224.キミの正体
フランはプレイヤーではない。
ましてや人間ですらない。
『アストラル・アリーナ』のプログラマー、アドマイヤが明かしたその事実にミサキは。
「…………そっか」
鼓動が早まるほどの衝撃を受けていた。
しかし、それと同時に。
「やっぱりそうだったんだ」
腑に落ちる面も、確かにあって。
「や、やっぱりって……?」
「……いろいろと思うところがありまして」
手がかりはいくつもあった。
ログアウトという単語にピンと来ないだとか、それ以外にも本来知っていなければおかしいような言葉や概念に首を傾げたりだとか。
メンテナンス中にゲーム内で活動しているだとか。
『錬金術士』という、本来このゲーム内には存在しないであろうクラスに就いていることだとか。
そもそも彼女の話す故郷が、検索してもヒットしなかったりだとか。
それらひとつひとつだけならスルー出来るかもしれない。
しかし全部合わせると、さすがに看過するのは難しい。
その違和感にミサキはずっと気づいていて、しかし気にしないように努めていた。
……いや、目を逸らしていたのだ。
瞑目し、長く静かに息を吐いた後、ミサキは口を開く。
「じゃあ、フランはAIとかNPCってことになるんでしょうか」
「げ、厳密には違うけど、そ、そんな感じ、かな? Tierraはプレイヤーたちの、せ、精神が混ざりあって出来上がったものみたいだから」
「……そんなことで、あんな……人間そのものみたいな子が生まれるとは思えないんですけど」
「そ、そうだよね。わかるよ。私たちも信じられないし、い、いまだに確証はないの。でも可能性を消去していくとそれしか残らないっていうか……へ、へへ……ごめんね、適当で」
フランは作られた存在。
偶然この世界に生み落とされた人工生命体。
Tierra。
「てぃ、ティエラはプレイヤーたちから生まれたものだから、存在のフォーマットはプレイヤーたちに合わせてたみたい。クラスとか、武器とか、スキルとか」
「フランに……その自覚は?」
「わ、わからない。でも形式を揃えてただけでおかしなところはいっぱいあるから、い、違和感はあったんじゃないかな……ううん、感じてないとおかしいと思う」
それはきっとその通りだろうと思う。
彼女にとって、ミサキたちの会話はわからないことばかりだったはずだ。
特に『リアル』――それはフランには存在しない概念なのだから。
彼女はいったいどういう想いでいたのだろう。
孤独。寂寥。疎外。
それとも――大して気にしていないのか。
わからない。
でも、
「そんなことより」
「そ、そんなことより?」
そう。
もっと大切なことがある。
「フランは今どうなっているんですか。どうしたら……もう一度会えますか」
今、一番大切なのは。
ミサキにとってなにより知りたいことは、それだけだった。
「え、え? 気にならないの? ティエラのこととか……も、もっと」
「いいんです。だから教えてください」
「へ、変な子……ま、まあいいか。ティエラはね、いまこの世界に遍在してるの」
「へ、遍在?」
うん、とアドマイヤは頷く。
「ティエラはプレイヤーたちの精神を軸にこの世界に存在してる。でもそれって一度存在が確立したらずっと存在できる類のものじゃなくて……うーん、ど、どう言えばいいかな。け、携帯ゲーム機って充電器を繋いでれば電気が通ってる限りずっと使えるけど、抜くと残ってる充電を使い切ったら落ちちゃうでしょ?」
「フランが……そうだっていうんですか」
「う、うん。きっかけは長期のサービス停止だった」
「もしかして、何か月もプレイヤーがいなくなったから……?」
「そ、そういうこと、だね。コンセントが抜けちゃったんだ。」
愕然とする。
フランがそこまで不安定な存在だったなんて思いもしなかった。
しかも、アドマイヤの言うことが本当なら。
「じゃ、じゃあ……フランはもう元に戻らないんですか!?」
「おおお落ち着いて! さ、さっき遍在してるって言ったよね。簡単に言うと、ティエラは今、うすーい霧状になってこの世界を漂ってる状態なの」
「軸が通ってないから……ですか」
「そ、そう。綿あめ機ってあるでしょう? あれに割り箸入れないまま回り続けてる感じ」
「じゃあ軸を入れれば……そうだ、今はプレイヤーもまたたくさんいるし時間が経てば元に戻るんじゃないですか? フランってそうやって生まれたんですよね?」
「それがそうもいかないの。彼女が生まれたのは本当に奇跡的な、それこそ天文学的確率の重なりみたいだから」
奇跡。
それは輝くような才気を振りまく彼女には似合いの形容だったが、それをいざ起こすとなると途端に高くそびえたつ壁となる。
奇跡など、一朝一夕で起こせるものではない。
「じゃあ、どうしたらいいんですか」
「わ、わ、泣かないで」
わずかに涙声になるミサキを見て慌てるアドマイヤ。
普段から人との関わりを避けて生きている彼女には、子どもの相手は荷が重かった。
