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140.灯台もと、ちかちか


 目の前の問題から逃げがちなのは私の悪癖だ。

 

「桃香、今日も部活?」


「――――…………」


「桃香ってば!」


「え? ああ……うん」


 ホームルームが終わったらしい。

 目の前の友人に生返事をしつつも頭の中は先輩のことでいっぱいで、なのにあの人を避けている。

 そんなことをしていれば募る思いは逃げ場を失い、膨らむばかりなのはわかっているのに。

 そうして、またいつか爆発させるのだろうか。性懲りもなく。

 

 ……性懲りもなく?


 爆発なんてさせただろうか。

 傷跡は無くなっているのに痛みだけは残っているような、そんな感覚がこびりついたように取れない。

 とある日の記憶が抜け落ちた日からずっと。


「最近元気ないけど大丈夫?」


「……うん、大丈夫だよ」


 先輩に対して負い目がある。

 今までどうしてそんなものを抱えていたのかはわからなかったが、私の取り巻きが彼女の悪い噂を流布したということを知ってから、すとんと腑に落ちた。

 落ちはした、が――なんとなくそれだけではないような気がしている。

 

 たまに夢に見るのは、先輩が私に必死に語り掛けてくる場面。

 私はそれを拒絶し、暴れるばかり。そうして最後は愛想を尽かされてしまう。

 そんな夢。ぼんやりとして、精彩を欠いて、輪郭もおぼろげなのに、どうしてかその夢は悲壮な現実感を帯びている。

 

