タエリカ・バッターナマン(世界一の魔女)
「ここは……ちょっと蒸し暑いわねぇ、いいえ、ちょっとなの、だからちょっとだけ胸元を開けるわね」
「……はい、タエリカ様」
黒い魔女服は、椅子に座っているまま、木の床までだらしなく垂れ下がっていた。まるでへばりつくようなスカートの下から、白い足をのぞかせる。甘い吐息が、室内に広がっていくようだった。
「タエリカ様、今日は一体どのようにセットいたしましょうか?」
「あら? いつもの、でいいんじゃないかしら? よーちゃん」
「よ、洋太郎デス」
「だからよーちゃんよ」
タエリカの綺麗な顔をしていた。頬は赤いチークで彩られている。熱を帯びたようなメイクの割に、冷たそうな黒の瞳をした、黒髪の女だった。
顔が目の前の鏡に映し出される。曇り一つない鏡は、その後ろに構える気弱そうな男も反射していた。
彼は洋太郎、ハサミを手元で回転させて、タエリカの後ろに佇む。そばかすが顔に散っている。ライトグリーンの瞳が泣き出しそうだった。床屋として、美容師として、はたまた一男児として、タエリカを世界一綺麗にしてやる義務があるのだ。
ただ、弱気な養太郎は、タエリカの顔を見てすでに何かを諦めた様子でもある。
「タエリカ様、何度も言いますが、うちに来られてもあなた様を美しくすることは、これ以上不可能かと思われます」
「あら? どうしてかしら? よーちゃん」
「だ、だって……タエリカ様はお美しすぎるのです」
「うふふふ、ありがと。でもね!」
「はうぅ!」
タエリカはおもむろにに洋太郎の金玉を掴んだ。ジーパンの硬い生地越しに、柔らかい手で二つの玉がきちんと確認できるくらい力を込めていた。
洋太郎は顔が少し青白くなる。
いつ、タエリカが力誤って、彼の金玉を手の中で弾けさせてしまうのか、洋太郎は気が気ではなかった。
「あら、まだ全然力を込めてないのに」
「元々力を込める所ではございません……」
「よーちゃん、ちょっと前に顔を出して」
「は、はい」
洋太郎はおそるおそる、プルプルと顔を震わせながら、タエリカの肩の上に顎を出す。すると、彼女の美肌の手が、彼の顔を引き寄せる。
金玉を解放された拍子に、洋太郎はタエリカに抱きついてしまった。
「た、タエリカ様!」
「よーちゃん、許すも何もないわ。あなたほど可愛い男の子はそういないのに、たまたま潰しちゃうなんてもったいないわ」
「あ、ありがとうございます」
「じゃ、頼んだわよ。毛先は3ミリだけカットね」
「はい!!」
洋太郎が定規を取り出して、タエリカの髪の毛を持ち上げた。
光沢のある黒髪は、なぜかしなびたような柔らかさで、髪の毛というより綿毛のようだった。
タエリカは洋太郎の顔を鏡越しに眺めて、とても嬉しそうにしてる。幼い少女が、初めて髪の毛を切られるように、ワクワクとときめいていた。
洋太郎は、仕事に集中していてそれに気づいていない。たまに、ふと鏡を見上げると、タエリカは妖艶な瞳に戻っている。まるで子供の遊びのように、表情を出したり隠したり。忙しそうに二人で美容師と客をやっていた。
タエリカも嬉しそうだが、洋太郎も嬉しそうだった。
その時、タエリカの頭にふとよぎることがある。
「あ、そういえば、ジェーンどこいったのかしら?」
彼女は、世界に愛され、世界を愛す女性だ。