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The Kiss

 白黒の車が止まり、運転席から白髪の外人が降りてきて、後部座席からナナミも降りた。

 夕霧が視認した瞬間、俺の手首を握り、家の奥へ駆けた。

「変なのが来たね。天使が相手とは分が悪いかな」

「天使? あれが」

 白髪の男の眼光を思い出すと、優しさの欠片も感じられなかった。


「堕天使かもね。この場所だと分が悪いか……最低限にしかならないが地の利を味方につけよう」

 夕霧が俺の掌に爪を立てて、血を滴らせた。

「なにすんじゃ」

「ここは志木の家だ。だから、この土地は志木に味方する。この土地にいる限り志木は誰に対しても優位性を持っている。だけど、ここの地域は堕天使の領域だ。だから僕が志木のカルマの一部になって、志木の地の利を共有させてもらうよ。さあ、血を交わすことで、僕との同盟関係を得よう」

 夕霧が柔らかい掌を出して、爪で血を流した。

「血と血を合わせれば同盟関係になる。お互いに了承すれば成立だ」


「突然そんなことを言われても」

「早くしたほうがいいよ。戦いは一方的に終わらせないと、お互いに傷つくんだ」

「だけど……」

「もう、遅いな。依代に気をつけろ」


 夕霧が姿を消して、後ろに気配を感じた。

 堕天使がナナミと並んで立っていた。

「遅くなってごめんね」

「う、うん」


 堕天使が辺りを見渡した。

「餓鬼か。鬼族が暴れまわるとは久しぶりだ。赤童子せきどうじの力が衰えたのか」

 ナナミが堕天使の言葉を聞いていた。


 ナナミは餓鬼を見ても、普通の反応をしていた。

 今も堕天使を連れてきた。


「もう大丈夫だ。ここら辺はうじの王の領域だ。鬼族の好きにはさせない」

うじの王?」

「知らないのか? 貴様、いったいどこに所属している!」


 包丁を持った手が反応して、彼我の距離を詰めさせなかった。

 絶好のタイミングだったため、堕天使は一歩も動けなかった。

「これは……」

「駄目だよ! 志木はこれから蛆の王の下に来るんだから! 争いは止めて」


 頭の中が整理できなかった。

 こちらの俺は堕天使のコミュニティに属しようとしていたようだ。

 だが、一方で師匠とは知り合って弟子になっている。

 つまり――潜入しようとしていたのか……。

 その出入り口がナナミだったのか……。


「ナナミ、どういうことだ」

「……どういうことって、どういうこと?」

 ナナミが不思議そうな顔をしたが、その顔がこわばった。

「まさか、ここは、架空世界なの?」

「……そうだ」

「通りで、人が変わったみたいだと……もしかして、この状況が分からないの?」

「ああ、分からない。どういうことだか、さっぱりわからない」

「私だって、分からないよ」


 堕天使が話の間隙をついて、迫ってきたが、九十九式が包丁をきらめかせて一切の隙を作らなかった。

「まさか……九十九式か」

 堕天使だった男が奇声を上げると、背中から真っ黒の翼が生えた。

「ここで御目にかかれるとは驚きだ。九十九式の術者は隠遁したと聞いたが、蛆の王さえ苦しめたその実力見せてもらおうか。我が名はジルドレ、鋼鉄処女アイアンメイデンの奇跡をみよ」

 ジルドレが片手をコの形にして握りしめた。九十九式を習得していなければ回避不可能だった。家の床が割れて、左右から挟んできたのだ。体が勝手に前に出ると、ジルドレの懐に体から突撃して、包丁を脇腹にさして横にひき、ジルドレの後方へ通り抜けた。


「キャンディ・ポップ!」

 未来の幸福を見せて怯ませる――玩具の銃で狙いをつけて撃った。

 瞬間――暗転した。


 ††††††††††††††††††††


 ジルドレが苦しみの声を上げる。

 脇腹の傷以上に志木の斬撃は効果があった。

「これは、なんだ。意識が、離れる」


「志木、志木、起きて、どうしたの」

 ジルドレは家族が入信してから世話になっているが、恋人以上に親しみを持っているわけではない、いかに改心していようと彼が行った犯罪は記憶に残るものだからだ。


「驚いたな」

 私の隣に美少年が立って、志木の額に手を付けた。

 心が奪われてしまったように浮つき、志木の目の前で恥ずかしい思いを抱いていることに腹が立った。

えんを切った」

 ジルドレが苦しみもがく姿が痛々しかった。

「土地から得る力の縁と、コミュニティから得る力の縁を断ち切った。もう、外来種の生きる道はない」

 美少年がジルドレの頭を掴み、庭へ投げて塀ごと吹き飛ばした。


 美少年が身を低くしたとき、鉄鎖につながれた鋼鉄処女アイアンメイデンが巨大な牙を見せて噛みついてきた。鋼鉄は頭の実の犬のように動き回り、家具を飲み込んだ。

「縁を中途半端に切ったか。高名な悪党が悪魔として降臨したか?」

 ジルドレが口の端から涎を垂れ流し、右手に持った鉄鎖を自由自在に操った。

「美しいなぁ。眼が綺麗だ。唇も綺麗だ。見せてくれ、その歯を。皮膚を、血管を、骨を、内臓を手に取っていろんな角度で眺めたいよ。なあ、死んでくれないか」

 美少年が口笛を吹いて、中指を立てた。

「Ok! 感じさせてやるぜ。ただし、お前が死ね」


「駄目だよ。喧嘩しちゃ駄目」

 美少年が鼻で笑った。

「だったら止めてみたら?」


「そうするわ」


 ††††††††††††††††††††


 目が覚めると、ナナミの膝枕で寝ていた。

「……ジルドレは?」

「帰ったよ。あと、綺麗な男の子も帰ったよ」

 夕霧か……。

「俺はどうしたのかな?」

 突然、気を失った。

「超能力と咒術おこないを使って、相克したんだよ」

 ナナミは裏の世界を知っているようだった。

「どうやって決着ついたんだ?」

「痛み分けってとこかな」

 ナナミは微笑んだ。とても綺麗だったので、

「綺麗だね」

 言葉を覆うように、唇を重ねられた。


「私の事を信じて」

 唇の間からぬめりを帯びたものが入ってきた。

 それは舌だと思われた。

 だが、蛇腹のような感触が喉の奥にまで到達した。

 喉をこじ開けて、体の中に入ってきた。


「サンド・ボーラー。ここが架空世界なら志木は知らないかもね」

「あが……」

「痛い? ごめんね」

「うぎっ……」

「でも、大丈夫。私だって最初は痛かったけど、すぐに慣れるから」

キャラクター紹介:ジルドレ→言わずと知れた殺人鬼。改心して堕天使まで復活しているが、縁を切られたため悪魔に戻った。蛆の王の傘下で、キリスト系新興宗教の神父と、警察官を掛け持ちしている。このように裏の世界の住人が素性を隠して表で仕事をしている場合が多い。

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