#001 鳴尾来杜は死亡する
今日もモニター越しに画面を見続けている。
ブックマークを付けた投稿者の更新がないかチェックし、新作ランキングの勢いがある作品をこまめに巡回。
すべては次に売れる本を作るための重要なプロセスであった。
「あ……。この投稿者さん、また新しいシリーズ始めたのか。でもなあ、そうなると、いまやってる作品でいちばんポイントの低いやつをすぐに終わらせるんだよな。ある程度、分量がないと書籍化は無理だし、こうなるとこちらも手が出せない……」
人もまばらな深夜のオフィス。
年季が入った事務机の前で仏頂面を作っている男の名前は――鳴尾来杜。
とある中小出版社のライトノベル専門レーベル、『ハーキュリー・ノベルズ』の編集者だ。
彼の仕事はWeb上の有望な作家志望者とコンタクトを取り、その作品を自社で書籍化するというもの……。
なのだが、もちろん世の中そうは甘くない。
現在はWeb発小説の全盛期である。
恐竜が地球上で栄華を誇ったのち、またたく間に消え去った時代さながらだ。
いつ大絶滅が訪れるのか、関わるものすべてが戦々恐々としていた。
だからといって進化に手をこまねいていては時代を生き抜いていくことも適わない。
結局、綱渡りのような日々を送って、少しでも期待できる新人を発掘するしかないのだ。
「ん? あ、あれ……。おかしいな、『まる焼けサンマ』さんのアカウントが見当たらないぞ」
まる焼けサンマは鳴尾がここしばらく追いかけている投稿者だった。
軽妙な文章に親父臭いギャグ。それらを交えた少し泣ける話を得意とする、ちょっと珍しいタイプの書き手だった。
そのページが見当たらない。
作品内容的に運営からアカウントを削除される心配はなかった。
だとすれば……。
いやな焦燥感にかられ、相手のSNSを確認する。
つぶやかれていた内容は、
『心機一転、活動の場を変更することにしました。『まる焼けサンマ』改め、『明石大ダコ』として今後はヨメヨカケヨさんに投稿します。なお、これまでの自分と決別するつもりで、既存作品は封印のうえ旧アカウントは抹消といたします』
「勘弁してくれよ……」
机に顔を突っ伏し、最悪の展開に神を呪う。
彼がこれまで活動の場としていた小説投稿サイト、『ワレハナルゾ、ビジネスライター』通称”ワナビー”は特定の出版社によって運営されているわけではない。
つまり、書く人も読む人も売りたい人も全部がオープンなのである。
繰り返すが現在はWeb小説の全盛期だ。
こうなると資本に物を言わせて大掛かりな小説投稿サイトを自前で用意する出版社が現れる。
新興の小説投稿サイト『ヨメヨカケヨ』は日本のエンターテインメント産業を独占禁止法すれすれまで支配すると言われた、大手出版社三角グループが運営していた。
つまりは、そこで活動する新人を中小のハーキュリー・ノベルズがスカウトするなど、まず不可能。
別に出来ないと決めつけているのではない。
ただ、三角と正面から喧嘩をする覚悟があればの話だ……。
まあ無理だろう。
現場がどうこう訴えようが経営幹部がそんな危ない橋を渡るわけがない。
結局、この世は強いものが最後に勝つという、面白くもなんともない結末で満ちあふれていた。
「今日はついてないな」
画面から目を離し、組んだ両手を頭上に向かって突き上げる。
それから背もたれに体を預けて大きく伸びをした。
一瞬、ボキッという不吉な音がする。
きっと原因は使い古されたオフィスチェアーだろう。
座面の下側にある背もたれと本体をつなぐアーム部分。そこを固定していたリベットが抜けたか折れたかである。
どちらでもよい。結果は同じだ。
「う、うわあっ!」
鳴尾の体が後方に倒れていく。
あまりの事態に受け身を取ることさえ適わない。
まあ、だからといって特段、命に係わるほどの高さではなかった。
普段であれば背中を打つか肩を痛める程度の眠気覚まし。
ところが今日だけは事情が違った。
床の上に見慣れぬ段ボールが置かれている。
豆腐の角に頭をぶつけて死ぬようなやつがいないのと同じく、段ボールに頭を打ち付けても本来は大丈夫なはずである。頭はな……。
