少年少女は今日も待ち侘びて――。~Disciple are waiting for today as well~
倫敦の下町に存在する貧困街。娼婦のマーサ=タブラムは今日も客引きをしていた。ミーア=ケイシー
いつもなら、どんなに少ない日でも一晩で二人くらいは“客”が取れた。しかし今日は、全くと言っていいほど客がいないのだ。
誰を誘ってみても断られてしまうのだ。
――いつもは紳士然とした硬派な顔をしながらも、私が誘えば――誘わなくても、見かければ客になるのに。
もうすぐ今月の家賃の支払い日だ。それなのに全然稼げない。このままでは家を追い出されて路上生活者になってしまう。
路上生活者も嫌だが、そこから貧窮院に送り込まれるのはもっと嫌だ。貧窮院の生活の過酷さは、かつての娼婦仲間《同業者》や客から嫌というほど聞かされていた。
さあ、どうしようか――。マーサは困りに困ってしまった。
「――すいません……」
その時、マーサに話しかけてくる人物がいた。
「何? 私の客? いいわよ。今月厳しいから、ちょっと高くなるけどいい?」
――ようやく、客がきた。今月は厳しいから、少しくらい吹っ掛けてやってもいいかもしれない。マーサは密かに微笑を浮かべた。
「――そうじゃない……」
「えっ?」
客の呟きを聞こうと聞き返したその時、マーサの喉元からはナイフの刃が生えた。
「ぐぁっはぁ……ごほっ……っ…………」
――なんで私なの? 同じような境遇の女なんてそこら辺に幾らでもいるでしょ……。
信じられない、といった表情で客の表情を覗く。
獲物を狩った後の猛獣――口の端を歪めながら微笑む客の顔を見ながらマーサはそう思った。
それがマーサの最期だった。
∞
貧民街に近い場所に存在する工房では、今日も二人の少年少女が人形を制作していた。
「マーティン、胸のリボンが少し雑だわ。これじゃ、お客様になんてお出しできないわ。やり直しよ」
「えー、この結び方は吸血族の女の子の間で流行ってる結び方なんだよ。ステイシーこそ知らないの?」
「し、知ってたわよ。それにしても結び方が汚いの。とにかくやり直しなさいよ」
「……わかったよ」
どうやら人形のリボンについて言い争ってたようだ。マーティンと呼ばれた少年は、少女――ステイシーには口では勝てないようで、今回も言い負かされていた。
「そういえば、ここ最近、先生帰ってこないね。どうしたのかな?」
「大丈夫よ。先生がここにいないってことは、先生は今、普通の人間として生活できてるってことじゃない。その方がいいじゃない」
「そうだけどさ――、さびしいよ」
「まあね――」
彼らには先生がいた。先生は中々工房に帰ってこない。
生活自体は二人だけで何とかなった。人形を売ったお金は二人が十分に生活してもなお、余るほどあり、近所の住人は何かにつけて二人を気に掛けてくれたからだ。
生活には余裕があっても、先生がいないのは二人にとって寂しいことだった。
その時、玄関のベルがチリン、チリンと鳴り響いた。
そこから現れたのは、茶色いコートに黒で揃えた帽子と靴、気の弱そうな表情をした青年――先生だった。
「お帰りなさい、先生。私、顔の彫り方が前よりも上手くなったと思わない?」
「先生、お帰り。僕は人形の服の縫い方が上手くなったよ!」
「そうだね。二人とも上手くなったと思うよ」
先生は微笑みながら、成長の速い弟子《子供》たちを褒めた。
「ねぇ、先生がここに来たってことは、何かあるんだよね?」
先生が帰ってきたことを一頻り喜んだ後、ステイシーは我に返ったように聞いた。その瞳は不安そうだ。
「あぁ、実は女王陛下から依頼があったんだ」
「女王陛下が何を頼んだの?」
「それが、切り裂き魔を捕まえなくちゃいけないんだ」
「切り裂き魔を捕まえるですって!? 先生正気なの!?」
先生――エリックは困惑した。なぜステイシーがそこまで反対するのかが分からなかったのだ。
ステイシーは軽蔑と驚愕の混じった、信じられないものを見るような眼差しを向けてきたのだ。
エリックは堪らず、マーティンに聞いた。
「マーティン、ちょっと聞いてもいいかい? どうしてステイシーは切り裂き魔について、そこまで驚いているのかい?」
それに対するマーティンの反応も似たようなものだった。
「先生の所には切り裂き魔の噂は届いていないんですか? あまりにも凶悪で残酷な様子から、最近では切り裂きジャックとも呼ばれているのに――」
「隣の家のファニーおばさんも、僕たちが遠くに人形を届けに行くって言うといい顔しないし、夜遅くは出歩かないようにって、何度も来るようになったんだよ」
「真逆、そこまでのものとは知らなかったよ。自分の身は自分で守れるようにするよ。それにしても想像していた以上の存在だね」
自分が対決しなくてはならない相手が、真逆そこまでの相手とは説明されていなかった。これはわざとなのだろうか、それとも、ただのミスなのか――。ヴィクトリアの悪意ともうっかりとも取れる行為に対して、エリックは少し憂鬱な気分になった。
――隣に住むファニー夫人に日頃のお礼をしに行かなくてはならないだろうか。今までの出納についても把握しておきたい。出来れば自分が家を空けていた間の弟子の様子も知りたい。
これからやらなくてはならないことについて考えながら、エリックの頬には薄く笑みが零れた。