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150.月を絶つ刃

 

 凍てつく戦場を見下ろす。

 こうしていると昔の記憶が蘇ってきた。

 今まで必死で目を逸らしていた、私がこうなった原因。


 妹がうちに来たのは私が11歳の頃だった。

 そのころにはすでに両親は離婚していて、私を引き取ることになったお父さんが連れてきたのが莉羅だった。

 小さく、幼く、おどおどしていて、しかし可愛らしい子だった。


「私がお姉ちゃんだよ。よろしくね」 


 そんなことを、確か言ったように思う。

 そのころはまだ何も知らなかった。

 どうしてお父さんはお母さんと離婚したのか。

 そしてどうしてお母さんと会わせてもらえないのか。それが当時は悲しかった。


 当時はまだ妹と仲が良かった……はずだ。

 突然姉妹になったことと、莉羅が引っ込み思案だということが合わさってぎこちなくはあったが、二人並んでアニメを見たりしていたような記憶がある。

 少しずつ、姉としての実感がわいてきた。 


 それも中学までだったが。


 そう、中学のころだ。

 父と、私と、妹の三人で食卓を囲んでご飯を食べ、先に食べ終わった莉羅が部屋に戻ったときのことだった。

 話がある、とお父さんは言った。嫌な予感がした。


「実は…………」


 自慢ではないが、当時の私は周りより大人びていたと思う。だから父もそれを話そうとしたのだろう。

 でも、私はまだ子どもだった。『大人びている』という形容は、子どもにしか使われない。

 大人の事情なんて受け止めきれない。


 だから離婚の原因が母の浮気だったことに、私は最初理解が追い付かなかった。

 そして浮気相手と蒸発したことにも。彼女たちが置き去りにした子どもが莉羅だということも。


 世界の全てが一瞬で裏返った。

 これまで幼心に信じていた、綺麗できらきらしていたものの何もかもが歪んで、視界がぐるぐると回った。

 気が付くと私はトイレに駆け込んでいて、胃の中身をまるごと吐き出していた。


 気持ち悪い。

 

 不貞を働いた母も、そんな関係から産まれた妹も、それを引き取って育てようとする父も、全部全部気持ち悪かった。

 父はそんな私を心配していたが、もう以前みたいに笑いかけることはできなくなった。


 妹に罪はない。

 そんなことはわかっている。

 だけど、彼女の存在が私の心をひどく傷つける。

 

 そうしてしばらくの時がたった。

 こんなこと、誰にも相談できない。学校の友達に話せば絶対に引かれる。

 家族になんてもってのほかだ。他ならぬ原因なのだから。

 だが私はその時気づいた。


「そうだ、先生になら」  


 その時の担任は20代後半ほどの、男の先生だった。

 歳が近いこともあってか親しみやすく、生徒からも慕われていた。

 きっとあの人なら聞いてくれるはずだ。


 そうして、勇気を出して放課後に時間を作ってもらって――意を決して話をした。

 だが、私の期待は裏切られることとなる。

 面倒そうな顔をした瞬間に止めておけばよかったと、今の私は振り返る。


「はは、気にしすぎだよそれくらい。紫紅(しくれ)はもしかして潔癖すぎるんじゃないか?」 


 作った笑顔から出たその言葉に、私の頭は真っ白になった。

 その日は気づけば家にいて、呆然としていた。


 気にしすぎ。

 それくらい。

 潔癖。


 そんな言葉が頭を回って止まらない。

 気にしすぎなら、どうすれば気にならなくなるのだろうか。

 『それくらい』でここまで苦しむのなら、これ以上があるのだろうか。

 潔癖? そんなもの、どうやって治せばいいのだろう?


 気づけば私は泣いていた。

 頬を伝う涙を拭うことすら億劫で、感情の激流に押し流されそうだった。


 辛くて悲しくてどうすればいいのかわからなくて、溢れるように弱音を吐いてしまった時、「それくらいで」と言われたらどうすればいいのだろう。

 それくらいで悲しむことが許されないなら泣くことも出来ない?

