171.青空が降ってきた
山岳エリアに衝撃音が響き渡る。
ところどころに穴の開いたいびつな石板のような形状のマリスが、その穴を発射口にして漆黒のレーザーを射出する。
「諠台ケア縺ョ陷?ー玲・シ!」
石板からノイズがかった叫び声が響く中、マリシャスコートを纏ったミサキは小さな丘を駆け上がって飛び上がる。
空中で軌道が折れ曲がるレーザーを掻い潜り、さらに直撃しそうなものは影を操り迎撃していく。
「……っ!」
肩に焼けるような激しい痛み。
横目で一瞬だけ確認すると、右肩に穴が開いていた。防ぎ切れなかったのだ。
しかしミサキは怯まず空を蹴ってマリスへと跳躍すると、握り締めた拳で黒い石板を叩き割った。
撃破されたマリスは粉々に破壊され、青い光に包まれたかと思うと消滅した。
「勝っ、た」
とりあえず被害は防ぐことができた。
周囲に他のプレイヤーはいなかったし、地形データがあちこち傷つく程度で済んだのは僥倖だ。これなら自動的に修復されるだろう。
マリシャスコートを解除し、深いため息をつく。
今回のマリスは変わった形状だった。今までは何かしらの生物や架空のモンスターをモチーフにした外見だったが、今回は無機質にして無機物。
それに少しずつマリスが強くなっているような気がする。何か嫌な予感が漂うが、今のミサキにそこまで考えを巡らせる余裕は無かった。
あんなに嫌だったマリスとの戦いが、今はどこか安らぎを与えてくる。
この拳を握りしめても誰も傷つかない。勝てば誰かを助けることができる。
「…………なに考えてるんだ、わたし」
誰も傷つかないなどというのは嘘だ。
マリスに感染したプレイヤーは事実として、ミサキからのダメージを受けているのだから。
それでも誰かと正面切って戦うよりは幾分かマシだった。
ふもとへ続く道を振り返る。
さすがにユスティアは追ってきていないようだった。
マリスが出て全力で走り出したのは、もちろん早急に討伐しなければという考えによるものだ。
しかしもうひとつ、ユスティアから逃げるという目的もあってのことだった。
山岳エリアは草原エリアから遠く離れた場所にある。
わざわざここまではこないだろう――と、そう高を括っていた。
びゅう、と一陣の風が吹く。
確かにユスティアは来なかった。
だが。
「ミサキ!」
「フラン……」
青空から降る、聞きなれた声に思わず見上げると、青い箒にまたがった魔女が降りてきた。
魔女なのは見た目だけで、実際は錬金術士だが。
あの箒は《ゼロヨンF2》。世にも珍しい完全自由飛行を可能にするアイテムだ。
着地したフランは箒をしまい、近づいてくる。
「最近どうしたの? アトリエにも全然顔出さないし、翡翠たちはそっとしておいてあげてくださいとか言うし」
「……あー、あは、ごめんごめん。最近忙しくてさ」
軽薄にそう口にした瞬間フランの目が吊り上がり、失敗したことを悟る。
フランはずいとミサキの顔に自分の顔を近づけ、その青い瞳で表情を検分する。
何秒かじろじろと見られたあと、顔が離れる。
「だからあなたは隠し事が下手なんだって何度言えばわかるんだか」
「…………」
「ひっどい顔。鏡見たら?」
自分の顔なら毎朝見ている。
それはもう、明らかに悩みを抱えている人間の顔だった。
「あたしはね、怒ってるの」
「え?」
「辛いことがあったんならすぐにあたしに頼ってきなさいよ。相棒なんだから話くらい聞いてあげるわ」
怒っている。
それはきっと真実なのだろうが、ミサキの目にはどちらかと言うと悲しんでいるようにも、悔しがっているようにも見えた。
ふがいない自分を責めているようなフランの肩は、少しだけ震えていた。
「ごめんねフラン」
「謝らなくていいわよ」
「……うん、ありがとう。えへ、やっぱり……結構きつかったみたい」
目の奥がじんと痛み喉が熱くなる。
思っていた以上に限界が近かったらしく、思わず俯く。
フランが来てくれただけで、こんなにも安らいでしまう。
「…………泣いてるの?」
「ううん」
泣きはしない。
だって、
「この世界に涙はないから。それに――わたしはもう何があっても泣かないって決めてるんだ」
顔を上げたミサキは、強がるように笑った。
とりあえず二人で連れ立ってアトリエに帰還し、テーブルを挟んで椅子に座る。
「…………はい、じゃあ聞かせてもらいましょうか」
「んん? なにこれ面接? っていうか事情聴取?」
困惑するミサキは首を傾げるが、ドン! と床に勢いよく突き立てられたフランの杖に思わず姿勢を正す。
どうしてここまで激詰めされてるんだろう……と縮こまる彼女ではあったが、この状況は致し方ない。
何しろ連絡のひとつもなく何日もめそめそするばかりで、フランのことは放置だったのだから。
「なんでしばらく顔出さなかったの?」
「や、その……ちょっと落ち込むことがあって」
「ふうん、ちょっと。ちょっとのことでこんなに心配をかけるわけね。ふうんちょっと」
「すっごく落ち込むことがありました!」
思い切り頭を下げる。
フランがこんな風に拗ねるのは珍しい。
ミサキの態度に少し溜飲が下がったのか、少しだけ表情を柔らかくする。
「で、なんでそんなにヘラってたの」
「へ、ヘラ……よく知ってるねそんな言葉」
「いいから」
少し強引とも思えるふるまいに少し言葉が詰まる。
どこまで言っていいものか――あのエルダの姿まで、話していいのだろうか。
そもそも理解されるのかもわからない。
(…………ううん)
ここまで来て話さないのも違うだろう。
「ちょっと前のことなんだけど――――」
「はあ。つまり自分はめちゃくちゃ楽しんで対戦してたけど、負けた相手はそうじゃなかったから落ち込んでると。自分が勝ったせいで相手が楽しめてなかったのが辛い、と……なるほどね」
「う、うん」
「甘えんなーーーーっ!!!」
どかーん。
火山が爆発したかのような怒声が響き渡り、ミサキは小さな身体をますます縮こまらせる。
「負けたら楽しくないなんて当たり前でしょう! あんた勝負事をなんだと思ってるわけ!?」
「だ、だ、だってぇ……」
「だってじゃないっ! はーほんと強者特有の傲慢きっつ!」
「ひ、ひどいよ……」
「うちのママもそんな感じだったわ。あー思い出してムカついてきた!」
ミサキへの憤りに思い出し怒りが上乗せされさらにヒートアップしていくフラン。
地団太でも踏みだしそうな激しさでまくしたてる。
「負けたら悔しいし、嫌な気持ちにもなるし、歯を食いしばって努力したりもするの。それは勝つためよ! 勝って喜ぶため!」
「勝って……喜ぶ」
「それを上から目線で勝手に憐れむんじゃないわよ!」
「…………そっか…………」
自分の考えに愕然としたのか、肩を落とすミサキ。
それを見て頭が冷えたフランは、それはそれとして――と思いにふける。
(……まあ、何を言ってもこの子が今落ち込んでるのも事実だからね……)
とりあえず元気を出してもらわなければいけない。
そしておあつらえ向きの企画はすでに用意されている。




