6話 「粒子の心」
今日は月曜日。一日掛けて行われたアップデートも予定通りに開けた。が、残念ながら俺は学校があるため、「コスモス」に入る訳にもいかない。何かあればシルヴァさんの方から連絡が来るだろう。ゲームが出来ないのであれば、それまで大人しく待機しているほかないのだった。
手袋も昨日無事に届いた。教師やクラスメートに何か言われるのは我慢するしかないので既に諦めている。ここまで来たら勢いだけでどうにかしてしまう方が心身共に気楽でいい。これ以上ストレスを抱えるのもよろしくない。
学校に着いた。何も障害があるわけも無いのだから当然ともいえるのだが。
代わる代わる挨拶してくる女子に挨拶を返し、教室へと入った。こちらでも挨拶を返していると、何処からか声が上がった。「なんで手袋しとん?」と。最もな質問だった。
「少し怪我してさ、大したものじゃないんだけど」
「え!?いけるん!」
それを皮切りに教室が騒がしくなる。俺は頭を掻きながら、どうしたものかと頭を悩ませる羽目になってしまった。女子特有の匂いに囲まれ、どさくさに紛れてボディタッチをしてくる子達をやんわりと押しとどめていく。女子に囲まれるのは嫌ではない。むしろ良いことだ。何かあった時に仲良くしている異性が居ると助かることがあるから。そう教えてくれたのはシルヴァさんだったっけか。何かを護るのには何かを失う覚悟をしなければならない、と。
「胸を露骨に押し付けるのは無しで」
俺の言葉に彼女達は笑いながら離れていき、手をヒラヒラと振ってくる。俺はそれに愛想笑いを浮かべ、手を振り返す。教師がやってくるまで黄色い歓声を浴びながら、心の内で笑みを零した。
この調子なら教師に何か言われても勝手に擁護してくれるだろうと。そんな思いは確かな確信となって俺の胸に広がって行った。親に連絡されなければこのまま切り抜けることが出来るのだ。高校に入る時にはまた何か策を練らなければならないだろうが、まずは今を乗り切らなければどうしようもない。
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学校が終わり、「コスモス」へとやって来た。待ちに待った新バージョンだ。
ログインしている他のギルメンは既に各々がメインストーリーを追いかけている。俺も急がなければならないだろう。今の俺の現状を新しいバージョンが救ってくれるかもしれない。そう思えば、尚更急がなくてはと思ってしまうのだ。
ここで何かを得なければ状況は動かないという、確信めいた不確かなモノが俺の中に出来上がっていた。もはや「コスモス」はただのゲームでは無くなってしまった。現実に影響を及ぼす脅威として俺の前に立ちはだかっている。……いや、現実に影響を及ぼす?確かに右手の甲には「王冠」の印が浮かび、胸には「ミクロコスモス」が出来た。だがそれだけだ。
俺は「コスモス」というゲームと現実を分けて考えていたが、現実と一つになろうとしているのであれば、現実でもゲーム同様に何か出来る筈だ。……試してみる価値はあるか?展開は確かに進んでいる筈なのに、思考は何かに詰まってしまったように固まり、何をどうしたらいいのかが頭の中で浮かんではたまり続ける。
しかし、本当はもっと単純で簡単だ。現実に戻り、何が出来て何が出来ないのかを確認する。それだけで別に難しいことでは無いのだ。
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最初に現れたのは「王冠」の印だった。初めてこの印が浮かんだ時、俺はゲンガーに色々と質問をした。しかし返って来た言葉は、「何かあればお呼びください」という冷めえたモノだけ。今思えば、これがヒントであり、答えだったのだろうか。
印はホムンクルス所有者の証。それなら、お望みの通り呼んでやろうじゃないか。
何でも良かった。何かが変わればそれでよかった。俺の言葉が同級生以外に何も力を持ちやしないのは分かっていた。でも、胸をせり上がるこの言葉は、閉じていた唇を独りでに開いた。
「【召喚:ゲンガー】」
言葉と同時に白い粒子が俺の身体から沸き立ち、人の形を成して赤い光と転じた。赤い光は波紋を立てながら胸へと集まり、「ミクロコスモス」へと姿を変える。
そこには「コスモス」と同様に静かに俺を見やるゲンガーの姿があった。もはや俺は笑い声をあげるしかない。だって信じられるだろうか。ゲームが現実になって、逃げようにも、こうして逃げ道を塞がれてしまった。
「お呼びでしょうか、ランスロット様」
ましてや、俺の考えを更に混沌へと化すような事を言い出す始末。お前は「コスモス」なら不愛想で無害なホムンクルスだったじゃないか。それがここに来てランスロット様?
気付けば俺は笑っていた。ゲンガーは何も言わず、俺を見るだけ。腹立たしく思わないでもないが、ようやく見つけた手掛かり。今はグッと堪えるしかない。
「何がどこまで出来るのか教えてくれないか?何も分からないんだ」
「アイテムを頂いてもよろしいでしょうか」
「もちろん何を使ってくれても構わない。些細な事でもいい、半歩でも進まないと…」
こんな所有者は嫌か。惨めに見えるだろうか。そんな感情は犬にでも食わせてやれ。
これは誰の言葉だったか。ただ、ギルドメンバーの誰かが言ったのには違いない。シルヴァさんの言葉に釣られて出て来たか?いいや、今の俺を構築しているのはギルメンの言葉や経験だ。出るべくして出たと、そう考えることにしよう。
男が ――― 己が意志で何か覚悟を決めたとしよう。
誰にも胸の内を打ち明けずソレを実行したとすれば、何人が後ろに付いてくる?
男か女か。そんなのは問題じゃない。
大切なのは、信頼できるかどうかだ。
――― なら、どうやって信頼できる人間かどうか見分けるのか。
簡単だ、一言で信頼できるかどうかを調べればいい。
問い方は自由だ。さぁ、どうする?
俺はどう言えばいい。目の目の彼女を信頼できるかどうか、どうやって見分ければいい。
…彼女と繋がり。自然と視線は右手の甲に下がり、脈打つ「王冠」へと注がれる。物言わぬ証に過ぎない印。俺は……。
「ゲンガー」
名前を呼ばれ、2つの赤い瞳が俺を正面に捉えた。
怖い。恐ろしい。氷の中に放り出された、そう錯覚してしまうような何か。
「ついて来てくれる?」
情けない。こんな言葉しか出て来ないんだから。
それでも俺の前でゲンガーは膝をつき、首を垂れた。
「貴方が私の王、唯一の主、絶対の父。この命尽きるまで、共にありますれば」
冬の寒さが支配していた部屋に、人の形をした太陽があった。その心は忠誠を燃料に燃え上がり、俺の体温を一気に上げた。「王冠」を通してゲンガーの熱が入ってきたのか、俺が独りで盛り上がっているのか。混乱した頭では答えが出ないままに、グルグルと渦を巻いていた。
俺の不安は涙となって目から溢れ出ていく。