 しかし夢よりも現実に苦しめられているのが今の私だ。

 取り巻きのしたことを、私は謝らなければならない。

 きっとあの人は知ってて黙ってくれているのだろうな、と思う。


 なのにこの足は先輩に背いてしまうのだ。

 本当にどうしようもない。


「大丈夫」


 笑う私は、鞄の留め具をぱちんと閉じた。




 私に愚かだった点があるとすれば、避けている相手が追いかけてくる可能性を考えていなかったことである。

 いや、そのことからも逃げていたのだろう。

 放課後、体育館へと続く通路を歩いていると、その人は当然のようにそこに立っていた。


「や」


「――――先輩」


 手を振る先輩の柔らかな笑顔に心臓がぎくりと緊張する。

 ざり、と一歩後ずさった足を慌てて戻す。

 逃げられるわけがなかったのだ、最初から。


「桃香は真面目だから部活には来てると思ってたよ。……なんて、これは佐田さんに聞いたんだけど」


「部長が…………」


「ちなみに今日は桃香だけ休むことになってるよ。話はもうつけてある」 


 なんだかデジャブを感じた。

 前にもこんなことがあった。

 あの時は私が部活に行けなくて、それを知った先輩が放課後に励ましてくれて……。

 ここにいるのもそういうことなのだろう。部長に話をつけたというのも、前もって動いていた。心を砕いてくれたのだ。


「行こ。わたしたち高校生なんだし、たまには帰りに買い食いとかしようよ」


 そうして差し伸べられた手をじっと見ていると、冷たい冬風が吹いて思わず首を縮める。

 このまま走って逃げたら、なんて一瞬考えてみるが私の足はもう走れない。それに、そんなことをしてもすぐに追いつかれてしまうに決まっている。

 この先輩はゲームの中でなくても速いのだから。


「…………はい、先輩」


 静かに頷く。

 退路を断つという優しさを、私は今日初めて知った。




 買い食いといえばということで、やってきたのはハンバーガーのチェーン店。

 先に頼んだセットを受け取りテーブル席で待っていると、ほどなくして先輩がやってきた。


「大きいの頼みましたね……」


「たまにはいいよね!」


 先輩の持つトレイにはポテトとドリンク、そしてとんでもなく大きいハンバーガーが乗っていた。顔より大きいんじゃないだろうか。意外と食べる人なのかもしれない。

 そんなことを考えていると、先輩は座るなりポテトを口に放り込む。


「あー、塩」


「塩って」


「やっぱりこれだよねー」


 先輩が嬉しそうにつまむのにつられて、私も同じく頼んでいたポテトを放り込む。

 ああ、揚げたてだ。ともすれば火傷しそうな美味しさを咀嚼する。


「で、なんでわたしを避けてたの?」


「んぐっ!?」


 芋が思い切りのどに詰まった。

 震える手でなんとかドリンクのカップを掴み、飲み下す。

 もちろんそういった話をするためについてきたわけだが、いきなりすぎた。


「うわ大丈夫? ごめん、タイミングが……」


「げほっ、いえ……へいきですっ……」


 すうはあ。

 なんとか喉を落ち着ける。同時に、跳ねた鼓動も鎮めるよう努める。

 避けていた理由。そんなもの、先輩からすれば知りたくて当然だ。

 ある日突然、自分に懐いていた後輩に避けられたとあっては困惑するに決まっている。


 だから、意を決してそれを口にしようとする。


「…………私は」


「うん」


「わた、しは……」


 喉が詰まる。

 唇が震える。

 どうしてこの口は、この期に及んで黙り込もうとしている?

 さっきから私の目はテーブルしか映していない。


 先輩の顔が見られない。

 身体がいうことを聞かず、かたかたと震えている。

 怖いんだ、結局。


『ミサキはそんなことじゃ怒らないわよ。傷つきだってしない。衒いなく笑って許してくれると思う』


 あの錬金術士の言葉がフラッシュバックする。

 悔しいが、先輩とあの世界で最も長く共に過ごしたのはあの人だ。だからその言葉には説得力があるし、それがなくたって私も同じ意見だ。

 だったらすることは決まっている。

 

 しっかりしろ、私。

 あの日――先輩とデートした帰り、らしくなかったと後悔したはずだ。

 これからもっと頑張るって、誓ったはずだ。

 なにより、この人が見ている前で情けない顔ばかり見せていたら、きっと可愛いって思ってもらえない。 


「ごめんなさい、先輩。私の友達が――――」 


 覚悟というものをした。

 嫌われる覚悟だ。中学の時にはできなかった――ううん、そんな発想が最初から無かった。


 たぶん、それをしないと相手に本当に好きになってもらうのは無理なんだって思った。

 私は先輩が好きだ。だから先輩にも私を好きになってほしい。

 それだけだった。


「そっか」


 先輩は一度、噛みしめるように頷いた。 

 それから少しだけ身体を椅子に預け、息を深く吐いた。


「…………よかった。もしかしたら嫌われちゃったんじゃないかって、それだけがずっと不安だったんだ……」


 嫌うなんて。――……嫌う、なんて。

 ああ、もうぐちゃぐちゃだ。そんなふうに思わせてしまっていた申し訳なさと、そんなふうに思ってくれていた嬉しさが混ざり合って、心の柔らかい部分がかき回される。


「うえええん…………」


「ええ!? えっと、その、な、泣かないでー……?」 


 涙を流して俯く私の頭を、先輩は優しく撫でてくれる。

 めんどくさい後輩だと自分でも思う。

 なのにこの人はそんな私にいつも優しい。


 いいのだろうか、こんなに幸せで――――。


「…………ずっと辛かったんだよね。謝らなきゃって思えば思うほど怖くなってくるし、抑え込むだけ重くなる」


「……はい、はい……っ」 


「遠くからでも浮かない顔をしてたからさ。どうにかしなきゃってずっと思ってたんだ」


「…………先輩」


「その、わたしって背が低いでしょ。昔はわりとコンプレックスでさ」


 悩んだ末、頷く。

 先輩は誰がどう見ても小柄だ。みんな同じ制服を着る学校の中ならいざ知らず、そうでない場所なら初対面の人はまず間違いなくランドセルが似合う年齢だと思うだろう。

 

「だけどそのぶん、すぐ近くで落ち込んで俯いてる誰かを見落とさずに済んだのかなって、今はそう思うよ」


 ああ。

 やっぱり――私はこの人が好きだ。

 大好きだ。


 いつかきっとこの想いを伝えよう。

 絶対に。


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