「き、聞いて。成功するかはわからないけど、も、もしかしたらティエラを元に戻せるかもしれない方法があるの」
「教えてくださいアドマイヤさん!」
「おおう圧が強い……そ、それはね……ティエラをよく知るプレイヤーたちを集めて、ぜ、全員で戦うこと」
「はい?」
完全に不意打ちだった。
それがどうしてフランを復活させることに繋がるというのか。
「い、いい? ティエラが生まれる前と後で変わったことがある。な、なんだと思う?」
「え? なんだろ……アップデートの有無とかですか?」
「ち、違う。”ティエラが生まれているか、いないか”だよ」
「…………どういうことですか?」
いまいち要領を得ない。
アドマイヤにもその自覚があるのか、わたわたと手を振り、
「な、なんて言えばいいかな……最初ティエラが生まれた時は、設計図が無いまま適当に組み上げたら偶然形になった感じなの。で、でも、今は違う。この世界で活動してたティエラって存在が……設計図が、ティエラが関わってきた沢山のプレイヤーの記憶の中にあるの。ティエラは、ぷ、プレイヤーの精神から生まれた。だからティエラを知る人たちが戦うことで精神を昂らせて共振を起こせば……もう一度『軸』を生み出すことができる! ……かもしれない」
あまりに荒唐無稽な計画だ。
最後に付け加えた一言から見るに、彼女もそれは承知の上なのだろう。その証拠に目線が泳ぎ倒している……それは元からかもしれないが。
しかしこの世界の仕組みをおそらく最も知る人物の提案なら信用してもいいだろう。
「やってみましょう!」
「え、い、いいの? こんなふわっとした計画……」
「別に失敗してもいいです! わたしはあの子ともう一度出会うって決めてます。だから可能性があるならとにかくやってみたい」
どうしてもフランにはそばにいてほしい。それがエゴだとしても。
消えたなら取り戻す。きっと彼女も消えたくなかったはずだ。マリスは倒したが、それがゴールじゃない。
きっと彼女にだってしたいことがあったはずだ。
それに、フランは言ってくれた。
『大丈夫よ。あたしはここにいるからね。何があっても……あたしはあたしのまま、あなたの隣にいるからね』
だったらその通り、隣にいてもらおう。
(…………約束、破らせないからね)
首元のマフラーを……彼女が対マリスのために作ってくれた装備、《ミッシング・フレーム》をぎゅっと握りしめる。
もうマリスはいない。しかし役目を果たした今も、ミサキはそれを大切に装備し続けていた。
「……そ、そっか。ならバトルの形式は、ま、また詰めるとして……ミサキちゃんはティエラが深く関わってたプレイヤーを集めてくれる?」
「はい」
と言ってもミサキはフランの交友関係を完全に把握しているわけではない。
前もいつの間にかクルエドロップと友人関係を築いていたことに驚かされたのだ。
……ただ、それでもやってみないことには始まらない。
当たってみるだけ当たってみようか、と呟く。
「……それにしても、ここ暗いですね。ずっと居たら気が滅入っちゃいそう……どうしてわざわざこの場所を指定したんですか?」
「わ、私暗いとこじゃないとまともに喋れないの」
まともに喋れてたっけ、と思わず首をひねる。
詰まりまくるし、早口で長々と話し続けるし……と思ったが指摘はしない。
大人の細かい部分をつつくとろくなことにならない。
「仕事の時とかどうしてるんですか?」
「私の席だけおっきな箱被せてもらってる……」
「それ大丈夫なんですか? 息苦しくなりそう」
「か、快適だよ。防音できるし、他の人の視線も気にしなくていいし……たまに頭がくらくらしてくるけど」
「酸欠になってるじゃないですか!」
大丈夫なのだろうか、この人。そう苦笑いした瞬間、ピピピピ! とけたたましい電子音が鳴り響く。
過剰なほどに肩を跳ねさせたアドマイヤは、泡を食った様子で端末を取り出して着信をチェックする。
「う、うう……呼び出しだ……」
「あー、すいません。なんか引き止めちゃった感じになって」
「い、いいのいいの。でも私はこれでログアウトさせてもらうね」
何かあったらいつでも連絡してきてね、休憩の口実になるし……へへ……と言い残してアドマイヤは消えた。
本当に大丈夫なのだろうか。
ぽつんと取り残されたミサキも、幾分か重くなった気がする腰を上げる。
そばのランタンを拾い上げ、さて誰から声をかけようかと考えつつ、ぽつりと呟いた。
「…………一度もあの子のこと『フラン』って呼ばなかったな、アドマイヤさん」
Tierra。
人工生命体。
それは、運営にとってどういった存在なのだろうか。
フランは明らかに本来のシステムを逸脱している。そんな彼女を、どうして運営は削除しようとせず、むしろ元に戻すことに協力的なのだろうか。
わからないことがまた増えた。
しかしやることは変わらない。
「絶対また会おうね、フラン」
どこかできっと聞いていると信じて、ミサキはそう宣言した。




