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220.オトシマエ:10000


 気だるい午後の空気を吸い込むと、思わずあくびしたくなる。

 

「くぁ…………」


 口を手で隠しながら噛み殺し、神谷は涙の滲む目で教壇に視線を投げる。

 担任の中年女教師がなにやら説いているが、眠気で霞がかった頭ではろくに理解できない。


「あなたたちも今日から三年生です。今年こそが正念場ですからね。逆に言えば勉強が遅れ気味な子でも――――」


 たぶん自分には関係のない話だと判断し、再びぼんやりタイムに突入する。

 とにかく眠いのだ。春の陽気は午後になると必死にまぶたを押し下げようとしてくる。

 何というか、生活に張りがない。それもまたこの眠さに寄与している気がしていた。


 黒幕を倒してから早数か月。寒い冬から、春の四月へ。

 ミサキ――神谷沙月は高校三年生になっていた。




 『マリス・パレード』と名付けられた一連の事件の黒幕は、他ならぬ『アストラル・アリーナ』の運営・開発最高責任者の白瀬だった。

 ミサキが死に物狂いで打倒した黒幕の素顔を見ればそれは明らかで、わざわざユーザーの個人データと照合するまでも無く確定した。


 その後彼の身柄は本人の自宅から発見された。VRゴーグルを着用した状態だったそうだ。

 発見当時、白瀬はログインしたままだった。だが管理者側から強制ログアウトをしても、彼の意識は戻ってくることは無く、半ば植物状態のまま今は医療刑務所に収容されている。


 マリスの被害者たちは白瀬の打倒を皮切りに少しずつ快方に向かい、今では一人残らず以前と変わらない生活を続けているそうだ。それは素直に良かったと思う。

 マリスと化した白瀬の攻撃を嫌というほど食らった上、限界を超えてマリスの力を行使したミサキ自身もしばらくは安静にしなければならなかった。

 タイミングよく春休みに入ったのはラッキーだったと言うべきか。


 だが。

 白瀬はいまだ目覚めない。


「…………よいしょ」


「帰りましょうか」


 放課後。

 鞄を肩に引っ掛けたところでいつのまにやら近づいてきた園田に声をかけられた。

 艶めく灰髪が、傾き始めた陽光を受けて光沢を放っている。

 

「うん」


 連れ立って教室を出ると、ひときわ喧騒が存在感を増す。

 

「私たちも三年生なんですね。あっという間な気がします」


「わたしは……どうかな。トントンかも」


「トントン?」


「いつの間にか過ぎてた時もあるし、長かったなーって時もあるから」


 なるほど、と園田は頷き、廊下を歩く。

 階段を降りて昇降口へ。校舎を出ると、思いのほか強い日差しに思わず手をひさしにした。




 『マリス・パレード』は、白瀬が独断で及んだ凶行だと説明された。

 哀神や他の社員が一切気づかないうちに、裏で計画を進めていたようだ――と。


「マリス討伐の契約や報酬のことは聞き及んでいます。報酬については後ほど振り込ませていただきますのでご確認くださいますようお願い申し上げます」


 電話の向こうから重く響くテノール。哀神との通話だ。


 やっと運営のメンバーと――というか哀神と連絡が取れたのは、わりと最近のことだ。

 パステーション社は解体され、社員ごと別の大企業に吸収された。

 いろいろと大人同士のゴタゴタがあったらしいが、子どもの神谷には知る由もない。

 知りたくもない。 


「……本当に白瀬さんがやったんでしょうか」


 思いの外か細い声が漏れて、自分で驚く。

 彼が本当にあんなことをしたのかと、今でも信じられない部分があった。

 

『友人の夢だったんだ』


 心当たりはある。

 だが目的を達成するためだとしても、あんな手段を取るだろうか、という疑念が腹の底にわだかまっている。

 たったひとりで考え出したにしてはあまりにも彼の性質にそぐわない――いや、それともこれまで見せていた顔が全て嘘だったということなのか。

 しかし神谷はそんなことを信じる勇気は無かった。


「ええ、間違いありません。彼の自宅PCにはあのマリスというプログラムの痕跡が残っていました」


 …………非常に残念です。


 哀神は、心から絞りだしたような落胆を吐いた。

 昔からの友人という話だ。一番悲しいのは、おそらく彼らパステーション社のメンバーだろう。


「そう、ですか」 


「しかし幸いなことに『アストラル・アリーナ』はまだ続けられることになりました」


「……! 本当ですか」


「ええ」 


 今度はわずかに弾んだ声色だった。

 またあの世界に行ける。

 最高責任者の白瀬が犯人だったことで危うく凍結されることになったが……このたびサービス再開が決まったらしい。

 

