私が小説を書く理由。
私が「小説家になろう」というサイトを知ったのは、悩み事に関して調べものをしている最中だった。
私は別に小説が好きという訳でもないし、プロフィールにある通り、むしろ読むのも書くのも苦手である。文庫本だろうと読みきった小説など、生涯で片手もいらないくらいではないだろうか。
そんな興味のきの字もない私が興味を持つ切っ掛けを作ったのは、PC画面に並んだ検索結果の中で、全く異色の文字列で構成された、とあるタイトルが目に留まったからである。
珍しく気になった私は調べものそっちのけで、試しにその作品をクリックしてみた。
第一話を読み、結果、数日間その作品に没頭することとなってしまった。
小説嫌いだった私が、最初から全文字、一言一句読みきるなんて自分でも驚きである。調べたかった事とは全く内容は違うのだが、不思議と悩みが吹き飛んだ気がした。前向きになれた気がした。
それは、たぶんこの作品を読む中で私の悩みが根本の部分で解決されていたからだろうに違いない。
そんな衝撃を受け、私は小説という新たな娯楽を見つけることとなった。
その後、様々な作品を読み進めていくうちに、いつしか私の脳内にはワンシーンごとの様々なストーリーが生まれ始めていた。
それをストーリーとして文字に起こすこと、バラバラだったシーンを一つに紡ぎ上げていくことは、今まで何かを創作した事のない私には果しない道であり、とてつもない労力を必要とすると予想された。
試しに書き始めたが、案の定、第一話を書くだけで言葉選びや設定、後の展開に至るまで予想以上の仕事量だと痛感した。しかし、想像が形になった。
拙くはあるが、一つの作品としてそれは確かに息吹き始めていた。
さて、私が小説を書く理由であるが、それは形に残すためである。
人によっては、小説家を目指しているから、書くのが好きだから、誰かに評価されたいから、ストレスの捌け口……などなど、大小様々な動機があるだろうが、私の中心にあるのはこれだった。
勿論、評価やブックマーク、感想を貰えた時は毎回飛び上がりそうな程嬉しいし、アクセスが増えなければへこんだりと、一喜一憂してばかりだ。
このシステムの弊害か、反応の無さによって筆を置く人も多いだろう。
こればかりは一長一短である。
この文章を書いている現在、私は急に作品の話の続きが浮かばない状態に陥っている。何を書いても面白さを感じなくなってしまったのだ。とはいえ、これは一時の気の迷いのようなものだとは思うが。
そこに何かしらの原因を求めるならば、この作品は面白いのか?本当に読んでいる人はいるのだろうか?などの疑念のような物が、魔が差したように思考に割り込んでくるからかもしれない。
いや、一部分ではそうかもしれないが、それもたぶん言葉で取り繕っているだけだろう。
正確には、何もリアクションが無いことに対して徒労感を感じているから、だろう。
つまりは、感想のつかない自作品にとっての唯一の指標である、ブックマーク数やアクセス数などに目が行きすぎて、私が書く理由がすげ替わってしまっているのが、今書けなくなっている原因なのでは、と分析できる。
私の目的はあくまで「イメージを作品という形にする」ことであり、「読者の反応」というのは、私にとっては目的ではなく結果であるべきもののはずである。
書いた結果、「ブックマークがついた」「感想がもらえた」というのが道理のはずが、「アクセス伸びないな」「やる気出ないな」「わざわざ書く意味なくない?」という順に因果の逆転というか、意義を見失って悪循環へと陥っている。
どうか筆を置く前に思い出してほしい。なぜ自分は書こうと思ったのかを。そして、自分を信じてほしい。悩み抜いた先にできた物は、たぶんきっと自分にとって意義のあるものになるから。
それによって、一つの物語という自分の描いた世界が彩りをもって時を刻んでいくのだから。
立ち止まった時にはこれを読み返して欲しい。
これは自分を見失った私へのメッセージなのだから。
グダグダと書き綴ってしまいましたが、どんな形であれ、完結するまでは筆を置く気はありませんので、どうぞこれからも宜しくお願いします。