怪異はプールに住まう 解決編
「……と、こういうわけで、この写メの河童に見えるシルエットは一時間半以上もの間、息継ぎをすることなくプールに潜っていたんです。そして、僕たちはこのシルエットの正体を暴くために行動していたわけです」
突然の連太郎の語りに、目の前の人物は困惑すると同時に緊張しているようであった。
「最初は本当に河童なんじゃないかと思いました。河童のコスプレをして道行く人を驚かしたいなら夜にやる意味は薄いし、そんな長時間も水に潜れませんからね。誰かが人に見られるためにコスプレをしていたならば、プールに入るわけがないんですよ。目撃した人がプールサイドまで来たら、自ら逃げ道を断ってしまいますからね」
連太郎はまだ続ける。
「こういう理由からこのシルエットは本物の河童か、遠目から見て河童に見えなくもない格好をするも誰かに見られることを意図していなかった人のどちらかと考えました。ただ、後者はシチュエーションが思いつかなかったので、本物の河童だと思ったんですね」
そうだったのか……。ちょっと驚く。
「ですが、少し考えてみると、河童ではないもう一つの可能性に思い当たりました。けれど、こちらもこちらで意味がわからない仮説でした。河童よりは現実味がありそうな説ではありますが、こんなことをする理由が一切思い浮かびませんでしたし、当然誰がそんなことをしていたのかもわかるはずありませんでした」
連太郎はそこで一旦言葉を切り、再び口を開いた。
「しかし、『誰が』の部分は存外早くわかりました。あなたの職業を知ったときです。おそらくこの辺りで河童のシルエットになりきれたのは、あなたくらいしかいないでしょう。あなたがそんなことをした理由……つまり『動機』もその後すぐにわかりました。……そういえば、訊き忘れていました」
連太郎は目の前の人物に真っ直ぐ視線を据えた。テーブルの画面に写る例の写メを指し示し、
「この写メに写っているのは、あなたですよね。山川慎之介さん」
千咲のお父さんはわかり易くたじろいでみせた。完全に図星である。
「な、なんの、ことだか、さっぱりだなあ」
「じゃあお父さん、昨日の夜八時半頃、どこで何をしてたのよ。随分と遅く帰ってきてたけど……」
娘の千咲にじと目で尋ねられたお父さんは、どこか上擦った声を発した。
「え、ええっと……散歩だよ」
「嘘。車出してたじゃない!」
慎之介さんは頭を抱えうなだれた。
わたしたちはいま、千咲の家のリビングにいる。わたしと連太郎と千咲がソファーに座り、テーブルを挟んで千咲のお父さんが座っている。会長、平等院さん、水戸君はわたしの後ろに立って話を聞いている。全員で入るには流石に人数が多いので、平等院さん以外のUMA研究会の部員には外で待機してもらっているのだ。
さて、様子を見るにどうやら河童の正体は千咲のお父さんと考えて間違いないようだが……連太郎は何の説明もしてくれてないので、わたしも困惑している。
いまだ頭を抱える慎之介さんに、連太郎が諭すように言う。
「慎之介さん。あなたは誰にも迷惑をかけたわけではありませんし、僕たちもこのことは他言しません。それに第一、あなたはもの凄い勘違いをしています。あのプールにあなたが探していたものはありません」
「え?」
うなだれていた慎之介さんが顔を上げた。連太郎は、すべてわかっている、と言いたげに頷いた。
慎之介さんは小さくため息を吐いた。
「そうだよ……。それに写っているのは、僕だよ」
河童という可能性が完全に消滅してしまったからか、平等院さんがふらついたようだ。その姿を尻目に見た会長が満を持して連太郎に質問した。
「山川のお父さんが河童というのは、ご本人が認めたからいいとして……どうして河童の格好をしていたんだ?」
「あれは河童の格好じゃありません。暗がりかつ遠目に見たとき河童に見えなくもない格好です。会長も言っていた、『何に見えるか』と訊かれて、『強いて上げるなら河童』という感じのものですよ」
「それはわかってる。だから、どうしてそんな格好をしていたのか、ということだよ」
「では、一つずつ紐解いていきましょう。まず頭部の皿……に見えるもの。これはウェットスーツのフードとゴーグルですね?」
連太郎に訊かれた慎之介さんは力なく頷いた。
なるほど。フードで頭が丸みを帯びて、ゴーグルによって突起ができて、ゴーグルより上の部分が皿に見えた、ということか。なんてくだらない。
「それから水掻きのような足。これは単純にフィンですね」
頷く慎之介さん。
これはまあ、予想できた。
「手に持っていた棒状の物体……これはキュウリじゃなくて、水中ライトですよね?」
首肯する慎之介さん。
「そして最後の甲羅ですが……これは難問でした。水戸君の話がなかったら、まずわからなかったでしょう」
「ぼくの話?」
きょとんと返す水戸君。
「うん。プールに入った河童が一時間半も息継ぎをしなかった、ってところだよ。普通はそんな長い時間水の中に潜ってはいられない。酸素タンクを背負ってても難しいし、そもそも酸素タンクじゃ甲羅に見えない」
