レッドギア・ジェーン(赤毛の本能)
エクレツェア、生誕から100年——とある出来事が起こった。それは、未来の人から見れば文字の上で存在する、日常とはまるで関係のない出来事なのかもしれない。
ただ、我々は忘れないだろう。この地に、レッドギアという名の勇敢な女性がいたことを。
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ゴールデンデザート。我々がこう呼ぶ土地は、過去には緑豊かだった。作物は多様に芽生え、大自然特有の高低差がある——高低差とは、山と谷、さらには盆地平原とあらゆる地形が揃っているという意味で、ただ上下しているというわけではない。
山を想像してもらうと、右には霧に満ちた熱帯雨林だ。葉っぱも、大地も、動物も、虫も、皆濡れている。黒くなった土は彼らの寝床でもあり、狩りの場でもあった。洞窟や滝もあって、暖かく湿度の高い場所だった。
左を見てもらいたい。ここは平原だ。つぶらな瞳で見つめてくる小動物たちが、草木に隠れてたむろしている。犬、猫、ウサギ、リス、鳥。もちろん、体毛の個性は忘れていない。彼らは皆自らの特徴に合わせた姿を持っていた。
人間にとってペットと扱われる彼らではあるものの、皆一応にして古代より自然世界に暮らしていた野生動物のエリートたちだった。
そして、山から見える一番奥。白い石を切り出したような、ランダムな段差のある土地がある。一見、生物が通り過ぎるだけの場所だが、そこには、召喚獣たちが住んでいる。
別に、いないのにいる、という意地悪を言っているわけではない。
とにかく、この場所には召喚獣たちの住む場所があるのだ。彼らは、とある理由から町全体を隠しているのだとか。
なぜ隠さなければいけなかったのか、ページをめくるたびにわかるだろう。
そして、もう一度言う。
ここは、まだ砂漠になる前の場所だ。
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巨大な樹林が、濡れた姿で広大に広がっている。湿気の多い地帯は、たまに綺麗な透き通る雨が降る、加湿された空間だ。緑は濃く、芝生に真緑の粘土を広げたようだった。
樹林は全て太い。濡れた木の表面は薄くめくれ、白い樹液は薄くなっていた。
そこに、親指より太い、白い幼虫がいた。頭部には茶色いチョコレートのような顔があり、雨にしっとり濡れている。中身はたっぷり詰まった、栄養価の高い生物だ。
本来、このエクレツェア。幼虫を食する民族たちですら、すでに都会で、ウインナーや牛肉という食物に食生活をシフトしたろころだった。
しかし、酔狂な人間はどこにでもいるものだ。
白い幼虫を、『彼女』は持ち上げた。
赤毛の彼女は、白い幼虫のいる木の表面を、バリバリとめくった。木の香りがただよって、鼻が少しむず痒くなる。鼻水をすすりながら、白い幼虫を手にとって、極めて美しい唇の奥に放り込んだ。
ぱくっ、
「うまっ」
赤毛が通る。足元に寝転がれば、まるで赤い滝の真下にいるような錯覚を持つものもいるだろう。現に、彼女の足元にいたアライグマは、いつの間にか赤珊瑚の滝に来てしまったと仰天して逃げていった。
その場所に、小さい裸足が着地した。泥を跳ね上げ、水とともに飛び散る。
彼女は呟いた。
「はぁ、ここは、少し空気が薄い気がするな……どうしてだ? なぜなのじゃ?」
赤珊瑚の瞳、赤珊瑚の口。そして、赤珊瑚の髪の毛。どこの部位も、一番赤くて美しいのは私だと、そう言いたげに彩っていた。
中でも、彼女の眉は、精密な機械が数年もかけて計算したように、整っている。
肌の色に、赤の絵の具だけで描いたような、美女の姿。絵の中から飛び出したようなその姿がそこにはあった。
隙間から、赤い乳首が露出する。
彼女はそっと手で隠した。
「おっと、はしたなかったか? タエリカ……? あれ? またはぐれたのか!!」
彼女は樹林の途中で大きな葉っぱをくりぬいて、服にしていた。藁の腰巻を身にまとったまま、赤毛を振り回して、連れていたはずの仲間を探す。胸の周りを、蔦と葉っぱで隠して、露出した乳首を隠す。背中は髪の毛が覆い隠してくれていた。
「まあいい、次を探すんじゃあ」
この女性、実にサバサバしている。健康な体を生かして、樹林をまるでベッドの上のように飛び跳ねる。次々に木々の間を飛び回り、ムササビのように飛来しては、蔦を掴み上昇する。
野生動物でもここまで早くはないだろう、もし原住民がいればそう思うだろう。
——それはまるで守り神。
もし、ここが古代で、伝説が作られる前だとしたら。彼女は赤い髪の毛の女神として、讃えられていたに違いない。
だが、そう心配せずともよかった。なぜなら、彼女は数年後、案の定語り継がれることとなっているのだから。
「タエリカーー!! どこだああ!? どこなのじゃああ!?」
名前は、レッドギア・ジェーン。赤毛族で初めて、異世界に旅立った女性だ。