196.天空よりもなおピンク
沈みかけの太陽の光がちくちくと肌を刺すようだった。
スロー再生みたいに景色がゆっくり動いて――これは違う、普通に放物線の頂点が近いからだ。
(勝てない)
もうすぐ落下が始まる。
視線の先には、今しがたラブリカを放り投げたドラゴン、『スカイブルーム』がこちらを見つめている。
(頑張ってもダメだった。結局負けるんだ。私には無理だった)
特別才能があるわけではない。
このゲームにかける想いみたいなものがあるわけでもない。
戦いや競うことが好きなわけでもない。
だから勝てない。
(ぜんぶぜんぶ無駄だった――――)
自由に走り回れるこの世界でも、いまだに怪我をした足をかばってしまうことがある。
嫌というほど冷や水をかけられたから、あの時胸の内で燃え盛っていた負けん気や向上心はもう火の粉一粒残っていない。
だから届かない。
(――――本当に?)
この胸で燃えているものは何一つ残っていないのか。
この身体を前に進ませる動機は……くべる薪は、一本たりとも残っていないのか。
スカイブルームの勝ち誇ったような咆哮が聞こえる。
思わずステッキを握る手に力がこもった。
蔓に振り回され、至る所に叩きつけられても、これだけは離さなかった。
「…………そうだよ」
結局のところ、諦めが悪いのだ。
この戦いだって、ダメだダメだなんて言いながら、本当は毛ほども諦めていない。
先輩の――ミサキのことだってそうだ。
きっと彼女はラブリカを一番に選ぶことはないだろう。もっと前から大切にしている人たちがいるのだから。
それでも諦める気はさらさら無い。いつか絶対に振り向かせてやるという決意を胸にラブリカはここにいる。
そうだ。
ここにいるのは。
あのドラゴンと戦っているのは。
いったい何のためだった?
ああ、熱い。
胸が熱い。
この心で、恋が燃えている。
「【リボンローズ・ウィップ】!」
がむしゃらに突き出したステッキの先端から、光の鞭が伸びる。
ラブリカの自由落下が始まるよりなお速く、スカイブルームの胴体にぐるぐると巻き付いた。
苦しげなうめき声を上げるドラゴンは、しかしその高度を落とすことはない。
「諦めない……絶対に! お前に勝って、先輩に褒めてもらうんだ!」
光の鞭が縮み、凄まじい速度でラブリカのアバターが引っ張り上げられる。
そのまま反動で竜の上まで追い越して、なんとか背中にしがみついた。
途端、竜は振り落とそうと暴れ始める。
「【ラブエール・チャージ】、【マゼンタ・ブレーデ】……じっとして!」
強烈なバフを受け虹色に輝く魔力の刃でスカイブルームの背中を切り刻む。
【ラブエール・チャージ】は単体に全ステータス永続バフをかける強力なスキル。しかし使用者のHPが残りわずかの時にしか発動できないという制約がある。
しかし今のラブリカのHPは風前の灯。よって使用に問題はひとつもない。
幾度も斬撃を受けた竜は苦しそうに吼えると、振り落とすのは諦めたのか旋回し行き先を変える。
その鼻先は近くのビルの壁面を向いていた。あそこに突進してラブリカにとどめを刺す腹積もりだ。
ぐんと加速した背中から振り落とされないよう刃を突き立てるも速度は落ちない。
「そっちがその気なら私にも考えがあるからね……!」
今一度フランの出した条件を思い出す。
(『ボスを倒して素材を持ち帰る』――うん、いける)
魔力の刃を引き抜くと【マゼンタ・ブレーデ】の効果が終了する。
竜の背中にがっちりと足でしがみついたまま、ステッキを真下へ向ける。
もう時間がない。まもなくスカイブルームはビルへと激突し、ラブリカは死ぬだろう。
その前に。
ラブリカの持つステッキに、まばゆい光が充填されていく。
持ち主の声を今か今かと待ち望むかのように燐光を放つ。
「落ちて、【ウルトラピンク・スターライト】」
閃光が走った。
ぴたり、とスカイブルームの動きが止まる。
さっきまでの勢いが完全に消え失せ、空中で静止した。
目を突くような鮮烈なピンクの光線が放たれ、竜の体躯に風穴を空けた――そのことを知っているのは、この空でラブリカただ一人だった。
スカイブルームはその身体から力を失い、ゆっくりと落下していく。
そして当然、その背中に乗っていたラブリカも。
落ちる。
落ちる。
落ちていく。
全身をピンク色で飾った少女が落ちて、そして――――
