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非日常の予兆



 色々と大変だった四月、ゴールデンウイーク明けに厄介なことに巻き込まれた五月はとうに過ぎ去った。衣替えで夏服になった六月にも、語るに値しないような細々とした問題は起こったが、こちらもようやっと終わった。


 いまは七月。入学から既に三ヶ月が経過した。早いような短いような。そんな気分。

 気温も徐々に上昇してくるこの時期だが、どうやらわたしの心の熱さも上昇してきたらしい。……いや、おそらくは、高校に入学してから清楚で可憐でおしとやかな文学少女を目指して、身体を動かすということを体育の時間以外では殆どしなかったことが原因だろうか。今日わたしは無性に運動をしたくなり、朝の五時から七時までジョギングを敢行していた。ここまでいくとジョギングというよりマラソンのような気がしてしまう。


 駄目だなあ、わたし……。早朝に起きて二時間も走り込む文学少女なんて、存在するわけないじゃない。


 わたしは文学少女を志してはいるものの、本質的にはアウトドアの体育会系だ。活字とは無縁。本なんて漫画くらいしか読めない。この間、小説というものにチャレンジしてみようと、図書室にあった『黒死館殺人事件』を読んだのだが、何一つ頭に入ってこなくて、勢いで壁に投げつけてしまった。そんなわたしは自分を恥じたが、どうやら聞いた話では、あの小説を読んだ人は大体みんなそうなるようなので一安心した。しかしその本の影響で活字が更に苦手になってしまった感がある。


 それなのになぜ、わたしが文学少女になろうとしているのか……まあ、そんな大した理由ではない。ただ小学生のときに文学少女に憧れただけである。


 シャワーを浴びてセーラー服に着替えると、浴室から両親がいるリビングへと移動した。お父さんはキッチンで目玉焼きを作っており、お母さんは床に座布団を敷いて瞑想を行っていた。よその家からしたらかなり変な場面だが我が家では日常的な光景である。


「おはよう」

「おお、おはよう奈白なしろ。皿出してくれ」


 お父さんだけが反応した。瞑想中のお母さんは殺気しか感知しないのでわたしの声が届いていないのだろう。いつも通りの光景だ。

 わたしはお父さんの指示に従って皿を出した。程なくして朝食が完成した。目玉焼きと味噌汁、ご飯というありふれたものだ。


 わたしとお父さんが椅子に座ると同時に、お母さんの瞑想が終了したようだ。無言で目を開くとわたしに視線を向けた。


「おはよう奈白」

「うん。おはよ」


 お母さんはさっと立ち上がると、静か且つ最小の動きでお父さんの隣に姿勢よく座った。

 全員で頂きますと言って、朝食を食べ始める。お父さんはテレビを点けると思い出したように、


「奈白、朝のジョギングなんて随分と久しぶりのような気がするけどどうしたんだ?」

「なんか運動したくなっちゃって」

「うむ。自分を高めようするのはいいことだ」


 お母さんがしげしげと頷いた。


「高めようとしているわけじゃないけどね」

「久しぶりに道場に顔を出さないか?」

「出さないから。というか無視しないで」

「型とか憶えているか?」

「憶えてるから」

「そうか。それならいいが、鍛錬を怠るといざというときに後悔することになるから、定期的に型の練習をしに道場に来るように」

「はいはい」

「とはいえ、つい最近まで道場を休んでいた私が言うのもあれか……」


 ため息が漏れてしまう。こんな感じでお母さんはおかしい。武道や格闘技を通じて己の肉体を高めるのが生きがいなのである。完璧に習得している武道・格闘技の数は二十を優に超え、つい最近もロシアにシステマを習いにいっていた。色んな道場や格闘技の先生をやっており、教え方も上手で業界では有名人らしい。総合格闘技への出場を進められたこともあるらしいが、強敵と戦えるのは嬉しいが私が拳を振るうのは何かを守るときだけだ、とかなんとか言って断った。やらなくて正解だ。お母さんが参戦したら、彼女の一強になってしまうだろうから。おそらく、お母さんは人類最強だと思う。たぶん美人格闘家としても人気になったと思う。娘のわたしが言うのもあれだが、お母さんは四十を過ぎたというのに、若々しい容姿を保っている。彼女から身体能力を受け継いだことは少し複雑だが、容姿の一部を受け継いだことは嬉しく思っている。


 そんなお母さんとお父さんは、警察の武道指導の先生と生徒として出会った。お母さんが先生である。言い忘れていたがお父さんは捜査一課の刑事である。階級は警部。


「おっ」


 お父さんがテレビのニュースに反応した。何となくテレビに目を向けた。ああこれか、と思う。宝石強盗が捕まったというニュースだ。容疑者の男は仲間を裏切って一人で宝石を持ち逃げした。仲間が逮捕されたことで男の名前と顔が割れてすぐに捕まったが、宝石はどこかに隠してしまったらしく所持していなかった。男は犯行を否認しているらしい。