 笑えばいいのだろうか。


 いったい、どれくらい追い込まれれば悲しんでいいのだろう。

 辛さ、悲しさ、それらはその人自身のものではないのだろうか。

 それでは駄目なのだろうか。


 すべてが板挟みだった。

 父親は笑顔で私に姉であることを説いてくる。

 妹は何も知らず、私を姉として慕ってくる。

 

 私だってそれに応えたい。

 だけどもう無理だった。

 自分自身すらも『これくらいで』と心中で苛んでくるのだから救いようがない。


 そうして泣き明かした次の日から――私は笑えなくなっていた。

 同時に枷が外れた。私は大っぴらに妹を拒絶し、疎むようになった。

 それが原因で父とは不仲になった。家の中に、私の味方はもういない。


 そんな中、逃避のために始めた『アストラル・アリーナ』――そこでユスティアと出会い、ギルドに勧誘された。

 彼女は確固たる正義を持っていた。現実ではないからだろうか、ふとこぼしてしまった家庭の事情も親身になって聞いてくれた。この人と、共にいたいと思った。


 ……妹もこのゲームを始めていて、しかもギルドメンバーだったのは誤算だったが。

 ただ、現実と外見が違うからなのか、自分の身体が生身ではないからなのか、ゲーム内でだけ嫌悪感は薄らいでいた。

 それでもどうしても好きにはなれなくて――彼女はどうしてこんな扱いをする私をいまだに慕ってくるのだろう。 

 

 いっそ嫌ってくれればいいのに。





 戦場は氷に支配されていた。

 地面も空中の足場も、氷に覆われていない部分を探すのが難しいほどで、あちこちから氷柱が突き出している。

 カーマは走りながら上空の足場に立つリコリスを見上げる。するとその手がすうっと掲げられ、なにかを呟いたかと思うと、巨大な氷塊が隕石のごとく落下してきた。

 

 素早く武器を大剣に変形させる。片腕のない状態ではうまく扱えないが、身体をがむしゃらにひねり、遠心力を借りて力任せに振り回す。


「【イラプション・ディバイド】!」 


 ほぼ真下から真上へと、激しい火炎を伴う切り上げによって氷塊が両断される。

 まだ彼我の距離は開いている。しかし技後硬直によってカーマの足が止まり、その隙に氷刃の雨が撒き散らされる。

 

「換装!」


 だが、その距離がこの瞬間に至っては有利に働く。

 氷刃がカーマへと届くまでに硬直は解除され、短剣へと変形させたことで底上げされたスピードによって氷雨の隙間を駆け抜ける。


 氷柱を蹴る。

 跳ぶ。

 走る。


 一気に距離を詰め、リコリスへ飛びかかった。

 

