154.それもまたきっと
控室のモニターでは、ライラックのスキル【破骸】によって巻き起こった大爆発が翡翠を飲み込んだ様子が映し出されていた。
大地がめくれ上がるのではないかと思えるほどの規模の攻撃に、フランは思わず口を手で覆った。
「そんな、翡翠……」
どうみても生き残れたとは思えない。
しかしミサキとカーマは涼しい顔をしていた。
「大丈夫だよ」
「いや大丈夫ってあなた……」
「あのねフラン」
ミサキの黒い瞳がフランを見据える。
全く揺れていない凪いだ瞳。それは彼女の心を映しているかのようだった。
ミサキは、翡翠のことを何も心配していない。
「わたしはね、勝てるメンバーを揃えてきたつもりだよ。『ユグドラシル』が弱いとは言わない、むしろかなり強いほうだと思う。それでも――負けない。正直に言うと、全勝して当然くらいに思ってる。それくらい力の差があると思う」
そもそも勝つことが大前提。ミサキはそう語る。
信頼とは少し違う。自信でもない。千と万を比べて万の方が大きいと指すように、厳然たる事実として自分たちは客観的に相手を上回っていると、そう言っている。
ね? とカーマに同意を求めると『はいはい』とすげなく返されてしまったが。
侮っているわけでも驕っているわけでもなく。
自分の仲間はそれくらい強いのだと知っているだけのこと。
「だから――ほら見て」
指さす先を、フランは思わず追う。
その先では――――
もうもうと上がる砂煙を、ライラックは棺桶の陰から半身を出しておそるおそる覗く。
「倒れてくれたかな……?」
早く終わらせたい。
そうすれば姉もきっと――と。
思いを馳せるライラックの華奢な肩を、高速で飛来した弾丸が貫いた。
「ぅあ……っ!?」
激しくダメージエフェクトを散らしながら後方へ勢いよく倒れたところで、ようやく自分が撃たれたのだと自覚した。
それほどに予兆がなく、それほどに目視が敵わないほどの弾速。翡翠がいた砂塵の中を注視していたはずなのに気づけなかった。
重く感じる上体を何とか起こし、煙幕の中を目を凝らして見る。
そこにはゆらりと立ち上がる影。
少しずつ晴れる視界の中、翡翠がその姿を現した。
「どうやってあの爆発を防いだの……!」
「防いだ、というのは少し違いますね。避けたんですよ」
あの時。
爆発を起こそうとしていた髑髏を前に、翡翠はとっさに足元にありったけの弾丸を打ち込むことで即席の塹壕を作り出し、その中に寝そべった。
このゲームの攻撃判定はかなり厳密に設定されており、【破骸】の爆発は地面を覆ったものの、穴の中まで及ぶことは無かった。
「そこで、反撃のこれです」
翡翠の手には見覚えのないスナイパーライフルが握られている。
さっきまでは双銃を装備していたはずなのに――しかしその意匠はその双銃と共通している。
そこでライラックは思い至った。
「……もしかしてお姉ちゃんを倒した人の武器と同じ……」
「ご名答です。私の銃はカーマちゃんの《パラレルエトランゼ》と同じ素材から作られた武器。どんな射撃系武器にも変形できる能力を持っています」
フランに依頼してオーダーメイドしてもらった武器だ。
苦労に見合った性能が翡翠の力をさらに強固なものにしている。
『換装』と呟くと、ガシャン! とその形状が双銃に戻った。
二人は間合いを測りつつ、機会を窺いながら円を描くように歩く。
「あなたはさっき言いましたね。勝てばお姉ちゃんが愛してくれる――と」
「そ、」
どうしてか喉が詰まった。
空気を求めるように口をぱくぱくと開閉する。
「……そう、だよ。勝てばきっと……」
きっと認めてくれる。
役に立てば。だめな自分じゃ無くなれば。
ぜったいに。
「勝たないと愛してくれないんですか。それは本当に……愛ですか」
「――――――――」
どきりとした。
視界が揺れ、呼吸が浅くなっていく。
