146.桃色ゴネ得ネゴシエーション
思うところがないと言えば嘘になる。
「……はーあ。お金がもったいない」
アトリエは静かだ。
なぜか今日に限って客も来ない。
こぽこぽと音を立てる錬金釜のふちを指でなぞってもほこりひとつない。
あの『ユグドラシル』というギルドが、いきなりやってきたと思えば理不尽な理由でこのアトリエを買い取るなどと言いだしたときは驚いたし、正直腹も立った。
当然フランもこのアトリエに思い入れはある。自分の手で作り上げて、その過程でミサキとも出会って、二人でこれまでやってきたのだ。
罵倒のひとつでも飛ばしてやろうと思ったのは確か。
でも、そうしなかったのは――ミサキが自分よりもよっぽどショックを受けていたから。
目を見開いて、唇を引き結んで、拳が震えるほどに握りしめて。
――――なんでそんな諦めるようなこと言うんだよ!!
「……どうしてでしょうね。あれを見たら……」
いいかなって、思えてしまった。
そんなに大事に思ってくれてたんだって、嬉しくて。
それこそ怒りを忘れるほどに。
「ま、いつか何かの形で”お返し”はしてあげるつもりだけど…………ん? なにかしら、外が騒がしいわね」
このアトリエが大通りの外れに位置するとは言え、直線距離だけなら近い。
だから喧騒が耳に届くこと自体は珍しくないのだが、今日は程度が違った。
好奇心を働かせたフランはアトリエを出て、大通りに出向く。
「な、なにこれ」
そこで見たものは――――
別に何をするでもないが、いつものようにログインしたミサキは、タウンの雰囲気がいつもと違うことに気づいた。
ざわついている。明確に音として聞き取れるわけではないが何かが違う。浮ついている、に近いかもしれない。
「おい、あっちですげえことになってるってよ!」
「見に行くかー!」
そんな時、近くで話していた男性プレイヤー二人組がそんなことを言って走って行った。
首を傾げつつも足がそのあとを追う。
「なんだろ」
ログイン地点である中央広場から北へ。
走るほどに遠くからの声が大きくなっていく。人だかりが増えていく。
北区はギルドハウスが多く建てられているエリアで、ここへ来るものはみんな屋内にいることから普段はこうまで賑わうことはない。
『――――――、――――――――!!』
だから遠くに大行列を見つけた時は思わず目を疑った。
「なにこれー!?」
その集団は北区の大通りを塞ぐほどに集まって闊歩していた。
みなプラカードやボードを掲げて叫び、何やら主張している。
「あっ、ミサキ!」
「フラン!」
呆然と行進を見守っていると見慣れた金髪が脇から声をかけてきた。
フランもこの騒ぎを聞きつけてきたのだろうか。
『フランのアトリエの買取を許すなー!』
『許すなーっ!』
「ええ!?」
思わず耳を疑う。
今彼らは何と言った?
「ど、どういうこと?」
「あたしにもわかんない。でも一時間くらい前からこの行進は始まったみたい」
「な、なんで……? このことは誰にも言ってないはずなのに……」
そこでふと思い立ったミサキは周囲の建物の壁や窓のふちを使って素早く屋根の上まで登り、行列を見下ろす。
ここから見てもなかなかの規模だ。人数は絶対に三桁を下らないだろう。彼らの持っているプラカード類にはさっき主張していたのと同じ、アトリエの強引な買取に反対する文言が踊っていた。
それを確認し、目当て――先頭へと視線を移す。
そこには知っているピンク頭があった。
「ラブリカ……!」
どうして、と一瞬頭が混乱の坩堝に叩き込まれそうになるがすぐに思い当たる。
誰にも言ってない? そんなことはない。
ただひとり、抱えた悩みを打ち明けた相手がいた。
確認したミサキは高速で屋根を走り行列を追い越したかと思うと一気に飛び降り、ラブリカのそばへと着地した。
「何やってんの!?」
「あ、ミサキ! 見ての通りですよ」
突然降ってきたミサキに驚きもせず笑顔になるラブリカに対し、行列は騒然とする。
『お、おいミサキだ』『ほんとだ』『本物?』『何言ってんだよあの小ささはミサキだろ』『かわいい……』『どうしてここに?』『どうでもいいよ、拝んどけ』『それもそうね!』
なにやら合掌し始める集団にミサキは思わずたじろぐ。
「な、なにこれ……ていうか小さいって何?」
いや、気にするべきはそんなことではない。
この規模。そしてこの行動。並大抵のことではない。
「なんでラブリカはこんなことを……それにどうやってこれだけの人数を集めたの? 」
ミサキの投げかけた質問に対し、ラブリカは手振りで行列を先行させた後、可愛らしく口元に指を当てて「んー」と考え込み、
「まず理由ですが、簡単なことですよ。私はミサキのことが大事なので、あなたが困っているならできる限りのことをします。そして――――」
微笑したまま行列の後を追うラブリカについていく。
おかしな状況だ。ミサキは何もしていないのに、気づけばこんな大事になっている。ただラブリカに離しただけだというのに。
まるで風が吹いたら桶屋が儲かったような――そこまで迂遠ではないが、水面を軽く叩いただけで津波が起きたような気分だった。
「――――取り巻きに……私の友人たちに連絡したんですよ。それから――――」
代表である兄を経由して取り巻きたちに繋いでもらった。
なんでもフランのアトリエが潰されそうになっている。何とかして阻止したい。
都合のいいことを言っているのはわかっている。それでも。
――――お願い。大切な人の大切な場所が奪われそうになってるの。
取り巻きたちも、いままでごめんと、余計なことしてごめん、距離を置いてしまってごめんと、頭を下げてきた。
ぜひ協力させてほしいとも。