 良かった、と心から胸を撫で下ろす。

 事件は解決してもゲーム自体が無くなりましたでは意味がない。

 平和な世界を取り戻すためにミサキは戦ったのだから。


「あなたには感謝しています。本当にありがとう」


「い、いえそんな。むしろこっちこそあの世界(ゲーム)を残してくれてありがとうございます」


 ええ、と哀神は相槌をうち、


「…………今までお疲れ様でした。これからは心置きなく『アストラル・アリーナ』をお楽しみください」


 そう残した。




 結局あの戦いで得られたのは、平和な世界(ゲーム)とたくさんのお金。

 充分すぎるくらいだと思う。

 しかし、神谷は何か大切なものを失ったような気がしていた。


「沙月さん、今日はどうしますか?」


「え。あー……肉じゃが」


「いえ、献立では無くて。今日からサービス再開でしたよね。ログインします?」


「ごめんごめん。どうしようかな……」


 歩きながらふと空を見上げて考える。

 風で泳ぐ雲が太陽に差し掛かり、辺りに大きな影を落とした。

 『どうしようかな』などと、迷うこと自体がこれまでにはなかったことだった。


 運営会社が変わったとは言っても、特に大きくゲームが変化したわけでもない。

 念願のマリスがいない世界。ならばこれまでのように心から楽しめばいいだけなのに。


 理由はわかっている。

 黒幕の正体が白瀬だったこと――その事実に神谷は傷ついているのだ。

 自分と似た境遇の人間があんな事件を起こしてしまったことが、単純にショックだった。

 要するに落ち込んでいる。


「…………うん、行くよ」


 でも、そうやって下ばかり向いているのはもったいない。

 せっかく心置きなく遊べるようになったのだから、そうしなければ損だろう。


「はい。アカネちゃんも呼んで一緒に行きましょう」


 隣で穏やかに笑う園田を見上げ、神谷も頬を緩ませる。

 悲しいことはあったけど、みんながそばにいてくれるなら大丈夫だ。


 


 そんなこんなで『アストラル・アリーナ』に降り立ったミサキを迎えたのは、ニッコニコのクルエドロップだった。


「待ってたで~」


「えっと」


 同時にログインした翡翠とカーマを振り返ると、知らない知らないと首を振る。

 となると、やはり目当てはミサキのようだ。

 いつものファンタジー世界にそぐわない制服姿で、目を細めて笑っている。


 ただ、なんだかいつもより興奮している様子なのが恐ろしい。

 腰の刀の鯉口をちゃきちゃき切りまくっているのが本当に怖い。


「なんで出待ちしてるの……?」 


「ほら、うちら約束したやんか。黒幕の正体暴きに協力した見返りに、うちと10先してくれるって」 


 そう、黒幕の素顔を暴き、その顔をプレイヤーの個人データと照合するために運営側の人間であるクルエドロップに協力を頼んでいたのだ。

 10本先取形式の試合に付き合うという条件で。


 正直言って心の底から戦いたくない。

 なぜって怖いから。

 恐ろしく強いし、首を斬ることに異様な興奮を覚えるタチだし。

 そういう理由で深く関わりたくはない。背に腹は代えられなかったとはいえ、後先考えずに約束した当時の自分が憎かった。


「あー……そんなことも……言いましたっけ……ね?」


「ゆーうーたーで」


「って言うか正体に関しては照合するまでもなくわかったんだからさ、もう良くない?」


「ふーん。そーゆー言い逃れ方するんや。ふーん」


「だ、だって……」


「うちとやるん……嫌なん?」


 うるうると瞳を潤ませるクルエドロップに、言葉が詰まる。 

 そんな顔をされると……と、助けを求めて仲間たちを振り返ると、


「約束を破るのは良くないと思います」


「論外ね」


「味方がいない!」


 がっくりと肩を落とすと、翡翠とカーマは連れ立って歩いていく。

 どうやらかばってくれる気はないようだ。

 そばにいてくれないなら大丈夫ではない……。


「さあいこかー! どこでやる? アリーナ貸し切る? その辺の草原でやる? それとも……山奥?」


「最悪の新妻みたいなこと言わないで……」


 10先ということは、最大で19戦。

 そんな数をクルエドロップと戦ったら死んでしまう。心が。

 なら適当に戦って早めに負けてしまえばいいのではないだろうか。


「言っとくけど手ぇ抜いたらすぐわかるからな?」


「心を読まないで」


「手抜き一回ごとに10先が100先、二回で10000先になるからなー」


「二乗!?」


 ずるずると引っ張られるままにどこかへと連行されていく。

 ミサキはただ、今日中に終わりますように……と祈ることしかできなかった。 


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