143.来襲する正義の使者
包み紙にくるまれたハンバーガーにかぶりつく。
「んー、この世界でもジャンクフードはけっこうおいしい」
VRに感覚や意識を落とし込んでいるに過ぎないこのゲームではリアルに比べ感覚が弱化する。
特に味覚が顕著で、食べ物や飲み物の味が曖昧になりがちだ。その代わり嗅覚に関しては遜色ないので香りを楽しむという点においては劣らない。
ジャンク特有の濃い味付けに舌鼓を打ちつつ、ミサキは行儀悪く食べ歩いてアトリエへの道を辿っていた。
リアルならこんなことはしないが、ゲーム内でならソースをぶちまけることもバーガーを落とすことも人にぶつかって服を汚すなんてこともない。
優等生のちょっとした悪さを楽しんでいると、アトリエへの曲がり角に差し掛かった途端、知っている人影を目にした。
「あれ、スズリ」
巫女服剣士が何かを探しているようにおろおろ辺りを見回している。
彼女にしては珍しく慌てているようだ。困っているなら是非もない。助けられることなら助けてあげようか――と歩み寄ろうとした瞬間向こうの目がこちらを捉えた。
「み、ミサキちゃん!」
「んん?」
これがリアルなら息せき切っていただろうという勢いで縋り付いてきた。
その様子には毅然としたいつもの姿はどこにもない、以前に見せた、いわゆる”素”のスズリ。こんな往来でここまでなりふり構っていないということはそれほどの何かがあったのか。
「ちょ、どうし――――」
「今すぐログアウトして!」
「…………いやいやいや、意味がわかんない。そんなに慌ててどうしたの」
「……っ、理由は……言えない。とにかくログアウトして、しばらくログインもしないで。そしたら……たぶん、ほとぼりも冷めるはずで……」
いったいどういうことなのか。
ミサキがこの世界にいると何か不都合なことでもあるのか。
混乱する頭でなんとか考えを巡らせようとした時だった。
「スズリさん!」
その声にスズリの背筋が伸びる。
目つきが変わり、いつもの調子を取り戻す。
共に声のした方を見ると、そこには見覚えのある女騎士がいた。数人の仲間も連れて。
「ユスティア……」
「そちらは……ああ、手間が省けました。やはりスズリさんは優秀ですね。あなたがギルドに入ってくれたことを嬉しく思います」
「ギルドに入ったってもしかして」
スズリの服の袖をよく見てみると、大樹をモチーフにした刺繍が施されていた。
以前会ったときには気づかなかったものだ。ギルドに入ったということだけは聞いていて、そのうち紹介するという話はしていたがその後音沙汰がなかった。
友人とは言え普段からべったりするような間柄でもないのでそのうちどこかで会うだろうとは考えていたのだが、まさか自警ギルド『ユグドラシル』のメンバーだったとは。
しかし、このスズリの態度。ミサキは不穏なものを感じずにはいられなかった。
「ミサキさん……ですね。また会いましたね」
「何か用?」
スズリはログアウトしてそのまましばらくログインするなと言っていた。
つまりそれは……『逃げろ』という意味ではないだろうか。このユスティアから、ひいては『ユグドラシル』から。
しかしミサキには心当たりがない。PKをしたことがないと言えば嘘になるが、一方的に襲ったわけではない。襲われたからやむを得ず反撃したという形なら枚挙に暇がない。
だからこそ不可解だった。
悪を許さない自警団……そんな彼女らがどうして自分に会いに来る?
そう考えていると、ユスティアの連れの中に見知った顔を見つけた。
「あれ? ライラ」
「…………!」
手を振ってみるが、彼女は慌てて隣に立っていた冷たい印象の少女の影に隠れてしまった。
困惑するミサキの意識を引き戻すように、ユスティアの咳がひとつ響く。
「不躾ですが、フランさんという方のアトリエに案内していただけませんか?」
「ああ、それなら東区の……」
「あなたも一緒に来てください」
遮る物言いに一瞬戸惑うミサキだったが、ゆっくりと頷く。
「…………いいよ。わかった」
「ミサキ!」
声を上げるスズリを手で制す。
どういうつもりかはわからないが、陽に背を向けるようなことはしていない。
だったら乗ってみてもいいだろう。それにスズリのこともこのままにしては置けない。
がちゃ、と扉の開く音に、調合中だったフランは振り返る。
「あ、おかえりミサキ……って、お客さんがたくさん」
いつものように出迎えようとしたフランはミサキが大所帯を引き連れてきたことに驚く。
ミサキ含めて六人だ。少しアトリエが手狭に感じる。
その中にいた錬金術師……ピオネに手を振られたが、戸惑ったのち、曖昧に手を挙げた。
以前彼女がアトリエを訪れた際、急に様子がおかしくなってそのまま帰って行ったのだが、あの様子だと覚えていないのだろうか。それともわかった上でああしているのだろうか。
「ごめんね急に。この人たちがなんだか用があるみたいで」
「そう。じゃあ椅子を……」
「結構です。長居するつもりはありません」
ぴしゃりと言い放たれた言葉に眉をひそめるフランだったが、何を言うでもなく口を閉じた。
「単刀直入に聞きますが――あなたたちのマフラーと指輪……あれはいったい何ですか?」
「――――…………」
そういうことか、と動揺を顔に出さないように努める。
無敵のモンスター『マリス』に対抗できるマリシャスコートを纏うために必要なアイテム――ミサキのマフラー《ミッシング・フレーム》とフランの指輪。
あの二つのアイテムは明確に仕様外の産物、このゲームの理から外れた品だ。これしかマリスを打倒する手段がなく、元々は正体不明のマリスから得た結晶を元に作られているということもあり、運営からは黙認されている。
ただ、これらは言ってしまえば不正に限りなく近いものだ。
ゲームという世界においては明確な”悪”。
本当はミサキも、このことに関して上手く折り合いをつけられないままだった。
「あなたたちがあの黒いモンスターと戦っている動画を見ました。なぜかあのモンスターが映っている動画はすぐに削除されてしまうのですが……そこはインターネット。再アップロードとのいたちごっこです」
マリスの存在については検閲が入っている。
どれだけ動画が上がっても運営側が権利者権限による削除を続けている……が、一度ネットに上がったものは完全に削除できない。
だんだんとマリスへの注目度が上がっていることも合わさって、再生数の伸びもいい。
「最初はスペシャルクラスか何かかと思いましたが、見ている限り明らかに違う。あの装束をあなたたちが纏う際、明確に周囲のグラフィックやエフェクトに歪みが生じている。だからあれは正規のものではない――と、そう判断しました」
「…………で? 結局何が言いたいのかしら」
不遜な態度を崩さないフラン。
この状況、受けに回ればろくなことにならないということをよくわかっている。
しかしそれを受けたユスティアは鉄壁のような表情を一切崩さないまま、
「あなたたちはこの世界の秩序を乱す存在です。そこで提案ですが……この世界から出て行ってくれませんか?」
そう言い放ったのだった。