ライラックがどうにか見据える先の翡翠は痛ましいものを見るような瞳をしていた。
「…………私は」
胸に手を当て、秘めた宝物の重さを確かめるようにして、翡翠は言う。
「……私はミサキさんを愛しています。この世の何よりも。それはあの人が私を大切にしてくれるから……というのは関係ありません。この胸の内からただ溢れ出すもの、それが私にとっての愛です」
愛するようになったきっかけはある。
今も愛し続ける理由だってある。
しかしそんなものはあってもなくても変わらない。
ただ、当然のものとしてそこに想いがあるだけだ。
「し、知らないよ。ライラは愛なんて知らない。だって、だって――――」
両親はいなくなった。
自分を捨てて、どこかへ行った。
今の父には疎まれている。
でも、姉は。リコリスだけは、最初だけは、きっと愛してくれていた。
そんなおぼろげな一欠片に縋らねば、ライラックという少女は生きていけなかった。
野垂れ死にそうなとき、切れ端だけ齧ったパンの味を求めているかのように、今もただ失われた姉の愛を求めて彷徨っていた。
「ライラは、お姉ちゃんしか……知らないんだよ」
震える手で握ったチェーンを振るい叩きつけられた棺桶を、翡翠はバックステップでかわす。
さらに空中で武器をショットガンに換装したかと思うとすぐさま弾丸をまとめて発射し、目前に突き立てられた棺桶ごとライラックを吹き飛ばした。
「あうっ!」
この子をこのままにしてはおけない。
ひどく悲愴だ。顔を真っ青にして、全身を震わせ、必死の思いで立ち続けている。
愛されるということは、肯定されるということだ。きっとこの子はそれを姉からしか貰えなかった。
だからきっと、もしこの先ライラックが他の誰かから愛されることがあるとしても、彼女はそれを愛として認識できない。その誰かの想いを取りこぼしてしまう。
「お姉ちゃん……助けて……お姉ちゃん……」
「ミサキさんからあなたのことを少し聞きました。すごくおどおどしていたのに、とても強かったと」
翡翠も同じ意見だ。
こうして戦ってみると、一筋縄ではいかない相手だと感じる。スペシャルクラスに至ったものが弱いはずがない。
そして、その強さはきっと、
「お姉さんのためだったんですよね。強くなって、役に立てるようになれば……と」
自分にその価値があれば認めてもらえる。
だから姉の始めたゲームで、その価値を作ることができれば彼女の愛をまた享受できると、そう考えた。
「でも、勝利は愛の条件ではないんですよ」
翡翠はミサキを脅かすものが嫌いだ。
だからユスティアのことも嫌悪している。ミサキを守るため、是非もなく参戦した。
だが、あの時。
試合前、アリーナのロビーでリコリスにライラックが突き飛ばされた時、ユスティアはそれを咎めた。
あの倒れたライラックを見た時の表情は、本気で彼女のことを案じているものだった。仲間を――ライラックを、大切に想っているのだとわかった。
そしてミサキだって。
始めて会ったあの日からライラックのことを心配していた。
彼女に対してできることは無いかと歯がゆそうにしながらも。
ライラックのことを愛している人はいる。姉でなくたって。
誰かと関わっていけば、きっと見つかる。
ライラックが思っているより、本当はありふれているものなのだ。ただ今は見えなくなっているだけで。
翡翠はそれに気づいてほしかった。
「だから私はあなたに敗北を贈りましょう」
残酷なことを言っている。
翡翠がどう思おうが、どうしようが、今のライラックは勝利にこだわり、それしか求めていない。
だから負けた時、彼女は深く絶望するだろう。
しかし。
だとしても、少しだけでも彼女の視界を広げてあげたい。
ただのエゴかもしれない。それでも翡翠はそうしたかった。
今の自分だからこそ、似た境遇のライラックへとできることがあるはずだから。




