188.ともだおれんあい
ここに来るのは二度目だった。
初めてはあの人が熱を出して学校を休んだ時。
原因不明の焦燥感と罪悪感にまみれた訪問だった。
先輩の匂いがする、なんてベタなセリフではあるけれど。
こうして来てみると、確かにここで生活しているんだなと理解させられる。
学生寮の二階。
階段から二番目に近い部屋。
神谷沙月の部屋に姫野はいた。
『そんなことでいいの?』
『ダメですか?』
『う、ううん。いいよ。じゃあ――――』
放課後、部活が終わったと連絡したら迎えに来てくれた神谷に連れられて、ここに来た。
否が応でも緊張してしまう。
何といっても好きな人の部屋だ。前回は楽しむ余裕なんて無かったが――いや、今回も余裕はない。
ベッドとローテーブルに、PCと勉強兼用と思しき机。
モニターに繋がれたゲーム機の数々と携帯ゲーム機がいくつか。
漫画がそこそこ入っている本棚の上にはVRゴーグルが無造作に置かれていて、窓から差し込む夕日がその銀色をきらめかせた。
姫野のゴーグルは少し遅れて発売したピンクカラーのモデルなので、この初期色は逆に新鮮だ。
先輩はいつもこれを被ってあの世界に行っているんだな、としみじみする。
「ごめん桃香ー、ちょっと開けて」
ドアの外から聞こえた声に反応して、主が帰ってきた飼い犬のように立ち上がる。
言ったとおりに扉を開けると、神谷の両手はプラスチックのトレイで塞がっていて、そこには菓子盆とジュースの入ったコップが乗っていた。
「あは、見栄張って紅茶とか出したかったんだけど無かったや」
「だいじょぶです。私紅茶飲めないので」
何となく風味が受け付けない。幼稚園のクリスマス会で初めて飲んだ時から苦手なままだ。
そんな回想をよそに、そうなんだとトレイをテーブルに置いた神谷は首を傾げる。
「あれ、でも今日ミルクティー買ってなかったっけ」
「それは……ちょっと間違えちゃって」
あの時はかなり焦っていたこともあり、ろくに確認しないままボタンを押してしまった。
結局教室に帰ってからあーちゃんに押し付けることになったが、本人は喜んでいたのでよしとする。
神谷はおもむろに菓子盆に乗った小袋をつまむ。
姫野もそれに倣って包みを開くと中のクッキーを口に放り込んだ。
しっとりとした触感と程よい甘さが口の中に広がる。何となく、前に二人で行ったパンケーキ専門店のことを思いだした。
「それで、今日はどうして来ようと思ったの?」
「……先輩のことを知りたくて」
「え、なに。インタビューとかする感じ」
「違います違います。もっと……なんていうか、フランクな感じで」
話している間にも神谷は次々と小袋を開け、クッキーをばりばり食べていく。
きょとんとした表情からあまり意図が理解できていないようだ。
実のところ、姫野も同じだ。
神谷の部屋を訪れたのだって半分は勢いのようなもので、明確なプランに基づいた行動ではない。
ただ、気がつけば『先輩のお部屋に行きたいです』と口にしていた。
「そ、そう! 恋バナとかしません!?」
勢いとは恐ろしいもので、気がつけばそんなことを口走っていた。
今日はほんとにだめかもしれない。口のブレーキが大破している。
「恋バナと言うと」
「こ、恋の話です」
「だよね」
うーむ、と神谷は思わず腕を組む。
恋。恋とは。
以前一度向き合うことになった概念ではあるが、再びこのような機会がやってくるとは思わなかった。
姫野はどうしてわざわざそんな話題を振ってきたのだろう。
そこまで話題に困ってしまったのか……などと見当違いなことを考えつつ、まあいいかと置いておく。
神谷は普段細かいことはあまり気にしないようにしている。そういうこともあるか、と。
なので最初はジャブとして無難な質問から投げることにしてみた。
「桃香は好きな子とかいないの?」
「うぃひ!?」
クリティカルヒットである。
まさかあなたです、とは言えない。
いや追々は伝えるつもりだが……しかしそうやって機会を待っているだけでは泥沼……と煩悶している間にも動揺と恥ずかしさでどんどん顔は熱くなっていく。
可愛らしく首を傾げる神谷を横目で見つつ、わかっててやってるんじゃなかろうか、と疑心暗鬼になってくる。
「い……います! けど!」
「え、いるの! だれだれだれ、わたしも知ってる人? あれかな、取り巻きさんの誰かとか」
「この人めっちゃぐいぐい来ますね! 秘密です、しーくれっとです!」
そうなんだ残念、とそこまで残念ではなさそうに言う神谷。
このやりとりだけで一週間分の疲れを姫野は味わった気分だった。
そういう趣旨ではないのだ。
「違うんですよ、今日は先輩にマウントとってボコボコにする日なんです」
「殴られるのわたし」
「間違えました。質問攻めにするだけです」
「マウントは取るんだ……まあでも、なんでもするって言ったしね」
どんとこい、と胸を張る神谷。
「じゃあ……今までお付き合いをしたことは?」
「ないよ」
「……意外です」
「それどころじゃなかったからね」
恋愛というものが身近になるのは早くて小学生、大抵は中学生あたりだ。
前者はともかく、後者に関しては姫野も聞いていた通りバスケ部に入った結果人間関係がめちゃくちゃになったそうなので、さもありなんという感じだった。
そういう相手がいないことにほっとしつつ、次の質問に移る。
「初めてキスしたのはいつですか?」
「……なんかもうやめていいかな」
「照れないでくださいよ!」
だんだんと頬が染まってくる神谷につられて姫野も顔の熱が冷めなくなってしまう。
いったいなにが行われているのか当人たちもわからなくなってきた。
面接か、尋問か、それとも羞恥プレイか。
問題は執り行う側もダメージを負っているというところだが。
神谷は「あー……」とうめき声を漏らして天を仰ぎつつ答える。
「…………去年」
「え…………」
存外近い。
さーっと顔の熱が引いていくのを感じながら震える声で姫野は問う。
「あ、あ、あの……お相手は……」
「……………………ひみつ」
姫野の頭に特定の顔が浮かぶ。
おそらく、間違いなく、あの人であると。
「当ててもいいですか?」
「やだ」
「その――――」
「わーわーわー! 次いこ次!」
ばたばたと手を振って大声でかき消す勢いに押され口をつぐむ。
あまり踏み込まれたくないということなのだろうが……そこまで相手を大事にしているんだ、と落ち込んでしまう。
……付き合ってないのにキスはしている?
新しい疑問が生まれたが、おそらくこの様子を見る限り答えてはくれなさそうだ。
というか、姫野自身も若干限界が来ている。
自分が今何を言っているのかもわからなくなってきた。
「じゃ、じゃあ次です。先輩って……えっt」
「わーーーーーー! 何言おうとしてるのばかばかばか!」
「むぐぐ」
とうとうリンゴのようになってしまった神谷に口を塞がれうめく。
「わ、私いまなんて言いました?」
「知らない! もう、そういうこと聞くんだったら今日はこれで終わりだからね」
ぷんすか怒りつつ、神谷は立ち上がりドアへと歩いていく。
怒らせてしまっただろうかとしょんぼりしていると、
「ほら食堂いくよ。そろそろ晩ごはん作るから」
それを聞いて窓の外を見ると、いつの間にか日が落ちていた。
今日の姫野はここで夕飯を食べ、風呂に入り、寝る。
つまりお泊まりである。




