144.おしまいの足音
「あなたたちはこの世界の秩序を乱す存在です。そこで提案ですが……この世界から出て行ってくれませんか?」
「――――――――」
いつかはこんな日が来るのではないかと思っていた。
ミサキたちの持っているアイテムはほとんどチートに近いもので、それがマリスを倒すために必要で、そして手に入れたきっかけが偶発的なものだったとは言えまっとうな代物ではないことは確かだ。
マリス関係の出来事に関しては運営側ができる限りの情報統制を敷いているが、それも完全とはいかない。
だからこういった手合いが出てくることも当然だった。
「……こういうのって一介のプレイヤーがどうこうできるものじゃないんじゃないの。運営には言った?」
「もちろん。しかし『調査中』の一点張りでした。だからこうして直接本人に出向いてきたというわけです」
ため息をつきたくなってくる。
運営はマリスに関して秘匿するスタンスを取っている。だから何も言えることはないということなのだろうが……隠し通せるものではない。事実として奴らは発生し、被害者を生み、当然目撃者だって多くいる。
口さがない者はこう言った。『奴らは運営と繋がっている』と。
何も知らないミサキたちのファンはこう言った。『あの子たちがそんなことをするはずがない』と。
ラブリカの取り巻きが流した噂はすでに関係なく、そういった見られ方をされている。
そして、彼らの考えはどちらも正しく、どちらも間違っている。
運営と繋がっているのは本当だし、(本質的に)不正をしているわけではないのも本当だ。
マリシャスコートを纏った状態ではマリスにしか攻撃が通らなくなる。だからミサキたちは対人戦で使うつもりが一切ない――が、そんなことは使用者しか知る由のないこと。
ナイフを持って歩いている人がどれだけ安全を訴えても、それを素直に聞き入れるものは稀有だ。
「手荒なことはしたくありません。”それ”を今すぐ削除してくれると言うのなら不問にします」
「それは……」
思わず首に巻いたマフラーを掴む。
これはマリスを倒すために必要なもの。
……いや。それが無くともフランが作ってくれた大切な装備だ。
「ごめん、できない」
「なぜですか?」
「それは言えない」
ミサキとユスティアの視線がぶつかる。
マリスを狩るバイトをするにあたって身内以外には極力情報を漏らさないという契約をしている。
ただ、それが無かったとしても事情を教えるつもりはない。マリスに関わる全てのことを、プレイヤーたちからは遠ざけていたい。
「…………ならば仕方ありません。私は、私の正義に従い、私のできるすべてを持ってあなたたちを排除してみせます」
「どうするって言うの? タウンじゃ戦闘はできないけど……それともあたしたちがタウン外に出たところを狙うのかしら」
「フランさん、ですね。あの不正アイテムを作ったのはあなたですか」
「不正ってところはいつか訂正させるとして……そうね、あたしよ」
「そうですか。ところで……マイホームが買い取りできるということをご存知ですか?」
「はあ? いきなり何を……まさか」
ユスティアの言う通り、マイホームは他人から奪うことができる。
ただ、そのサイズに応じて莫大なクレジットが要求されることが原因で誰も活用していない死にシステムだ。
そもそも他人の家を勝手に奪えること自体がおかしいとされ、プレイヤー間ではタブーになっている。
だが。
「『ユグドラシル』の資金力を使えばこの小さなアトリエを奪うことくらいは可能……ということです」
「なっ……」
思わず立ち上がるミサキ。
このアトリエが無くなる?
