#028 姫と侍女と転生勇者
「わ、わたくしのせいでキリヒトさまがお怒りになられているのは承知しております……。だ、だから、この命と引き換えで陛下とみなの安全を……」
健気にも少女はみずからが犠牲となってキリヒトに怒りの鉾を収めてほしいと願い出た。
求める相手を勘違いしているという現実は一旦、置いておく。
さて、どうやったらこの誤解は解けるのだろう。
いまの状況でおれが下手に動けば、かえってパニックを引き起こしてしまうのは火を見るよりも明らかだ。
「まずは落ち着きなさい、リズリット」
立ち上がったオトギがラクティの腕を取ってゆっくりと彼女を引き上げる。
それからこちらへ近づき、ふたりを安心させるよう、おれの肩口に片手を置いた。
「よく見て。背格好や雰囲気はとても似ているけど、顔のしまりがちょっとゆるい。この男は別人よ」
うるせえな、緊張感が足りないのは自分でも承知している。
「た、確かに……。キリヒト様にしてはどこかお人好しな印象を受けます。ねえ、姫様?」
初対面でさんざんな言われようを残し、あまつさえみずからが仕える主君に同意を求めていくラクティ。
この人、結構な度合いで無法地帯だな……。
「え? あ、あの……。本当にキリヒト様ではないのですか?」
リズリットが当惑気味に確かめてきた。
「オトギの言うとおりだ。おれの目的はキリヒトを止めること。王女殿下、あなたの望みはわたしが叶えてみせます。どうかご安心を」
うやうやしく頭を垂れ、恭順の意を示す。
本来であればその場でかしずき、忠誠を誓うところだがいまは省略。
敵でないことを理解してもらえれば、それで結構だ。
「姫様!」
緊張から解き放たれたせいか、力なく両膝を床に付け崩れ落ちるリズリット。
そこにラクティが急いで駆け寄り、上半身を支えた。
「ラクティ、なぜお前たちがこのような場所にいる? ここは危険よ、親衛隊は何をしているの」
オトギがきつい口調で詰問した。
確かにこんな人目の付かない薄暗い場所で一国の王女が身を隠しているというのは、あまりに不自然だろう。
何より、ここはまもなく凄惨な修羅場と化す可能性がある。
安全性という点から考えても早急にどこかへ場所を移す必要があった。
「ん? いや、おかしいな……」
そんなことは、おれじゃなくてもとっくに誰かが気がつくはずだ。
なぜなら彼女はこの国の王女なのだから。それもつい最近、賊の手から奪還されたばかりの……。
「まさか、見捨てられたのか?」
当てずっぽうな推測を投げかけてみる。
瞬間、ラクティの表情が陰りを差したように変化した。
まさかな……?
「わたしが悪いのです……。キリヒト様をここへ呼び込んでしまったから……」
「違います! 姫差は何も悪くない。それなのに、みながあの男は姫様を狙ってここを襲ったのだと口々に……」
すべてを語ることなく、少女は歯噛みをして言いかけた声を飲み込んだ。
それ以上は護るべき主君を傷つけると判断したのだろう。
どうやら、リズリット王女とは気心の知れた間柄といった感じか。付き合いも長そうだ。
「それで王女殿下を連れて、このような場所に身を潜めたのか? 無茶をするにも程があるだろう」
「ええまあ、自分でも何を考えていたのか定かではありませんでした……。せめて、お身体を休めるベットか腰掛けのひとつでもあれば良かったのに」
いや、そういうことではない。
本当に発想が自由気ままだな、この人。
「で、息を殺しているところにあたしたちがやってきたと……」
オトギがその後の展開を振り返る。
知らぬ間に少女の手から奪い取っていた短剣。
刀身をつまみ、柄の方を相手に向かって差し出しながらさらにたずねた。
「なぜ、刃を向けて襲いかかってきたの? ひとつ間違えれば返り討ちよ」
つくづく無謀な行為であると暗に言い含めている。
実際、あの勢いと剣を持つ手のたどたどしさでは、少しでも武道を嗜んだ人間相手では容易に躱されてしまうだろう。
ひょっとすると、その間に王女を逃がそうとする算段があったのかもしれない。
「ですが、こうなれば『やられる前にやってやろう』と思い、気がついたら剣を手に走り出していました」
なぜ、やれると思ったのか?
