UMA研究会襲来
「あれは昨夜の八時半頃でした。夜のサイクリングで……あっ、言い忘れていました。ぼくは一年の水戸勇気といいます。サイクリング部に所属しています。夜のサイクリングであのプールの近くを通りかかったわけです。近くに電灯が一本だけありました。その光がプールに蠢く物体を、ぼくの目に映させたのでしょう。びっくりしましたよ。動いていたのが河童のシルエットだったのですから。ぼくは慌てて自転車を停めて、殆ど条件反射で写メを撮りました。すると――」
「ちょ、ちょっと待って」
突然昨夜のことを語り出した水戸君を連太郎が静止した。水戸君は、ここからがいいとこなのに、と言わんばかりの不満顔を浮かべる。連太郎はそれを意に介さず、会長に顔を向けた。
「あの、関ヶ原さん」
「何だ?」
「やっぱりまだわからないことがあるんですけど……」
「どこだ?」
「いえ、どうしてこれの解決を僕たちに依頼したのか、ということですよ。この河童(?)がこの学校のプールにいたならわかりますけど、そうじゃないですよね。そもそも、写真を撮ったのがこの学校の生徒というだけで、この件に音白高校はまったく関係してません。どうして生徒会長が動いているんですか?」
それもそうだ。廃校になった学校のプールにいた河童らしきものの正体を、わざわざわたしたちに突き止めてくれなんて絶対におかしい。この件が世間で噂になっているから、我が校で解き明かして有名になってやろう、というのでもないだろう。写メは昨日の夜撮られたのだから、そんなに早く噂になるわけがない。
会長は大きく頷くと腕を組んだ。
「その疑問は尤もだ。普通ならこんな問題放っておけばいい」
「だったらどうして?」
「そんなもん決まってるだろ。この学校は……いや、正確にはこの学校の生徒が普通じゃないからだよ。お前らも入学して三ヶ月過ごせば、この学校の生徒の馬鹿っぷりをある程度は把握してるだろ?」
わたしたち三人、特にわたしと連太郎は苦々しい顔つきになる。会長は徒労感を含んだため息を吐き出した。
「この件に、この学校屈指の問題児が絡んできた。水戸がそいつにこの写メを見せ、昨夜のことを話してしまったからだ」
会長は水戸君を睨みつける。もともと鋭い目つきが更に鋭くなり、もの凄く恐ろしい形相になっている。しかし水戸君は柔和な笑みを浮かべて頭を掻いた。
「いやあ面目ない」
「……ったく。とにかく、その問題児が世間に迷惑をかける前にこの件を片付けたいんだ。いもしない河童のために、音白高校が悪評を被るのはごめんだ」
どんな生徒なんだ……。
「あいつが本腰を入れて動き出す前に、このシルエットは河童ではないという証明をしないと――」
わたしと会長は同時に引き戸に視線を向けた。他の三人は何がなんだかわからないようだが、何人かの人がこの部屋に近づいてきているのだ。程なくして複数の足音が聞こえてきた。
会長は苦虫を噛み潰したような顔で、
「来やがったか……」
忌々しそうに吐き捨てたそのとき、勢いよく引き戸が開かれ、長身痩躯で黒縁眼鏡をかけたワカメのような髪の男子生徒が目に飛び込んできた。彼は同じような眼鏡をかけた男子生徒四名を引き連れているようだ。
眼鏡越しに視線を室内にさまよわせ、その目に水戸君の姿を認めると嬉しそうな笑みを浮かべた。
「やあやあ、ここにいたのか水戸君。是非、昨夜の話をもっと詳しく教えてほしいんだけど――」
生徒会室に入ろうと右足を出したワカメさん(仮名)の前に会長が立ちはだかった。二人とも長身だが会長の方が高いため、ワカメさんがやや見上げる格好になる。緊迫した空気が溢れ出してきた。
「帰れ平等院……取り込み中だ」
とびっきりドスを効かせた声で命令する会長。しかしワカメさん……平等院さんとやらはまったく臆せず、不敵な笑みを浮かべた。
「先に水戸君と約束をしていたのは僕たちだ。部活動の邪魔をしないでもらいたいな」
「部活より生徒会の方が上だ。だから部活より生徒会の用事の方が優先される」
「横暴だねぇ。その言葉を録音して校内放送で流せば君をリコールさせることができたかな?」
「おあいにく様、この学校にそんな制度はない。ほら、さっさと帰れ」
「君はなぜそうやって、毎回毎回何度も何度も僕たちの活動を邪魔するんだ! 僕たちは人間だ。日本国憲法によって守られているんだぞ! 基本的人権の尊重!」
「尊重しろ!」
「そうだそうだ!」
平等院さんの連れのみなさんも抗議する。会長は額に血管を浮かび上がらせ、
「お前らが公共の福祉に反しなければ俺だって一々口は出さねえよ! でもお前ら毎回のように綱渡りみたいなことするだろ! というか殆どアウトみたいなこともするだろうが!」
「人間よりUMAを優先しているだけだ!」
「基本的人権の尊重を持ち出しといてその言い種はなんだよ!」
「人間よりUMAが好きなだけであって、人間をどうでもいいと思ってわけではない!」
二人の果ての見えない舌戦が始まった。がやがやとわめき散らす二人を尻目に、わたしは連太郎に小声で尋ねる。
「平等院って名前、どこかで聞いたことがあるんだけど誰だっけ?」
「図書室で彩坂先生が言ってたじゃないか。一年前、グラウンドに白線でナスカの地上絵を描いて宇宙人を呼びたそうとした生徒。確かUMA研究会所属だったよ」
「ああ……」
思い出した。彩坂先生はあのとき、平等院とは関わるなとも言っていたはずだ。思いっきり関わってしまったが……。