「だから何なのよ」
焦らしに焦らす連太郎に、わたしは若干苛立ちながら訊いた。
「慎之介さん。あなたが背負っていたものは、リブリーザーですね?」
慎之介さんは肩をすくめて肯定してみせた。
「リブ、リーザー……?」
聞き慣れない言葉を、千咲以外の全員が反芻した。
「何よそれ」
「循環呼吸装置。もの凄くざっくり説明すると、酸素タンクの強化版みたいなものだよ」
連太郎はテーブルのスマホを取ると、ネット検索をかけて、リブリーザーの画像を呼び出してくれた。みんなでそれを覗き込んだ。リュックサックのような形状の装置にタンクが装着されている。上部から二本のチューブがマスクに伸びている。
人が背負っている画像もあり、暗がり且つ遠目で見ればこれは甲羅に見えるかもしれない。
「リブリーザーの特徴として、普通の酸素タンクと違って呼吸の際に泡が出ない。これによって、魚を驚かすことなく近づくことができるんだ。そしてもう一つは、潜水していられる時間。一時間ちょっとの酸素タンクと違って、リブリーザーなら連続で五時間以上潜っていられる」
凄い……。そんな機械(?)があるとは知らなかった。というかどうして連太郎はそんなことを知っているのよ。浅く広い知識探求が彼のモットーであることは知っているけれど、いくらなんでも広過ぎよ。
「僕が山川さんのお父さん……慎之介さんが河童の正体だと察したのは、甲羅がリブリーザーであると睨んだからです。一台百五十万円以上するものを一般人が持っていると思えませんからね。けど、水中カメラマンのあなたなら、可能性はあると思いました」
「ふむ……。そこまではわかった。けど結局、慎之介さんは何がやりたかったんですか? まさか、プールでダイビングをやりたかった、なんて理由ではないでしょう?」
会長が首を捻りながら言った。慎之介さんは顔をくしゃりと歪めた。とても言い辛いことなのだろう。
千咲がたまらず慎之介さんに詰め寄った。
「どんな理由があったの? 写メを見た瞬間にこれはお父さんだってわかった。河童なんていないと思ってたし、リブリーザーは何回か見たことあったから……。でも、リブリーザーを持ち出してまでプールに入る理由がまったくわからなかったわ。ねえ、何がしたかったの? 何をしていたの? 早く言って!」
娘に強く言われた慎之介さんは曖昧な笑みを浮かべた。
それにしても、千咲が生徒会室で写メをしげしげと眺めていたのは、突如突きつけられた非日常に驚いたのではなく、父親らしき人影が写っていたからだったのか。
腕を組んで口を開こうとしない慎之介さんに代わって、連太郎が再び語り出した。
「いくつか想像ができました。夜に、長時間息継ぎを必要としないリブリーザーを引っ提げていた事実から、誰にも気づかれたくないという気持ちがわかりますね。夜は人が減りますし、息継ぎの回数を少なくするリブリーザーも、人目を避けるのに一役買いますから」
連太郎は唇を湿らせ、
「そして水中ライトを持っていることから、プール内を照らしたいのだということがわかります。水戸君が光を見ていないことから推測するに、プールの深い場所で水底を照らしていたと考えられます。そんなことをする理由は一つしか思い浮かびません。……プールの底で何かを探していたんですね?」
連太郎の問いに、冷や汗を垂らしながら慎之介さんはしぶしぶ頷いた。
「しかし何を探すにしても問題があります。プールは緑に濁っていて、辺りは非常に暗いですから、果たしてライト一本で捜し物を見つけることができるのか、ということです。まあ、おそらく、できるからそうしたのでしょう。そうなると、探し物が何なのか、ある程度見当をつけられます」
「何だ?」
会長が尋ねる。
「光を反射する物体です。それならライトを当てると光りますからね」
「なるほど」
「けど、その物体が何なのかまではわかりませんでした。……あの人に話を訊くまでは」
あの人とは、たぶん宝石強盗犯の双子の兄だろう。
「慎之介さん。あなたが探していたのは、宝石強盗犯が隠した宝石だったんですね?」
「え?」
全員が固まってしまった。そうだ、確か宝石強盗犯は仲間から掠め取った宝石をどこかに隠してしまったらしく、まだ見つかっていないのだ。それがプールにあったと言うの? 確かに宝石なら光を当てれば光るかもしれないけれど……。
「あなたは一昨日の夜七時頃、プールに何かを撒く人物を目撃したんですね? 暗がりで何を撒いているのかわからなかったけれど、その人物の顔はプールから去るときに電灯の明かりで確認できた。そしておそらく昨日、その人物が捕まったニュースを見た。彼は宝石強盗犯の一員で、仲間から宝石を奪ったものの、それはまだ見つかっていないときた。……そこで、ピンときてしまった。宝石強盗犯は、あのプールに宝石を隠したのではないか、と。違いますか?」
言い淀む慎之介さん。そんな彼の胸ぐらを千咲が掴むと、激しく揺さぶった。
