戦ってくれないか?
『な、な、な、なんだパォオオオオン!!』
大きな像は、かかとを何かにぶつけた。ぶつけたかかとはシワがたくさんあって、内側に大きく凹む。レッドギア・ジェーンはそのかかとに、大きく体をめり込ませていた。
ジェーンの後ろに、彼女から度胸試しを買ったワイズが、彼女の手につながれている。自分の腕で目の前を隠して、尻餅をついて、拳銃を抜いて、それでも前は見てなかった。
「離してくれえええ!!」
ジェーンがもごもごと像のかかとの中で何かをしゃべる。口にマスクを何十も重ねてから発音したように、声がこもっていてまるで伝わらない。
ワイズはその声を、ジェーンが像のかかとにすり潰される音だと勘違いした。
「ぎゃああ! ジェーンが潰れたあ! 俺も潰されるぞ!? きっとそうだ、今は大丈夫でも、ほら、次の瞬間には!! くるか!? くる! きたああ!!」
それでも、像のかかとは迫ってこない。なぜなら、ジェーンが完全に堰き止めてしまっているからである。
ワイズの後ろで、トラのテツロウは亜然としていた。上をただ見上げていた。
三人の頭上には、エレファント山の大きな背中が、落下してきているのだ。その背中は丸みを帯びている、たまに人が像にまたがるのを見たことがあるのだが、ちょうど良さそうな丸みだった。かかとほどシワシワではない、ただ、ただただ大きいのだ。
この状態には、さすがの大虎テツロウも、尻尾を巻いて逃げ出す始末だ。散々走って、居酒屋より遠くに逃げて、ふと我に帰る。ジェーンとワイズを置いてきてしまった。
「あの女……一体何をしたんだ」
それを一番知っているのは、ワイズだった。ジェーンに手を繋がれたまま、像のかかとにめり込んで、ついには『離してください!! お願いします!!』と必死で頼み込むありさまだ。
そのうち、ジェーンはかかとから顔だけを、ずぼっ、と引っ張り出し、赤毛を振ってにっこり笑った。
「ほら、平気じゃったろ?」
「ほら、じゃねえよ! 何がどうなってる!?」
「何がどう? 見てわからんか?」
「見て何がわかるって? 像がお前につまずいたとしか言えねえおかしい状況しかここにはねぇよ!」
「全くもってその通りじゃなぁ」
ワイズには見当もつかないことで、この世界にはまだ、赤毛族という種族はいかなかった。赤毛族とは、非常に逞しい種族であり、ジェーンはその中でもずば抜けていたのだ。
だがやはり、それを知るものはこの場所にいず。ワイズはあたふたしてジェーンの腕を引っ張る。
「ああ、見てみろよほら。像がつまずいてあんなことに……」
エレファント山はかかとをジェーンにめり込ませたまま、園足を軸に大きく後ろへと反っていた。今にも背中から居酒屋の上にのしかかりそうで、本rない前足の手が前方向にぐるぐると回っている。
赤いふんどしがジャングルの上に長く垂れて、木々をなぎ倒していた。
一方、対戦相手のグリズビーの藤。彼は足元を慎重に見ながら、ジャングル大相撲の立ち位置へと無事たどり着いている。一息ついて前を見ると、エレファント渾身のつまずきが披露されているところだ。
『なに!? どうしたエレファント!』
『ぬぉお! 力士たるもの、背を地面につけて寝るなど、言語道断!!』
エレファントはかかとからなんとかジェーンを引っこ抜き、片足でジャンプしながら後ろへと跳ねていく。彼の赤いふんどしは、森の木々に絡まって、樹木を引っこ抜きながら下がっていく。
ワイズの頭の上を、巨大な像の巨大な足裏が通過していく。まるで、皆既日食のように、降り注ぐ日光を遮る。
だがついに、エレファントは背中から居酒屋の上に倒れ始めた。
ワイズは酒場のバーテンダーの存在を思い出す。
「おいジェーン! あそこにはまだダブルオーがっ!」
「ああ、なんとかなるじゃろう」
「なんとかってどうやって!?」
エレファントが倒れていく過程で、彼のまわしはどんどん後ろへと下がっていった。すると、そこから前に垂れていた赤い布が、どんどん引っ張られて、ついにはジェーンの目の前に落ちてくる。
赤い布の後ろは、ジャングルから散々引っ張ってきた樹木の山。絡まって、ついには一つの森のように、ワイズとジェーンに迫ってきた。
「うわあああ、来るな来るな来るなああ!!」
ワイズは腰を抜かしながらも、その森の塊に銃弾を何度も打ち込む。だが、塊に銃弾数発など、もはやないのと同じ。そのまま、赤い布は森を引き連れてきた。
ジェーンはたいそう呆れていた。彼女の世界では、こんなにひ弱な男性はそういないからである。
ジェーンが赤い布を右手でつかんだ。
ズシィン、とすべての動きが止まる。迫っていた樹木の塊は、何事もないように、ゆっくりと転がる。ジェーンの前で静止した。
エレファントも、斜めの体制で片足を上げて、ありえない体制の静止をしていた。
ぼとりっ、エレファント回しのとお尻の隙間から、大きいくそが溢れる。
グリズビは何かがおかしいと頭をひねる。どう見ても、エレファントのまわしがジャングルに引っかかっているのだが、彼の体重を支えるほどの樹木などそうありはしないのだ。
しかしそれが起きている。
グリズビーの視界の端で、ヒヒも寄り目がちに見守っていた。
「ほいっ!」
ジェーンは赤い布を引っ張る。
ワイズには普通の女性が普通に赤い布を引っ張ったように見えた。しかし、その時の音は、重機が事故を起こした時よりも少し大きな、空気を叩く音。衝撃で樹木の塊が空に離散する。
赤い布に、エレファントの巨大な体が、吹き上がられたように起き上がった。
ワイズは口を開けて、もう言葉にすらしない。
ジェーンはエレファントの体を舐めるように、下から上に眺めていた。
『ぱ、ぱおおおおん!?』
「おい、ぞうさんや!」
『ぱお? 今のは貴様がやったのかぱお!?』
「そうじゃ、それでお前さんに一つ頼みたいことがある」
上からたくさんの砂煙が降ってきた。象の背中からグレーの太い尻尾が土埃を払いのけ、ジェーンの頭に降らしていたのだ。
ジャングルの木々が思い出したように倒れ始める。
ワイズはジェーンと象の顔を交互に見比べて、
「戦ってくれないか?」
『ぱオ?』
突然、ジャングルの空に花火が打ち上がる。高く登った巨象は太陽に照らされて木々のベッドに灰色の日陰を落とす。土臭い粉塵が舞い上がって、今霞むジェーンの視界には、重力がその巨体を引き下ろし始めていた。