて10人は欲しいところだ。
いつも一緒だったこともあり、交友範囲はある程度被っているが、ミサキの知り合いはそこまで多くない。
心当たりを一気に集めて全員に説明し、協力を募るということも考えたが……何となく、そういう雑なやり方は違うような気がしている。
だから一人一人当たることにした。
フランの知り合い。
彼女が客としてではなく、個人的に仲良くしている相手となると。
「いるけど連絡したくないなあ……」
自室のベッドに転がり、連絡手段であるスマホを握りしめたまま寝返りを打つ。
とは言え避けることのできない相手でもある。
それに、フランのためならそれくらいのことは乗り越えなければならないだろう。
よし、と呟き、通話をかける。
しばらく電子音が続き、一分ほど経った当たりでそれが途切れた。
『――――申し訳ございません、お待たせしました』
「いえ、こちらこそ急にすみません」
電話口から響く低音。哀神だ。
白瀬がいなくなった後、もっぱら連絡窓口は彼になっていた。
マリス討伐の契約が切れた後も、『なにかあればいつでも連絡を』とのことなので甘えさせてもらった。
「あの、そちらに……えーと、クルエドロップって名前でゲームしてる方がいると思うんですけど、良ければ繋いでもらえませんか?」
「松雪ですね。今日はもう退勤しておりますので、連絡がつき次第折り返しさせますがよろしいでしょうか」
松雪と言うのか……というか本名を言ってしまっていいのだろうかと思ったが、おそらくあちらも神谷のリアルのプロフィールは把握済みなので問題は無いだろう。
……本当に無いだろうか?
「わかりました。忙しい中ありがとうございます」
通話を終えたスマホの画面をじっと見つめる。黒い液晶には顔をしかめた自分が写っている。
そんなに嫌かと呟くと、向こうも同じように口を動かした。
クルエドロップ。フランの友達。
できればあまり関わりたくない相手ではあるが――フラン復活には、おそらく不可欠だろう。
明くる日。
四限目の終了をチャイムが響き渡り、解放感が教室に満ちる。
いつものように園田が近寄って来て、今日もまた中庭に行こうかと立ち上がった瞬間だった。
「おわ」
スカートのポケットに突っ込んだスマホが振動する。
手で『ちょっと待って』と園田を止め、耳に当てると、
「あ、ミサキちゃん? うちうち、クルエドロップやでー」
「うわなんでわたしの番号知って……ってそっか。哀神さんに聞いたのか」
「そうそう。でな、あー沙月ちゃんって呼んだほうがええかな」
案の定本名を知られている……まあそれはそうだろうが。
「どっちでもいいよ」
「そっかー。でな、沙月ちゃんの学校ってどこ?」
どうしていきなりそんなことを聞くのか。
知られたらまずいのではないか――という考えが頭をよぎったが、なぜか気が付くと学校名を口にしていた。
「わかった。教えてくれてありがとうなあ」
間延びした語尾を残して通話が切れる。
しばし黙り込み、顔を上げると園田が覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
「…………大丈夫じゃないかも…………」
何となく大変にまずいことを言ってしまったのではないかという予感がした。
そして数時間後、その予感は現実となる。
「おーい神谷ちゃーん」
校舎を出ていつものように寮へと帰ろうとしていた神谷の足がぴたりと止まり、同時にどっと冷や汗が背筋を流れる。
この声は。この間延びした喋り方に、独特のイントネーションは。
長い間オイルを差していない機械のようにぎこちない動きでぎぎぎぎと首を回転させると、その先には。
「よかった、おったおった。こっちでは初めましてやね」
「う、嘘でしょ…………」
長いライトブラウンの髪。制服のブラウスの上にキャラメル色のカーディガンを合わせており、下はチェック柄のプリーツスカート。思わず腰に視線をずらすと、さすがに日本刀は持っていないようだ。
ゲーム内に限りなく近いその姿に思わず顔が引きつる。
「あっちではクルエドロップ、リアルでは松雪澄桜っていいます~。よろしゅうな~」
その少女はにこにこと人好きのする笑顔と共に、そう名乗った。