そのあとはミサキファンクラブにも同じ内容を伝達し、そこから人脈を辿ってフランのアトリエにお世話になった人たちを味方につけた。
結果集まったのは300人超。極めて突発的な行動ではあったが、これだけの人数が集まり、始まったのがデモ活動。
あのアトリエを好きにさせないための行進。
「ごめんなさい、勝手なことして。でもじっとしてられなかったんです」
「……そっか。そうなんだ」
なんとなく感慨深い気持ちだった。
こんなに大勢の人たちが自分たちのために動いてくれたのか、と。
むずがゆいし、申し訳ないというう気持ちもあったが――嬉しかった。
「じゃあ私、先頭に行ってきますね。一応言い出しっぺなので……あ、先輩はこのへんで待っててください」
「え、なんで?」
「こういう説得は当事者がいると真実味が薄れるんですよ!」
任せてください、とウィンクを残してラブリカは走り、先頭へと追い付く。
デモ活動をすることで関係のない一般プレイヤーにもなにが起こっているのかを知らしめる。あわよくば”味方”を増やす。そしてもちろん向かう先は、
「なんの騒ぎですか!」
『ユグドラシル』のギルドハウスのドアを勢いよく開いて現れたのはギルドリーダーのユスティアだ。
ここまで騒げば出てくるとは思っていた。
ユスティアは眼前に広がる集団を見渡し、彼らの持っているプラカードを見てなにが起こっているのかを把握したようだ。
「――――これはどういうことですか? 首謀者は?」
吊り上がった眉。
冷たい声色。
そんなものには怯まずラブリカが一歩前に出る。
「私です」
「説明をお願いしたいものですね」
「見ての通りです。あのアトリエの買取を取り消してもらいに来ました」
「……ミサキさんとフランさんに頼まれでもしたんですか?」
「いいえ。私たちは、私たちの意志でこうして集まっています」
ミサキを連れてこなかったのはこのためだ。
あくまでこれは本人たちとは関係のないところで起こしていると印象付ける目的。
「ご存じないのですか? 彼女たちは不正をしています。味方をするなど――――」
「その認識が間違っているんです!」
『そうだそうだ!』と大人数が異口同音に同意する。
ユスティアが睨み付けると怯んだが、ラブリカだけはその勢いを失わない。
「いいですか、これだけの人数があの二人のためにこうして集まっているんです。ここにいるみんなだけじゃない、二人に助けられ、好きになって、だから助けたいって思った人たちがたくさんいるんですよ!」
PKに襲われそうになったところをミサキに助けられた者。
彼女の試合に魅せられたもの。
装備の相談を、フランに親身に聞いてもらった者。
他愛ない話を笑って聞いてくれたフランのためにここにいる者。
それ以外にも数えきれないくらい――これまでこのゲームで、ミサキとフランは擦過じみた関わりを無数に繰り返してきた。その結果がこのデモに繋がった。
「不正なんてあの人たちはするわけないんですよ」
「…………そんなこと、わかるはずがありません。表でどうでも裏では…………」
「じゃああなたはあの人たちの裏を知ってるんですか? その上で二人を悪だと断じているんですか」
「……………………っ」
自分の考えに間違いはない。
現実として、ミサキとフランが仕様外の力を使っているのはまず間違いない。
根拠がどちらにあるのかと言えば、間違いなくこちら。ラブリカたちは結局心情ベースに訴えているに過ぎない。
しかし現実として、あの二人を擁護する勢力がここまで膨れ上がっているのも事実。
たった二、三日でここまで。
「……それでも撤回するつもりはありません。正しいのは……私です」
それでも、自分の中の正義だけは揺るがぬものとして持っていなければ。
頑なにユスティアは主張し続ける。
対するラブリカとしても、あわよくば撤回してくれればと言う思いがあったが、やはりそうはいかなかった。
聞いていた以上に、そして想像していた以上に頑固だ。こうして取り囲んで大事にすればふつうは怖気づくと思っていた。
正直、もう手札はない。結局のところラブリカという少女一人にできることはそこまで多くは無く、数の力を借りてもここまでが限界だった。
だから、最後のカードをここで切る。
「……なら」
「…………?」
最後のカードと言ってもそれは切り札ではない。
弱弱しい、ただ最後に残っただけの札。
だけど頼らざるを得ない。
「あの人たちと戦ってください」
「なに…………?」
「戦えば、真正面からぶつかれば、不正をするような人かわかるはずです」
戦う。
無論ユスティアとしてはこの提案を受ける理由はない。理屈の通らない、めちゃくちゃな主張なのだから。
突っぱねて、無かったことにして、追い返してしまえばいい。
しかし心の片隅に引っかかった疑念がそれを留める。
本当に彼女たちは討つべき悪か? と。
不正をするような人間に、道を外れた人間のために、このラブリカのようなまっすぐな瞳をした少女がここまでの事を起こすものなのか、と。
「チートなんかじゃない、努力に裏打ちされた強さを――その目で確かめてください」
「……………………いいでしょう」
驚いた。
そんなことを口にする自分自身に。
だが……そうだ。疑念は消し去らなければ。
正義には一点の曇りすら許されないのだから。
「あなたの口車に乗ってあげましょう。彼女たちの善悪は、この目で確かめることとします」
戦いが始まる。
ミサキにとって、一番得意なフィールドだ。
(さあ、これで舞台は用意しましたよ――がんばってください、先輩)
これがラブリカの戦い。
人を集め、言葉を尽くし、伝える。
それこそが彼女にできる唯一のことだった。