これがわからない……。
さて、これまでのやり取りとこれから起こるであろう未来の出来事を勘案すると、ひとつの結論にたどり着いた。
このままふたりを放ってはおけない。
少なくとも、どこかもっと安全が確保された場所へ移動しないと大変、危険である。
特に衝動的でどう動くか予想のつかないラクティさんには一刻も早く、ここからご退陣を願いたい。
「オトギ、すまないがひとつ頼みがある」
おれが何を言い出すか表情から読み取っているのだろう。
ただ黙って続く言葉を待ち受けていた。
「彼女たちを連れてここを離れてくれ。キリヒトにはおれがひとりで対応する」
最善の方法はそれしかない。
リズリットたちを無視して戦うという選択は最初からあり得ないからだ。
どうせ気になるのなら、護衛を付けて安全圏まで退避してもらったほうがマシである。
どのみち、無敵の転生勇者に立ち向かえるのはおれひとり。
こうなれば覚悟を決めて一対一で勝負するだけ……。
「了解したわ。でも、無理は禁物よ。あなたが負ければすべてが終わる。そのことを忘れないで」
おれの要望を素直に受け入れたオトギが例の色鮮やかな布を広げ、リズリット王女を頭から包み込む。
次の瞬間、少女の姿が周りの風景に溶け込んだ。
――おお、夢にまで見た魔法の隠れ蓑!
驚いていると階下で突然に大きな物音が響いた。
固く閉ざされていた正面入口の大扉が、ありえないほどの力で無理矢理にこじ開けられている。
「いよいよ、来たのか」
近づいてくる恐ろしい気配に思わず感情が高ぶる。
緊張が体全体を走り、意図せずに腕が震えていた。
「早くいけ! やつは姿が見えなくても気配だけで王女を特定する。気づかれてしまう前にここを離れるんだ!」
声を険しくして三人に離脱をうながす。
突然の事態の変化にオトギが急いで側にいるふたりを出入り口まで誘導した。
姿の見えるラクティと影さえ生み出さないリズリットが相次いで部屋を出て行く。
最後に、ひとり暗幕を持ち上げていたオトギがこちらを見ながら短く告げた。
「ライト、死んでは駄目よ……」
ハウゼルとは違い、彼女はおれに勝てと言わなかった。
前者よりも直にターゲットと接触していた時間が長い分、敵がどれだけ恐ろしいのかを知っているからだろう。
だが、泣き言はもう通じない。
開かれた扉の中央から、威風堂々と黒の衣装に身を包んでいる無敵の転生勇者が姿を現した。
息を切らした様子など少しもない。
ここへ来るまでの道中、みっともなく駆け出すような真似はしていなかったのだろう。
ただただ、破壊と蹂躙を心ゆくまで堪能したのか、キリヒト?
男はホールの中に入ると辺りを軽く睥睨し、玉座はおろかどこにも王の姿がないという事実を確かめた。
「ふん、臆病者め……。だが、おれから逃げられると思うなよ」
得意げに標的を嘲る。
浮かび上がった表情からは、もはや転生勇者としての余裕や自信はいささかも感じられない。
透けて見えるのは思うがままに力を振るい、自らの欲望と復讐を同時に叶えようとしている強者の傲慢だった。
「いくぞ、シュトローム・ブリンガー」
首にかけていたペンダントを外し、右手に強く握りしめながら呼びかける。
今度は素直に長剣となってくれた。
思うに中庭でオトギと対峙したとき、こいつが武器化しなかったのは彼女が味方であったのが理由の半分だろう。
もう半分はひょっとして拗ねていた……?
まあいい。今回はなぜかこれまでよりも強烈な魔力を放っている。
やる気は十分と言うところか。
「これが最後の戦いだ。決着を付けてやる」
静かに腰をかがめて走り出す準備を整える。
ひとつ大きく息を吐いて、落下防止用の手すりに向かい、助走を開始した。
小さく跳躍して欄干の柵に片足をかける。
勢いをつけたまま、おれは中空へ飛び出していった。