「ちょ、ちょっとそれ本当なの!? 犯罪じゃないの!? 早く警察に届けなさい!」
「お、落ち着け、千咲……!」
「落ち着けるわけないでしょうが!」
「いや、落ち着いて、山川さん」
連太郎が千咲に慎重な声をかけた。彼女は腕をとめて連太郎を見る。
「どうして?」
「ここに来る直前に会った人の話を思い出して」
「え?」
「彼は宝石強盗犯の双子の兄で、一昨日の七時頃、あのプールに大量のタニシを撒いているんだ」
「え?」
この間の抜けた声は慎之介さんのものだ。連太郎は二人に微笑みかける。
「最初に勘違いと言ったでしょう? 慎之介さんが見た人は宝石強盗犯じゃなくて、その双子の兄です。そして撒いていたのは宝石じゃなくてタニシです。鯉の餌として撒いたそうですよ」
「そ、そうだったの……?」
「はい」
「通りで見つからなかったわけだ……」
慎之介さんが力のない、気の抜けた笑みを浮かべた。その瞬間、千咲が再び慎之介さんの胸ぐらを揺すった。
「見つからなくてよかったわよ! 宝石を手に入れて何をするつもりだったのよ!」
「そ、そりゃあ、もちろん警察に――」
「それなら最初から通報しなさいよ!」
「いや、確認したくて」
「リブリーザーまで持ち出しといて何言ってんの!?」
千咲はわたしたちが帰るまで慎之介さんを罵っていた。
◇◆◇
「ここに河童は住んでいなかったのか……」
わたしたちは千咲と別れてプールサイドに戻ってきた。この言葉は平等院さんの落胆の言葉である。他のUMA研究会の部員たちも真っ黒に染まったプールを見ながら肩を落としている。
「最初から言ってんだろ。河童なんているわけがないって」
会長が疲れたように肩を回しながら言った。
「ふんっ。このプールに河童がいないというだけで、河童そのものが否定されたわけではない。僕らは、きっとどこかにいると信じている」
「そうかい、そうかい。……さて、そろそろ全員帰るぞ。風原と間颶馬も悪かったな」
会長から労いの言葉が飛んだ。
「いえ、ちょっと楽しかったです」
「わたしは殆ど何もしませんでしたけどね」
全員がぞろぞろと更衣所へと向かっていく。
いやあ、それにしても変な事件だった。リブリーザーなんてもの、普通の人は知らないから、連太郎がいなかったら絶対解決できなかったわね。千咲も千咲で、最初から言ってくれれば……は流石に無理か。動機がわからなかったと言ってたから。
とりあえず疲れた。朝の二時間のジョギングより疲れた。早くお風呂入りたい。
プールを眺めていたわたしは、みんなの後に続いて消毒槽へ行こうと踵を返し……え?
UMA研究会が仕掛けた罠が目に入った。木製の箱の一面が抜けて、そこからキュウリが入っているのが丸わかりになっている、という罠だったはずだが……キュウリがなくなっている。
身体中に鳥肌が立つのを感じた。寒気が背中から這い上がってくる。まさか……いや、誰かがキュウリだけ回収したのだろう。糸さえ切ればキュウリを回収することは用意だ。……ん? そういえばキュウリに巻かれていたのは糸じゃなくて、針金って言ってたような……。
わたしは罠に近寄って、内部をよく観察してみた。箱上部から垂れているのは……針金だった。巻かれていたとキュウリが抜けたと思しき輪っかが残っている。……そんなことしたら、催眠ガスが出るんじゃ……。そうだったらここで誰かが眠っていなければおかしい。
『河童に効果があるかはわからない』
平等院さんの言葉を思い出した。まさか……。
わたしは目を瞑り、息をとめ、針金に手をかけた。催眠ガスが出れば、誰かが上手いことキュウリを持って行ったというだけの話。催眠ガスが出なければ、それは……。
わたしは針金を引っ張った。
きっと誰か……ガスマスクを被った誰かが、キュウリを持っていったのだろう。そう思うことにした。
拙作を最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
実は今作は、初期のプロットから大きく逸脱した末に生まれた物語だったりします。初期は『空飛ぶ人』というオマージュ感全開のタイトルでした。関ヶ原とUMA研究会が出て来るのと、写真に撮られたUMAの正体を暴くという内容は同じだったのですが、そのUMAは河童ではなくフライングヒューマノイドでした(ご存知ない方はインターネットで検索されたし)。
このフライングヒューマイドは今作の河童と違って、登場人物がトリックによって出現させていた存在になるはずでしたが、犯人がフライングヒューマイドを出現させた動機は作れたのですが、肝心のトリックが陳腐極まりないものになったので作品を封印しました。
そしてその結果生まれたのがこの話です。思いついたのは割と最近です。千咲もその際に作られたので、前々から構築されていた関ヶ原や平等院さん、奈白のお母さんと違って、非常に薄いキャラクターになってしまいました。しかも内容もかなり変な感じになっちゃいまして……。
次の〈颶風〉シリーズがいつになるかわかりませんが、そのときはまたよろしくお願いします。