「まだ宝石は見つからないの?」


 わたしは容疑者の顔写真を見ながら訊いた。


「ああ。何も喋ってない。こいつが犯人なのは明らかだから、宝石が見つかれば事件解決だよ」

「ふぅん」

「まったく……。毎日一時間瞑想をすれば、欲などに負けることはないというのに」


 お母さんがこの世を憂うように言った。


「最近の若者は心が弱すぎる。身体を鍛えればそれはやがて自信となり心も強くなる。だから若者はもっと身体を鍛えればいいのだが……いや、自信がついた心はやがて毒となり人を傷つけるかもしれない。ふむ、難しいものだ」


 とまあこんな感じに、我が家のお母さんは変な人です。こんな脳筋の母親からわたしが生まれるのは必然なのだ。つまりわたしが文学少女になれないのはお母さんの責任でもある。うん、もの凄く無責任だ……。



 ◇◆◇



 非日常というものはありふれた日常に突然やってくるものであることを、わたしは経験上よく知っている。非日常を日常的に体験していたらそれはもう非日常ではなく日常であり逆に日常が非日常となるのである。その点、わたしの体質というやつは、日常に頭まで浸かりきったところで非日常――もとい厄介事を呼び寄せるのだからタイミングがいい。悪いとも言えるが。


 その男は昼休み、教室で友人と昼食を食べているところに突如として現れた。


風原かざはら奈白はいるか?」


 暑いため開けっ放しになっていた引き戸からドスの効いた声が響いた。名前を呼ばれたわたしは弁当のウィンナーを咥えたまま振り向いた。


 そこにいたのは百九十センチはありそうは長身と、それに見合う筋肉質な肉体を持った男子生徒だった。髪型はさっぱりと短く、目つきはスズメバチように鋭く悪い。この特徴的な見た目には心当たりがあった。


「生徒会長だ……」


 共にご飯を食べていた友人の山川やまかわ千咲ちさきがぽつりと呟いた。


「学校の帝王だ……」


 同じく昼食を共にしていた友人の多摩川たまがわかえでが変なことを呟いた。

 二人の言う通り(楓も生徒会長と言いたいのだろう)その男は音白ねじろ市立音白高校の生徒会長、関ヶ原(せきがはら)大和やまとその人であった。


 わたしは少し緊張してしまう。クラスメイトも同じようで、一年生したっぱのクラスに上級生が、それも生徒会長が訪ねてくるというのだから無理はないか。しかも威圧感をばりばり発しているときた。わたしはウィンナーを口の中に突っ込み一気に咀嚼して飲み込んだ。


「あ、あの、何か?」


 恐る恐る手を上げると、その鋭い眼力がわたしに向けられた。


「そこにいたか。いきなりで悪いが、間颶馬あいぐま連太郎れんたろうがどこにいるかわかるか?」


 間颶馬連太郎とは、わたしの小学生からの友人にして絶賛片思い中の男子である。


「教室と学食にはいなかった。他に心当たりはあるか? 仲がいいんだろ?」


 なぜ彼は連太郎を捜しているのだろう。とか、疑問に思ってもないことを考えてみる。もう厄介事に片足を突っ込んでしまった感覚がしているのだ。


「はい……。たぶん、部室じゃないでしょうか」

「何部だ?」

特研とくけんです」


 その名を聞いた会長は顔をしかめた。


「特撮研究会、オタク部か……面倒だな」


 オタク部とは、変わった部活が多い音白高校の中でも、完全に趣味に突っ走っている部活・同好会の総称である。

 会長が面倒だと言ったのは、オタク部には変人がいる確率が非常に高いからである。断っておくと、連太郎は少し変わっている程度である。


 腕を組んで何かを考え込んでいた会長は、仕方ないか、と呟いた。


「風原。放課後、間颶馬を連れて生徒会室にこい。最優先事項だ」

「え、何のために?」

「理由はそのときに話す。……ん? そこにいるのは山川千咲か?」

「ほえ?」


 突然話を振られた千咲は困惑の声を発したが、すぐに気を取り直し、


「はい、そうですが……」

「確か九旦町くたんちょうから通学していたな?」

「はい……」

「よし。じゃあお前もこい。水泳部は今日休みだろ。それじゃあ、よろしく頼む」


 会長はそれだけ言うとさっさとどこかへ行ってしまった。……何かわけのわからないことを頼まれてしまった。わたしと千咲は顔を見合わせる。はぶかれた楓やクラスメイトは状況が掴めていないのかぽかんとしている。


 わたしはよく変なことに巻き込まれる。今回のこれは、まさにその変なことだろう。わたしはため息を吐くしかなかった。

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