「だいたい関ヶ原、取り込み中とか言っているが何をしているんだ!? 僕たちの邪魔をしたくて適当なことを言ったんじゃあるまいな!」
会長は面倒くさそうに舌打ちをすると、わたしたちを親指で指し示した。
「こいつらに協力してもらって、あのシルエットの正体を突き止めようとしてたんだよ」
平等院さんの双眸がわたしたちを見据えてきた。
「君たち、名前は?」
「風原、奈白です……」
「間颶馬連太郎です」
二人でさっきから沈黙を決め込んでいた千咲を見る。どうやらずっと河童の写メを眺めていたようで、はっと顔を上げた。
「あ……えっと、山川千咲です」
「水戸勇気です」
「君は知ってるからいいよ」
なかなかに鋭いつっこみの後、平等院さんは連太郎に視点の照準を合わせた。
「間颶馬連太郎……。どこかで聞いたような名前だが……そうだ。浜町がそんな名を口にしていた。頭の切れる一年生が入ってきたとか何とか。君のことか」
「そう、だと思います」
恐縮気味に返す連太郎。
浜町といえば、岩石同好会の部長さんである。確かに彼は連太郎の推理能力を知っている。
連太郎を興味深げに見た平等院さんはにやにやしながら会長に言う。
「使いやすい一年生が入ってよかったな関ヶ原。これからはあの守銭奴に事件の解決を依頼しなくて済むわけだ。君が金欠で困らなくなるのが残念でならないよ」
「うるせえよ」
わたしたちには意味がわからない会話である。くくく、と笑う平等院さんは、再びわたしたちに視線を向けてきた。
「君たちは、このでかくて人相が悪いだけの男の頼みを引き受けるのかね?」
「はい。まあ、一応は」
連太郎がおそるおそる答えた。引き受けるんだ……。
「では間颶馬君。君に訊こうじゃあないか」
「なんでしょうか?」
平等院さんはテーブルに置かれたスマホの画面を指差し、
「それに写っているシルエットは本物の河童だと思うか?」
本物なわけないじゃないの。わたしならそう言ったが、連太郎は写メを見つめながらフィンガースナップをした。
「まだ調べてないので、何とも言えません」
その返答に平等院さんは微笑みを浮かべた。
「頭ごなしに否定しないところはいいね。では、君はUMAを信じるか?」
いるわけないじゃないそんなの。わたしならそう言ったが、連太郎は頷いた。
「そりゃあいるでしょう。ゴリラやパンダだって昔はUMAだったんですから。元も子もないことを言うと、UMA……未確認生物は、目撃情報の多い新種の位置付けだと思っています。それに僕は――」
連太郎はどこか遠い目で窓から空を見上げ、
「怪獣も宇宙人も……M78星雲もどこかにきっと存在しているって信じてますから」
平等院さんはにやりと楽しげに笑った。
「なるほど、面白い。新種という位置付け、実にいいと思うよ。たまにUMAをオカルトと混同するようなバカでカスなゴミがいるけれど、それは違う。UMAはロマンだ! 決してオカルトなどではない」
それから会長の肩に肘を乗っけ、
「なあ関ヶ原よ。僕たちをオカルト研究会と合併させようなんて愚行、もうしないよな? お前がこれから世話になるであろう間颶馬君がこう言ってるんだから」
「本当にうぜえなお前は」
会長は憎々しげに吐き捨てた。
平等院さんは颯爽と会長から離れると、わたしたちを見回し、
「ふむ、いいことを思いつたぞ。僕たちは河童を見たい。君たちはシルエットの正体を暴きたい。それならば、共に行動しようじゃないか」
「どういうことだ?」
「君たちはどうせ、現場となったプールに行くのだろう? 僕たちもだ。近所で聞き込みなどをするのだろう? 僕たちもだ。それなら一緒に動いても何の問題もないじゃないか。むしろ、同じ家に何度も別の人間が訪ねたら妙に思われるだけだ。関ヶ原、君としても悪い話じゃないだろう。僕たちを近くで監視できるのだから」
「どういう風の吹き回しだよ」
唐突にまともなことを言い出した変人に、会長は警戒心を滲ませつつ尋ねた。
「深い理由はない。僕はただ、間颶馬君のUMA愛に免じてやるだけだよ」
いえ平等院さん。連太郎が好きなのはUMAじゃなくて『ウルトラマン』です。
会長は憮然とした表情を浮かべると、連太郎に言った。
「どうする?」
「僕はいいですよ」
「そうか、そうか。ならば善は急げだ。現場へ向かうとしようか!」
場を仕切る平等院さんを会長は鬱陶しそうに睨みつける。その目つきの怖さにびびりつつ、わたしは会長に訊くことにする。
「あの会長、わたしと千咲も行くんですか?」
「ん? 山川はどの道家が近所なんだから来ることになるな。お前は……武道か何かを習ってるな? 姿勢がいいし、振る舞いも静かだ」
あちゃあ……。普段は特に意識してないけれど、お母さんが家にいると、その所作が移ってしまうのだ。
「はい……。柔道と空手の黒帯です。それから合気道も少しやってました」
「なら、付いて来い。もし河童の正体が不審者か何かだったら退治してもらわないといけないからな」
用心棒ってことね……複雑な心境だ。
「おいおい関ヶ原よ。本物の河童だったらどうするんだ?」
「河童なんざいないだろうが、もし本物なら相撲を取ることになるんだろ」
「負けたら尻子玉抜かれちゃうじゃないですか!」
「安心しろよ。河童なんかいないんだから」
まあ、そうなんだけどさ……。
かくして、こうして河童の調査をすることになったのであった。