 「逃げないわよね――【モーメント・ディバイド】」


 光のごとき一閃が迸る。

 しかし攻撃判定の発生と同時、ガキィン! という耳障りな音が響いた。

 振り返るとリコリスの眼前に氷の盾が現れている。おそらくこれに弾かれたのだ、と理解すると同時に短剣を刀へと変形させた。


「逃げたりしない」


 リコリスの周囲に二本の氷の槍が出現し、カーマめがけて飛来する。

 技後硬直が終わると同時、必死に身体をひねったが一方は脇腹を掠め、もう一方は肩を貫いた。

 ダメージエフェクトと共に痛みが弾け、視界が赤く染まる。HPが危険域に到達した証だ。


 だが怯まない。

 だんっ! と力強く踏み込み、刀を鋭く振るう。

 剣閃が氷の盾を砕き、しかしすぐに復活した。

 だが攻撃は最大の防御。盾を再生している間はろくに反撃ができなくなる。


 オートガードの間隙をつけ狙う斬撃を、リコリスは決死で凌ぎ続ける。

 狭い足場の上で繰り広げられる攻防――しかしこんなものはいつまでも続かない。 

 絶対に隙を見せる。その時までなんとか防ぎきってみせる。


「私は妹から逃げ続けたんだ……! でも、だから……ここだけは、ユスティアのための戦いだけは絶対に逃げない!」


 吠えるリコリスに、カーマは笑う。

 彼女の境遇などわからない。逃げているのも確か。しかし、その瞳には決意の光が宿っていた。


「だったら、あんたが逃げ出さないうちに終わらせてあげる!」


 カーマは大剣に換装すると、渾身の一振りで氷の盾を粉々に叩き割る。

 そして――インパクトの瞬間に片手剣へと換装、返す刀でリコリスを切り裂いた。


「うぁあっ!」


「まだまだ――――」


 刀に換装、袈裟懸けに切りつける。

 短剣に換装、意趣返しのごとく肩口に突き刺し切り払う。

 続き薙刀に換装、胴体を薙ぎ払うように切り裂いた。


「太刀筋が……全く読めない……!?」


 リーチ、そして攻撃の軌道。刻一刻と変化し続けるそれらの要素によって対応が一切間に合わない。

 驚嘆すべきはそれらの武器を瞬時に切り替え使いこなす技量だ。こんな変形速度、普通なら使う側がついていけなくなる。


「さあ、時間よ」


 そして、その時が来る。

 片腕が砕け散ってから60秒。よって再生する。

 すかさず双剣へと換装すると、その刀身が輝いた。


「【パンタレイ・ディバイド】!」


 刀身が消えた――いや、目にもとまらぬ高速連続突き。

 突進と同時に繰り出された無数の刺突がリコリスの身体を穿ち、足場から突き落とす。

 

「ぐっ……だがお前も落ちているぞ! 私は氷の足場を作って助かる――お前の負けだ!」


 突進技であることが災いした。

 勢いあまってカーマまでも落下を始め――しかし彼女の口元には笑みが浮かんでいる。


「関係ないわ。落ちてる間に終わらせるから……換装ッ!」


「なに……?」


 落下しつつ技後硬直を消化し、直後双剣が変形する。

 一つに合わさり、伸び、湾曲する。

 それは三日月形の刃を持った、大鎌だった。


 その刃が赤黒く禍々しい光を放つ。


「まさか、」


 重く響く重低音と共に一閃を放つ。

 起動コードを使わずにスキルを発動させる技術、サイレントスキルによって【デッドエンド・ディバイド】が放たれ、全てを断ち切ってしまいそうな赤黒い斬撃がリコリスに襲い掛かった。


「ぐあああああっ!」


 だが紙一重。

 とっさに生成した氷の盾に阻まれ威力が減衰し、とどめには至らなかった。

 しかしリコリスの視界もまた赤く染まり、HPは風前の灯火と化している。


「ならみせてあげる。『グリムリーパー』最上位スキル――――」


 再び赤黒い光が刃に満ちたかと思うと、その内側から破り出るようにして純白の光が溢れ出す。

 地上まであと10m。それまでに決める。


 直前の【デッドエンド・ディバイド】をはるかに超える鮮烈さを放つ刃を、眼下のリコリスへと全力で振るう。


「――――【ルナティック・ディストラクション】」


 音が消えた。

 光に満ちて――すべての氷がはじけ飛び。


 決着が訪れた。




 勢いよく地面へ激突するリコリス。

 大して難なく着地するカーマ。


 落下中にとどめを刺し、空中でバトルはすでに終了している。よって落下ダメージは存在しない。


「負け……た……」


 呆然と空を見上げるリコリス。

 それを一瞥し、少し迷った末にカーマは歩み寄る。


「あのさ」


「なんだ。私を笑いに来たのか。空っぽなやつだと……」


「違うわよ。あと、あんたが戦う理由は別に空っぽじゃなかった……と、思うわ」


 思わず目を見開く。

 

「……あのさ。あんたんとこの事情は分かんないけど、やっぱり一度妹さんと話してみなさいよ。それでやっぱり無理ってなったら仕方ないし、もしかしたら何か変わるかもしれない」


 じゃあ何かあったら気軽に連絡していきなさい、と言い残してカーマは去って行った。

 リコリスの身体も淡く輝き、転送が始まっている。


「……全く、知ったような口を」


 最後まで図々しいやつだった。

 人の気も知らず土足で踏み込んで来て……しかしその眼差しはまっすぐで、真剣だった。

 しなやかで鋭い、刃のような少女。カーマ。


 今更向き合うなんてできるはずがない。

 しかし……いつか。


 いつかそんなときが来ればいいのに、と。

 かすかな想いがリコリスの胸に灯された。


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