第4話
週を明けた月曜日、何時もの様に備品管理局に現れたパトリシアを見た同僚達は、一斉にその動きを止めた。
「ええっと、君パトリシア……だよね？」
「ええ。やだクリスったら週末ぼけ？ それとも忘却の魔法でもかけられた？」
「い、いや、いつもと随分印象が違うものだから……。その、す、す、す、凄く綺麗だね！」
「そう？ それはどうもありがとう……？」
朝ここ魔法庁に着いてから、一体何度同じような科白を言われただろう。パトリシアは戸惑いながらもかろうじて口角を上げ、お礼の言葉を口にした。
だが同僚達が驚くのも無理のない話だろう。
いつもは髪をぴっちりと固く結い上げ顔はノーメークに大きな黒縁眼鏡、グレーのだぼだぼのスーツに靴に至ってはスニーカーという、お洒落からは程遠い出で立ちのパトリシアが、今日は驚くべき変身を遂げていたのだから。
無骨な黒縁眼鏡の下から現れたのは、長い睫毛に縁どられたエメラルドの大きな瞳。
そして抜けるような白い肌は赤く艶やかでふっくらした唇と情熱的な深紅の髪により、何とも言えない神秘的な魅力を醸し出している。
そんなパトリシアが纏うエミリーが見立てた黒のスーツは、全身を見違える程スタイルよく見せていた。
だが何より見る者の目を釘付けにするのは、金色の光彩の散ったパトリシアの瞳だろう。
赤い髪と緑の瞳、昔から不吉と言われるその色の組み合わせは、実は魔法使いにとっては強い力を持つとされる特別で憧れの色なのだ。
パトリシアが不幸だったのは、彼女の故郷には魔法使いがいなかった為その事実を誰も知らず、パトリシアの髪と瞳の色を不吉だと思われていた事だろう。
ある者がパトリシアに見惚れ口を開けたまま固まり、またある者が驚いた様に持っていた書類を落とし辺りを紙だらけにする中、パトリシアは皆の前に立つと淡々と自分が辞表を提出した事を告げた。
そして普段と全く変わらない様子で彼女が倉庫へと立ち去ると、一斉に動きを取り戻した備品管理局の部屋は大混乱に陥ったのだった。
*****
「……はい、こちらがご依頼の特殊加工のしてある羊皮紙で、こちらが通常の羊皮紙です。見ただけだと違いがわからないかと思いますが、こうして触ってみれば……、あの、聞いてます？」
ここは魔法庁の中でエリート官僚が所属する執行局。
頼んでいた羊皮紙を受け取ったまま口を開け固まっていた若い魔法使いは、パトリシアの怪訝そうな顔に気が付くと慌てて頭を振った。
「や、いやごめん、その少し見惚れてしまって……」
「見惚れ……？ ああ、この羊皮紙の加工見事ですもんね。こうしてると全く普通の羊皮紙に見えるって、本当にすごい技術ですよね」
「あ、ああそうだね、ははははは」
「……？」
*****
希少な幻獣やドラゴンを管理する魔法生物局では、パトリシアに自慢の召喚獣を見せようとした魔法使いが入口に殺到したが……。
「パトリシア、良い所にきたね！ 俺の自慢のサラマンダーを見てくれよ。この鱗の色艶、どうだい綺麗だろう？」
「本当ですね、すごく綺麗な色。この子触っても……」
「いやいや今の流行はこんな蜥蜴じゃなくて猫だよな！ パトリシア、このケットシーはすごく希少な上僕によく懐いてて……あ！ まてこら！ どこ行くんだ！ そっちは駄目だ！ おい誰か捕まえてくれ！」
魔法生物の脱走が続出したため、魔法庁全体に捕獲命令が発令される事態に陥った。
*****
「パトリシア、ほらこのオパールを君にあげよう。この中に白い石があるのがわかるかい？」
「あら本当だ。なにかしら、まるで卵みたい」
「そうなんだよ！ これはエッグインオパールと言ってとても珍しい石で……」
「いやパトリシアにはこっちの花の方が似合う！ これはドリームローズという珍しい種類の薔薇で、持ち主の望みの夢を見せると言われてるんだ。是非パトリシアの部屋に飾って……」
「おいお前後から来たくせに邪魔するな！」
「お前こそ邪魔するなよ！」
「あ、あのーご依頼の品、ここに置いておきますね」
研究棟の住人と呼ばれる研究開発局では、パトリシアに持ち出し禁止品をプレゼントしようとした魔法使いが、始末書を書く羽目になった。
*****
行く先々でちょっとした騒動を巻き起こしたパトリシアだが、本人はその様子にまったく気付く事なく、金曜までの日々を顔馴染の魔法使い達への挨拶と、細かい引き継ぎの作業に費やした。
そして迎えた金曜日────。
「パトリシアさんってどこでも凄い人気ですね。それに今までこの量の仕事をたった一人でやってたんでしょう？ 信じられないですよ」
パトリシアの後ろを歩きながら呑気に感想を言うのは、今年入ったばかりの新人ヨルンだ。
いよいよ魔法庁最後の日となったこの日、パトリシアはヨルンを引き連れて引き継ぎの最後のチェックを行っていた。
「こんなの慣れれば大したことないわよ。それよりきちんと担当者の顔は覚えた？ 渡す相手だけは絶対に間違えない様にしてね。大変な事になるから」
「はーい、気を付けまーす」
アカデミーを卒業したばかりの新人ヨルンは22歳と聞いているが、その愛くるしい中世的な外見はどう見ても15、6歳の少年にしか見えない。
やる気があるのかないのか分からないいまいち掴み所のない性格ではあるが、優秀な成績でアカデミーを卒業したと聞く。きっと彼なら倉庫番を上手くやれるだろうとパトリシアは思っていた。
「じゃあここが最後にして最大の難関だから、くれぐれも失礼のないように、気を引き締めてね」
「はーい」
二人が最後にやって来たのは「魔法庁長官室」。
歴史ある魔法庁のクラシカルな建物の中でも一際重厚で大きな扉を叩き中に入ると、部屋の主は立派なマボガニーの机に向かい、熱心に何かをしたためている最中だった。
魔法庁長官エムニネス・ガブリオーサ。
大賢者の証である紫のローブを身に纏い、床まで着くほどの真っ白の髪と豊かな髭を蓄えた一見優しそうに見えるこの老人は、100年以上も魔法庁の長官を務めるエルフの長老でもある。
既に実質的な執務を執り行う事はないが、云わば偉大な魔法使いのシンボルとしてここ魔法庁に部屋を構えているのだった。
エムニネスはパトリシア達に気が付くと顔を上げ、口元に威厳満ちた笑みを浮かべた。
「おおパトリシアか、待っとったぞ。」