ここは大切な場所だ。フランと過ごしてきた、この世界での自宅ともいえる場所。
それが奪われるとなれば黙っていられない。
さりとて《ミッシング・フレーム》を手放すなどありえない。
「き、聞いていないぞユスティア! 話し合いで解決するはずだっただろう!」
慌ててユスティアの肩をつかんだのはスズリだった。
極めて焦燥した様子でまくしたてるも、当のユスティアは柳に風といった調子で、
「『善処します』と――そう言っただけです」
「…………っ」
「あまり騒ぎ立てるのは好きではありません。……大人数で押しかけてしまっていますし今日のところは帰ります。ミサキさん、私も強制したくはありませんので……次訪れた際にはいい返事を期待していますよ」
そう言い残して、『ユグドラシル』の面々は去って行った。
ただ一人、スズリだけがその場に立ち尽くしたままだった。
「……すまない! こんな……こんなことになるんて思ってなかったんだ……!」
顔を覆って崩れ落ちるスズリに慌てて駆け寄る。
哀れなほどに肩を震わせ、現実なら涙を流していたであろう有様だった。
「……仲間ができて舞い上がってたんだ。ミサキという友人がいると話して……そこから話が膨らんで、対戦動画でも見ようという話になって……」
「……それで偶然見つけちゃったんだね、あの動画」
頷くスズリ。
その手は袖の刺繍を強く強く握りしめていた。大樹を模した、ユグドラシルの紋章。
「そこから気づけばミサキたちを排除するという話になって……私がどれだけ弁解しても聞いてくれなかったんだ」
「どうしてあのギルドに入ったの?」
「最初はピオネに誘われたんだ。アリーナでの戦いを見てくれたらしくて、ぜひって」
そう言えば前に会ったときギルドに入ったと嬉しそうに話していた。
あの時はこんなことになるとは思っていなかったのだろう。
ピオネの名前が出たとき、フランが眉を動かしたがそれを見るものは誰もいない。
「ユスティアもあんな感じじゃなかった。ちょっと頭は固いけど、正義感が強くて仲間想いって感じのリーダーだった。でも最近あんな風になってしまったんだ」
それを聞いたミサキはフランとひそかに視線を交わす。
もしかしたらマリスの影響を受けているのでは? ……その可能性を心に留める。
「わかった、スズリもあんまり気に病まないで。たぶん……遅かれ早かれこうなってたと思うから」
スズリはミサキの言葉に逡巡した後、「ほんとうにごめん。また説得してみる」と言ってアトリエを後にした。
「――――…………」
「…………」
アトリエに静寂が落ちる。
いつもは当たり前の景色のひとつひとつがいやに目に入ってきて、ここで過ごした記憶が喚起される。
フランと出会ったときはなんと怪しげな場所だろうと思ったものだが、それがいつの間にか当たり前になっていた。
そんな中、フランが肩をすくめてため息を落とす。
「ま、こうなった以上アトリエを手放すしかないでしょう」
「い、いやだ……いやだよそんなの」
赤ん坊がいやいやをするように首を振る。
こうまでか細い声を出してしまったことに、ミサキは自分で驚いた。
「”これ”をまだ手放すわけには行かない――そうよね?」
「それはそうだけど……でも」
「そろそろ移転するのもありじゃないかしら。そうだ、カンナギに頼みましょうか。前に大きいアトリエ作ってくれるとか言ってたし」
「……っ、なんでそんな諦めるようなこと言うんだよ!!」
努めて明るく話すフランに、思わず声を荒げてしまい、慌てて口を閉じる。
苦渋の表情で俯くミサキの頭を撫でて、フランは言う。
「こうなってしまった以上仕方ないのよ。まああいつらの好きにさせるのは癪だけど……居場所はどこでだって作れるわ」
「……駄目だよ、こんな理不尽なの……」
何かこの状況を打開する策が無いかと頭を巡らせる。
白瀬に連絡してホーム買い取りの強制力を無くしてもらうか?
いや、このタイミングでそんなことをすれば今度は運営と癒着しているという噂に信憑性を与えてしまうだけだ。
どうにかして『ユグドラシル』の資金を減らす方法でもあればいいのだが、非現実的だ。
スズリの説得も、ユスティアのあの調子だと聞き入れることは無いように思う。
フランの言う通り、ここはとりあえず諦めてしまうのが賢い選択かもしれない。
別にアトリエはここだけではないし、新しいマイホームだってまた作れる。カンナギに頼むというのも選択肢のひとつだろう。
だが、それでも。
「いやだ、こんなの」
八方ふさがりの状況で、ミサキはただ諦めたくなかった。




