193.月の懐へ
前にもこんなことがあった。
「マリスとの戦いを――私にも手伝わせてください」
真剣な表情で紡がれたラブリカの言葉に、ミサキは言葉を失う。
真摯な瞳と視線がぶつかる。助けたいというシンプルな想いがその表面で弾けているかのようだった。
「……ミサキ。この子に話したのね」
ラブリカの言葉だけでそのことを察したフランに頷きを返す。
……いつかこんな時が来るんじゃないかとは思ってたんだけどね。
そうため息をついたフランは静かに、諭すような口調でこう言った。
「その頼みは聞けないわ」
「…………っ」
「聞いてると思うけど、マリスは普通の人間が太刀打ちできるようなものじゃない。強いとか弱いとかそういう次元の話じゃないの。無理なのよ」
プレイヤーたちとは別の位相に存在するマリスは通常の攻撃が一切通じない。
だからミサキたちはマリシャスコートを纏い、自身をマリスと同じ位相に移動させることで交戦を可能としている。
そう、あくまでも交戦を可能にするもの。
つまりそれが無ければ土俵に立つことすら叶わない。
「わかってますよ……でも、でも……!」
悔しそうに唇を噛むラブリカを静かに見つめる。
ミサキも同感だ。マリスとの戦いは危険で、他の誰かを巻き込むなんてありえない。
フランの言う通り、そもそも戦うこと自体できないのだからなおさらだ。
だから断らなければならない。
大切な友達を――そして後輩を危険にさらすわけにはいかない。
「――――」
しかし。
ラブリカの姿が、いつか見た姿と重なった。
『私、神谷さんの――――が――――です!』
前にもこんなことがあった。
助けたいという誰かの想いをはねのけた時があった。
相手の身を案じて、差し伸べられた手を突き返す。
それが本当に相手のためになるのだろうか。
本当にその人のことを考えるのなら。
信頼して、その手を取ることが正しいのではないだろうか。
『どうして……大丈夫って言うんですか……!』
その涙を。
『な……なんで、そんなに優しくするんですか……そうやって先輩が優しくするたびにっ……すごく痛くなるんです……苦しくなるんです……! もう……嫌なんですよ……』
その悲しみを。
自分は、まだ見たいとでもいうのだろうか。
泣かせてばかり。
悲しませてばかり。
そんなのはもうごめんだ。
この子が恥ずかしくないような先輩になると誓ったばかりだったはずだ。
「わかってちょうだいラブリカ。あたしたちは――――」
「いいよ」
「え?」
端的な言葉にフランが振り向く。
ラブリカもまた驚きに目を丸くしている。
「ありがとう、ラブリカ。お願いしていい?」
「ちょ……ミサキ! あなた何言ってるか……」
「わかってるよ。マリシャスコートはもう作れない。だから戦えないラブリカがいても危険なだけ……そうでしょ?」
「……その通りよ。わかってるならどうして……」
「ごめんね。わたしやラブリカのこと心配してくれてるんだよね」
意地悪で言っているわけではないことくらいわかる。
フランは何度もマリスと対峙して、目の前でミサキがマリスに侵されるところも目の当たりにして、その危険度を身に染みて理解しているからこそだ。
「……だからラブリカにはマリスとの戦闘以外で活躍してほしい。例えば前みたいに街中でマリスが出た時には他の人たちを避難させてもらったりとかね」
マリスに攻撃を当てることはできなくても防ぐことならできるし、ラブリカなら後衛からミサキたちにバフをかけることだってできる。
直接戦わなくとも貢献はできるはずだ。
「……ミサキはそれでいいの?」
「うん。それに、事情を話した以上は無関係ってわけにもいかないしね」
それが誠意だとミサキは思う。
安全なゆりかごに閉じこめることだけが”大切にする”ということではない。
「あたしはやっぱり反対。……ねえ、ラブリカ。あなたマリスに感染したことがあるでしょう。その時の記憶はまだなくなったまま?」
「……話を聞いて、おぼろげですが思い出しました」
「そう。だったらその怖さもわかってるでしょう。あんなことがまた起こるかもしれないのよ」
「それでも私の気持ちは変わりません」
ラブリカの決意は固い。
きっとミサキからあの話を聞いてからよく考えたのだろう。
危険も恐怖も理解して、その上でここに来たのだろう。
フランにもそのことは理解できる。
「……じゃあ条件を出すわ」
「条件、ですか?」
「あなた、もっと強くなりなさい。少なくとも自分の身は自分で守れるくらいにね」
そうでなければ後ろは任せられない。
……それに、これは確信めいた予感だが、この先マリス以外とも戦う機会が訪れる気がするのだ。
というのも、マリスをばら撒いた黒幕と対峙することがあったとして、彼……もしくは彼らはマリスの力を使わないかもしれないからだ。
確かに力を得ることはできるしマリスの力以外では太刀打ちできなくなるが、フランからすればあの力はリスクが高すぎる。
そんなことを考えつつ、フランは適当な紙片を取り出して地図を書き記し、ラブリカに渡す。
「その場所にいるボスを倒して素材を持ち帰ってきなさい。そうしたら認めるし、その素材を使った武器も作ってあげる」
「フランさん……わかりました。さっそく行ってきます!」
勢いよく立ち上がるラブリカ。
「よし、じゃあわたしもぐぇっ」
「あんたはダメ」
続いて立ち上がったミサキのマフラーを思い切り掴んで座らせる。
ひどいよー……と文句を言ってみるも、フランはつんと聞く耳を持たない。
「一人で行かせないと意味ないでしょう」
「う……そうだね。頑張って、ラブリカ」
「はいっ!」
元気よく返事をして、ラブリカはアトリエを後にした。
残されたミサキとフランの間にしばし沈黙が落ちる。
「……優しいんだ、錬金術士さんは」
「うっさい」
「いたたた」
怒りの鼻をつまみで思わず悲鳴を上げる。
だってあんな条件、もう認めているようなものだとミサキは思う。
それにわざわざ装備まで作ってあげるなんて。
フランは果たせないような条件を出すような子ではない。だから本当は、もう受け入れているのだろう。
ラブリカの意志の強さは今のやり取りで充分にわかったはずだから。
つまりこれは形式的なもの。
もちろんラブリカがボスに勝つという前提あってのものだが。
「言っておくけど楽な相手じゃないわよ。あたしだって出し惜しみしたらソロじゃ勝てない相手なんだから」
「そ、そうなんだ」
……大丈夫だろうか。
結局心配になってしまうミサキだった。




