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186.棚から埋蔵金みたいな感じ


「桃香ちゃん、お醤油取ってくれる?」


「んー」


 姫野家食卓。

 ごく普通の一般家庭といった風のダイニングで父、母、兄、桃香の四人が夕食をとっていた。

 それなりに会話をし、それなりに無言がある。

 特筆することもないただの食卓だ。


「最近部活の方はどうなんだ、桃香」


「特になにも無いけど……普通にやってるよ」


 父の質問に何となく返す。

 部活……バスケ部のマネージャーとしての活動は順調だ。

 先輩たちも優しく、自分自身のモチベーションも高い。何となく、支える楽しさみたいなものを知りつつあるように思う。

 怪我でバスケができなくなったことにはもう折り合いがついている。ただ、親としてはまだ心配なのだろう。

 だからこうしてたびたび部活について聞いてくる。


 大丈夫だと何度も言っているのだからいい加減信じてほしいんだけど、と思いつつも、怪我をした当時のことを考えると心配にもなるだろうと納得したりもする。

 だから姫野桃香は律儀に今日も応えるのだ。


 兄は特に何も言ってこない。

 もともと口数が少ないのもあるが、ずっと黙って見守ってくれている。

 本当にありがたいことだと思う。


 そんな風に若干感じ入りつつ煮物の大根を箸でつまんだ時だった。


「んー!」

 

 部屋着にしているショートパンツのポケットに入れたスマホが振動し、慌てて取り出す。

 通話の着信だ。そこに掛かれている相手の名前を見て、桃香は思わず目を見開いた。


「こら桃香ちゃん。行儀悪いでしょう」


「ええと、えええと……!」


 母親の軽いお叱りには目もくれず、慌てて立ち上がるとわたわたとスマホを握りしめたままテンパり倒す。

 とにかく早く出なければ。


「ご、ごめんねママ! 後で食べるからー!」 


 顔を真っ赤にして食卓を後にし、慌ただしく階段を駆け上がる。

 そんな娘の様子を、両親は驚いた様子で見送った。


「……好きな子でもできたのかしたら」

 

「えっ」


 母と父を尻目に兄は無言で白米を口に運ぶ。

 そのまなじりはわずかに緩められていた。




「お、お待たせしましたっ!」 


 自室に戻り、なぜか正座して通話を繋ぐ。

 その勢いが面白かったのか、向こうから笑い声が聞こえてきた。

 

「こんばんは。どうしたのそんなかしこまっちゃって」


「こんばんは……! かしこまっちゃってますか!」


「かなり」 


 直接会う時はそうでもないのに、こうして電話越しだと急にテンパってしまう。

 耳に当てたスマホを握り直しながら浮足立っているのを自覚した。

 神谷に対して日に日に平静を保てなくなっていく。きっとそれだけ想いが募っているのだろう。


「うう……そ、それで今日はどうしたんですか?」


「ああ、えっとね……前に『ユグドラシル』のことで助けてもらったでしょ」


 以前、ミサキとフランが拠点としているアトリエが『ユグドラシル』というギルドに奪われかけたことがあった。

 理不尽な行いに彼女らはどうすることもできなかったが、そこで声を上げたのが桃香だった。

 数百人のプレイヤーを集め、デモを敢行し、なんとか交渉を成功させた。

 団体戦で勝てば取り下げる――と。

 結果ミサキたちはその団体戦で勝利し、アトリエを守り切った。


「ありましたね。それがどうかしたんですか?」 


「うん。あのね、改めてほんとにありがとう。すごく助かった」 


「……えへへ。だったら頑張って良かったです」


 あの時はただ、助けたいという思いでいっぱいだった。

 大好きな人が困っている。なら、自分にできることをできる限りやらねばと必死で。

 それで喜んでくれたなら――助かったと言って貰えるのなら。

 それだけで満足だった。


「でね、そのことなんだけどお礼がしたくて」


「お礼、ですか?」


「うん! わたしにできることならなんでも言って」


 その言葉を聞いた瞬間、桃香はフリーズした。


 なんでも。

 なんでも?

 なんでも!


 なんでもとは、つまりなんでもということだろうか。

 NANDEMO?

 何をしてもらうべきなのだろうか。何が最適解なのだろうか。

 数多のアイデアが頭に浮かび、すべて消えていく。何もかもが”違う”と感じる。


「自由って……不自由なんですね……」 


「なんで急に哲学に目覚めたの!?」


「ちょ、ちょっと待ってください。すぐ考えますので」 


 待ってとは言ったものの、そうそう思いつくわけでもない。

 ああでもないこうでもないと唸っていると、通話の向こうで神谷が噴き出したのが聞こえた。


「な、なんで笑うんですかあ!」


「あは、あははは! ごめんごめん、ちょっとね」


 顔が真夏の日差しを浴びたように熱くなる。

 きっと耳まで真っ赤になっていることだろう。

 通話で良かった。こんな顔を見られたら恥ずかしくて死んでしまう。


「今決めなくてもいいよ。ゆっくり考えてくれればいいから」


 あとそんなに重く考えなくてもいいからね、と残して通話を終えた。

 通話履歴には07:22と残されている。たったの7分でここまで疲労するのかと愕然とした。

 さっきから脳内では思いついては打ち消してを繰り返している。

 こんな調子で決まるのだろうか。


「うあー!」 


 大事そうにスマホを抱きしめたままベッドにダイブし、ひたすらごろごろと転がる。

 代わり映えのしない自室の天井に見られているような気がして、さっと目を逸らす。

 とにかく落ち着かないと……と深呼吸を繰り返した。


 恋愛というのは厄介なもので、自分が全くコントロールできなくなってしまう。

 そんな混沌とした坩堝に桃香は放り込まれていた。


「こまったなあ……」


 階下から母親の呼ぶ声が聞こえる。

 でもまだ降りられそうにはない。

 困っているのに、天にも昇るような気持ちだった。


 ちなみに夕飯は冷めたし、その晩は寝られなかった。

 

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