箱の中身は来月発売予定の新人作家、蝶鮫らん子のデビュー作、『君のタマゴでぼくの中身を満たしたい!』略して、きみタマの第一巻販促用素材が納められていた。
大判ポスターに店頭ポップ、さらにはスティックポスターや宣伝用しおりと見事に紙類だらけである。
昼の間に確認し、明日中には営業部へ回す予定であった。
そこへ鳴尾の後頭部が危ない角度で衝突する。
ドスリと頭を打つ鈍い音が聞こえた。
障害物に阻まれ、動かない頭部。
勢いをつけたまま落下する上半身。ダメージは首に集中した。
強く曲げられた頸椎が限界を超えて挫傷する。
身体が床の上に横倒しとなった。肉体は指一本も動かない。
神経が麻痺してしまっているのだろう。痛みはないがひどく息苦しい。
視界だけはまだハッキリと見えていた。
『究極ゲロイン誕生! 愛の托卵作戦、開始です!』
箱の側面に張られた見本用のポスター。
長い髪のヒロインがみずから吐き出した大粒の魚卵を両手いっぱいにすくっているというデザインだ。
大きく見開かれた瞳と唇の端から糸引くように垂らされた一筋のよだれが、そこはかとない狂気を醸し出している。
物語の内容は主人公、安出流線の前にある日、『だごん』と名乗る美少女が現れたところから始まる。
彼女の正体は海底神人の末裔で、その目的は子孫を残すために同じく人魚族の血を引くリュウセンの協力を取り付けることであった。
具体的には彼女が口から生み出す無数の卵に主人公の生命の素を与え、新たなる眷属が生まれるまでの間、彼の体内で孵化を待つというものだ。
かなり大胆すぎる本作の内容は発表された当時、ネット上で『ラヴクラフトに謝れ』『アンデルセンに焼き土下座せよ』と、一部で激しい反応が散見された。
そうした声を逆に利用する形で書籍化までこぎつけたのは、ひとえに鳴尾の努力の賜物であろう。
薄れていく意識の中、自分が最後に手掛けた作品がこれという事実はなぜだか無性に悲しくて、とても死にたくなった。
心配しなくても現在絶賛、死亡中なのだが……。
息苦しさはさらに増し、感覚がぼやけてきた。呼吸困難による脳へのダメージがいよいよ深刻化している。
記憶が走馬灯となって脳裏を駆け抜けた。
幼稚園の頃。砂場で楽しく遊ぶほかの園児たちを尻目に、ひとり水飲み場の陰で絵本を読み続けていた。
小学校時代、楽しそうにゲームや放課後の遊びに興じるクラスメイトを遠巻きに眺め、校内の図書館へ足しげく通っていた。
中学校、さまざまな環境下で育てられた子供たちが日々、ぶつかりながら成長していく学び舎。そこで他人との接触を極力、避けるように生きてきた。
市内の中央図書館、世の中に隠された真実を自分だけが垣間見たつもりとなって、難解な書物を日課のように紐解いていくのが楽しかった。多分、本格的こじらせたのはこの辺からだろう。
高校時代。まぶしい青春を謳歌する仲間たちから距離を置き、二次元の存在に究極の美を求めていたのは思い出すことすら憚られる。
もはや引き返すことは不可能だと自覚していた。
大学時代、人のいない場所を選んで様々な作家の本を手当たり次第に読みふけった。サークル、何それ?
二十歳そこそこで世を儚んでいたのは自分でもさすがにやりすぎだと、いまなら思える。
おかしいな。走馬灯なのに、どこを切っても金太郎飴みたいなシーンしか出てこない。
自分の人生は本当にこれでよかったのだろうか?
ほかに何か思い出すことはないのか?
残り少ない時間で懸命に考える。
そう言えば、あのシリーズの続巻って来週、発売だったな。
いまわの際に、つい気になっていた小説の続きを考える。
月に行った場面で刊行が途絶えたSF――。
一巻で作者が筆を折ってしまった異世界ファンタジー――。
たくさんのシリーズを抱えたまま、急逝した未完の帝王――。
どれも続きが気になってしょうがない……。
しょうがないが、どこか諦めている自分がいた。
――どうせ読めないんだから関係ないや!
世にはびこる決して終わることのないあまたの作品。
それを恨みながら悔やみながら、鳴尾来杜の意識は途絶えた。
田舎の両親にはさぞ悲しい思いをさせるだろう。
それでも泣かせる恋人のひとりもいないのは幸いであった。
いや、よくはないが……。しょうがないだろ、モテないのは。