それからおよそ十分後のこと。
「……遅いね、ラブリカ」
「そりゃあ時間もかかるわよ。あのボス強いし、空飛んでるし、しかもソロ討伐よ?」
「大丈夫かなあ」
「それ今日100回くらい聞いた」
「言い過ぎ。……ん?」
時間を潰すだけの他愛ない会話を続けていると、アトリエのドアがノックされ、そのままゆっくりと開く。
そこから覗いたのは鮮やかなピンク色だった。
「も、戻りましたぁ~……」
見るからに疲弊した様子のラブリカを見て素早く立ち上がったミサキが抱き留める。
ラブリカからすると役得と言ってもいい状況だが、行きの時とは違って作為的なものではないらしい。仕事帰りの社会人のような様子でぐったりと身体を預けている。
「おかえり、ラブリカ。おつかれさま」
「……えへへ。それが聞けただけでも頑張ったかいがあります」
疲労からかいつもより幾分か緩んだ笑顔を見せるラブリカに、ミサキもまた笑う。
そんな二人を苦笑しながら眺めるフランは、表情を引き締め、
「さて、あなたの頑張りの成果を見せてもらいましょうか、ラブリカ」
挑発的な笑み。
それに応じて頷くラブリカはミサキから離れ、アイテムストレージを操作する。
するとその手に現れたのは血よりも赤い深紅の花だった。
「《空源の竜花》……これですよね」
「……! ええ、確かに」
花を受け取り確かめたのち、フランは自分のストレージにしまう。
それを見ていたミサキはあることに気づいた。
「あれ、レベル下がってない?」
ラブリカの頭上に浮いているプレイヤー名表示の隣に小さく表記されたレベルを示す数字が、行く前と比べてひとつ減っている。普通はボスを倒したのだから増えることはあっても減ることはないはず……と、フランがひとつの可能性に思い至る。
「あなたもしかして一度負けた?」
このゲームではデスすると経験値が大きく減少し、時にはレベルが下がることもある。
だから敗北して、リスポーンして、それから再挑戦して勝利したのかとフランは考えた。それはそれで移動時間を考えると早すぎる気もするが……。
それを聞いたラブリカはきょとんとして、
「んー? 違いますよ?」
「じゃあどうして……」
「ちゃんと勝つのが無理そうだったので相打ちになったんです。正確には勝ってすぐ落下死したんですけどね」
そう。
あの時、『スカイブルーム』にとどめを刺して高空から落下したラブリカは、普通に死んだ。
だがドロップしたアイテムだけは残っていたので、何食わぬ顔でアトリエに持ち帰ってきたというわけだ。
「だ、だったらあたしの出した条件を果たせてないじゃない」
「そんなことないですよ。フランさんの言った条件は『ボスを倒して素材を持ち帰ってくること』……でしたよね?」
勝ち誇るような笑顔。
確かにフランは勝ってこいとは一言も言っていなかった。
「だってさ、フラン」
「……はあ。わかった、あたしの負けよ」
もしかしたらフラン自身も無意識に条件を緩くしていたのかもしれないが、真相はわからない。
ミサキの言う通り甘かったのかもしれない。それが悪いことだとは思わないが。
実際のところ、彼女はきちんと勝ってきたのだから。
「しばらく……そうね、一週間くらい待ってて。さいっこうの武器をあなたのために作ってあげる」
観念したように笑うフラン。
ラブリカは喜びを抑えきれないようにその身を震わせた。
「~~~っ、やった……!」
「おめでとうラブリカ。これからよろしくね」
「はいっ! それで、なんですけど……」
もじもじと指を遊ばせるラブリカに、ミサキは首を傾げる。
「私頑張ったので……その、頭を撫でてくれませんか」
「えー? どうしよっかなー」
「ええ……!?」
少し意地悪を言うとこの世の終わりみたいな顔をするので、ミサキは思わず吹き出してしまう。
「ごめんうそうそ。それくらいならいつでもやるよ」
桃色の髪に手を置いて、優しく梳くように撫でてやる。
ラブリカは気持ちよさそうに目を細めてされるがままになっている。
「……ありがとうございます。ほんとに」
ああ……本当に。
たったこれだけのことで、こんなにも幸せだ。
手から幸福そのものが浸透してきているようだった。
「ありがとうございます」
これがゲームで良かった。
現実だったらきっと、泣いてしまっていただろうから。




