#008 館の名は『薔薇の城館』
「あの……。ライトさん」
うしろからサクヤが声をかけてきた。
歩みを止めて振り返り、少女の姿を視界に認める。
足には革のブーツ。下半身には丈の長いキュロット。上着には厚手のシャツと頭蓋付きの長いコート。顔はフードをかぶって隠すようにしていた。
見た目には完全な脇役のモブである。
この世界へ転移ののち、サクヤは持ち込んだスマホで変装魔法を発動して前述のような姿になった。
興味のない仕草をして横目で画面を確認していたが、やってることはソシャゲのアバター変更である。別に魔法少女のようなキラキラしたエフェクト付きの変身シーンがあったわけでもない。
アイテムを選択し、出来上がった3Dキャラクターをぐりぐりと動かして全体をチェック。
完成したら画面をタップして、実際のサクヤの服装に反映されるという流れであった。
機能としてはすごいのだろうが見ている分には淡々としすぎて、なんというかロマンがない。
「どうした? トイレにでも行きたいのか」
さりげない男の気配りを示したつもりだが、少女は顔を赤くして激しく頭を振る。
ああ、こうしてセクハラ上司というのは生み出されるのだと妙に納得してしまった。
悪気はないんだ……。ただ、デリカシーが足りないだけ。
「ち、違います! そもそも物語上で設定されていないのだから、生理現象はすべてカットされています。必要はありません」
「そうか。だったら安心だ。この先、トイレどころか休憩所もあるかどうかわからないからな」
おれたちは川を遡上するように街道を山に向かって進んでいる。転移時に遠方で街並みが見えていたが、あえてそちらは無視して人里を離れるルートを選んだ。
「どうして街へ向かわずに山中を目指しているんですか? 情報もイベントも人が多い場所のほうが有利だと思うのですが……」
遠ざかる都市の景観をバックにサクヤが不思議そうな表情で問いかけてくる。
判断に対して明確な否定をするのではなく、あくまでも決定に至った経緯を知りたいという感じだ。
まあ問われてみれば旅立つ前にはミネバから彼女のナビゲートにしたがうよう申し付けられていた。
それを初手から無視して独自の見解に基づいた行動を開始するというのは、あまり行儀のいい態度とは感じられないだろう。
ここはひとつ、説得とまでは行かないが互いの意見の相違は解消しておくとするか。
「あー。まあ、そんなご立派な確証があったわけじゃないんだ。ただ、この世界に来たばかりで現地の人間といきなり接触するのは、ちょっとリスクがあると思っただけさ」
とりあえず、みずからの行動規範を示しておく。
「はあ。まあ、そういうことでしたら……。でも、街から遠ざかるのはなぜですか? 市街に潜んで情報収集を進めてもいいと思うのですけど」
実はおれも最初はその方向性で考えていた。
なにせ原作中で主人公達が普段、過ごしている『薔薇の城館』の所在地が判然としないのだ。
聞かされたときは何かの冗談かと思ったが、実際に場所を特定する表現が『自分たちはダンジョンや他の都市に出かける以外は一年中、薔薇の花が咲き誇る広大な庭園に囲まれた『薔薇の城館』でみんな一緒に暮らしている。ときどき、街の実力者や領主の使いが専用に敷かれた道を通ってここにやって来る。やれやれ、また今日も招かれざる客が来ているようだ。面倒くさいが会ってやらないと、リズが機嫌を損ねてしまうからな』と、これしかないとのこと。
あとはすべて館内での場面だけなのだ。いやいやこれでは建物が街の中にあるのか、あるいは郊外に居を構えているのかすらわからない。
もしくはそれ以外の可能性だってある。
なぜなら、実際に構築された作品世界は作者が脳内だけで済ませている設定も加味して具現化されているというのだ。
「なんだか、この風景が気に入らないんだよ」
自然にまでケチをつけるのは、人としていかがなものかと思うが、実際に足を下ろすとどうにも決まりの悪い感覚が現としてうかがえる。
流れの早い河川とすぐ横を走る街道。見通せば、道は遠くにある市街地まで長く続いている。
おそらく設定的にこの街は物語の中心となる最初の冒険の舞台だろう。
ならば主人公達の居場所もこの付近にあるはず……。なのだが。
「あの街がどうかしたんですか?」
いぶかるようなおれの視線に気がついて、サクヤも後方を振り返った。
視界に街並みを見下ろし、疑問点を口にする。
「この話の舞台設定は西洋風ファンタジーだよな?」
「まあ、そうですね。と言っても厳密に設定されているわけではなさそうです。あくまでも西洋っぽい感じです」
「違和感の基はその辺か」
つぶやいた声に女の子がとまどいの表情を浮かべた。
それがどうして街へ向かわない理由につながるのか意味不明という感じだ。
さて、くどくどとした解説を始めるとしようか。
「ここを流れている河川。最初に見たときは、勢いと川幅の大きさから結構、内陸部に位置する場所だと思ったんだよ。周囲に海岸線も見えなかったからな。だが、あの街並みはどうだ? 連なる家屋の屋根と所々、高いのは教会の鐘楼だろう。既存の宗教の例で考えれば、都市部で一教区が抱える信者世帯数は一〇〇から一五〇が大体の目安だ。確認できるだけで教会の鐘楼の数は七つか八つ。ひとつは教区全体を統括する聖堂かなにかだろうから、都市の人口はざっと考えて五千人以下ってところかな。時代的に考えればそこそこの中核都市という扱いだろう。だとすると、配管設備を地下に埋設する技術がない以上、この河川の水量では人々の営みを支えきれない。このチグハグさがどこに起因しているのかを考えると……」
チラリと横目で女の子の様子を確認すると、サクヤは真剣な顔つきでおれの話を聞いてくれている。
よかった。JCだったら、とっくにスマホの画面とにらめっこしている頃合いだ。
「この街は日本の都市を模して作られている。それも現代技術の応用を前提としてだ。モデルデザインとなったのは比較的高地の別荘地だな。結構、内陸部の街並みが反映されているのは作者の好みか記憶か……まあ、どっちでもいいか」
「あの、つまりここは日本なんですか?」
最後に身も蓋もない例えでこの世界を端的に言い表してくれた。
「よく言って、ガ ワだけ西洋風にデコレートした地方によくある、『なんとか村』だろうな……。したがって、主人公達の居場所も中世的な不便さをまるで無視した金持ちの建てる山間の別荘地あたりをイメージしているんじゃないかな」
自身の見解を述べたあと、ふたたび山道を登り始める。
相手は納得したのかあきらめたのか口をつぐんで、おれのあとを着いてきた。
そのまましばらくの間、道なりに進んでいく。
稜線を大きく曲がり、開けた場所を視野に収めると山腹に巨大な構築物を発見した。
「見えた。あれか……」
山野に突如として現れた豪壮な建築物。
あれが敵の本拠地である、『薔薇の城館』か……。