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『海王×海王妃(因縁編)③』


 男に頼らないで生きていきます


 そう告げた私に、上司だった下女頭様は痛ましいものを見る様な表情を浮かべた。いつもは美しすぎて恐いほどの下男頭様も、こちらを苦しそうに見つめていた。


「紅玉」

「はい」

「その、男は、あんなのばかりじゃない」


 それではあまりにも哀しすぎる。

 そう言っているも同然の下女頭様。


「分かってます。下男頭様はとても素敵な方です」


 その美貌と才から、たとえ下男達を纏める役職であり、他の上層部の輝かしい立場とは程遠くても、自身の仕事に信念と誇りを持って働く姿は部下達にも誇りを持たせ、役職を超えて讃えられている。

 彼に言い寄る女性達も多い--いいよる男性達に比べると僅かだけど。


 けれど、下男頭様はただ妻である下女頭様を愛し、彼女に対してとても誠実だった。


「下男頭様にとって、下女頭様だけが最愛の女性。どんなに誘惑されても、絶対に靡かない。それって、凄い事なんですね」

「紅玉……」


 下男頭様が何かを言おうとする。


「お前は、悪くない」

「いいえ」

「悪いのはあの男だ」

「その男を選んだのは私です」


 紅玉は微笑んだ。


「私は彼を愛し、そして彼と結婚したいと思った。偽りの優しさに甘え、偽りの愛に惑い、子をなした。気づくべきだった。もっと早くに」


 大切な命を宿した責任があるのに。


「物事の真実を見抜けず、私は失った。私が、愚かだったから」

「紅玉っ」

「下女頭様が、羨ま--」


 その先は言葉にならなかった。

 嗚咽する声が漏れ、ぶわりと涙が溢れていく。

 止めようとしても止められない。


「紅玉--っ」


 慟哭--それが相応しかった。

 泣いて泣いて、声がかれるまで泣いた。泣きすぎて頭が痛くなった。

 それでも悲しみは止まること無く、危うく喉がつぶれかけた。


 その間、下女頭様はずっと側に居てくれた。どうしても駄目な時は、他の先輩達や同僚が来てくれた。彼女達は事情を知っていた。


 憤っていた。


「なんで、紅玉ばかりがそんな目に遭わなきゃならないのっ?!」


 中には結婚間近で、私の事があるから結婚を遅らせるという子も居た。それは相手の男性に恨みを買うからと必死に説得した。相手の男性も、私を見て顔を曇らせた。


 食事と睡眠を拒否した身体は、やせ細っていた。


「……子どもが出来ない可能性がゼロではないから」


 その相手の男性は、医師だった。

 彼は友神の産婦神科医にも協力を依頼してくれた。


 どんな物にだって絶対は無い。

 子宮と卵巣全てが無いならまだしも、私にはどちらもあった。

 でも、あまりにも傷つきすぎていた。


 自然回復もあると言われたけれど、期待するだけ無駄だった。それに、たとえ自然回復したって、死んでしまった子はもう戻らない。


「紅玉、食事をとって」

「……」


 何とか食事を食べさせようとする下女頭様の好意は嬉しい。でも、私はそれを拒否し続けた。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 嬉しいです。見捨てないでくれて。

 こんな私に、ここまで気に掛けてくれて。


 でも、ダメなんです。

 頑張れないんです。


 苦しい。

 恐い。

 辛い。


「私は、いらない神なんです」


 突っ伏し、それだけを告げたのは--寒い冬のある日の事だった。


 これでもう、みんな呆れた筈だ。


 そんな事を思い、このまま融けて消えてしまいたいとさえ思った。


 このまま、もう起きる事なく--。


「なら、私に頂戴!」


 その強い声に、弾かれた様に私は顔を上げた。




「起きましたの?」


 目を覚ました私の視界に、明燐様が居た。

 こちらを覗き込む様にしていた明燐様は、ホッとした顔をされていた。


「良かったわ、目を覚まして下さって」


 柔らかな笑みを浮かべた明燐様は、起き上がろうとする私に手を貸して下さった。


「私……」

「突然倒れてしまって……聞きましたわ。元々体調があまり良くなかったそうですわね」

「……」

「それとも、嫌な物でも見ましたか?」


 嫌なもの--その言葉に、私の身体が震えた。


「……そうですの、やはり」


 明燐様は知っているらしい。


「貴方の目に触れないような位置を指定していましたの。でも、あの馬鹿達はそれを守らなかったようですわね」


 下手に地位と身分を持っている分、厄介なのだと明燐様は愚痴る。それは私にも分かっていた。たとえどんなに腹立たしい相手だと言っても、そう簡単に相手をどうこうする事は出来ない。それが面倒な地位や身分を持っていれば。


「貴方を傷つけた相手」

「……」

「貴方と貴方の子をめちゃくちゃにした相手」

「……明燐様」

「貴方の子を、殺した男」

「っ--」


 思わず明燐様をキツク睨み付けてしまった私に、彼女は笑いかけた。


「安心したわ」

「……え?」

「貴方の中で、あれを許した事になっていなくて」

「……明燐、様?」

「貴方は優しいから心配していたの。全てを自分のせいにして、自分のせいでと嘆き悲しみ、苦しみ、自分の殻に閉じこもってしまう。以前もそれで大変だったから」


 過去の事を言われ、私は言葉に詰まった。そう……そうやって、多くの者達に迷惑をかけてしまった。


「下女頭は、ずっと心配していたの。貴方が海国に嫁いだ後もずっとね」


 紅玉は敬愛する元上司を思い出す。あの方は最後まで、紅玉を惜しんでくれた。


「貴方が過去の全てを忘れて、乗り越えて、幸せになってくれれば良い--それがずっと口癖だった。そうね、私もそうなれば良いと思っていたわ」

「……」

「でも、貴方は頑張りすぎた」

「……え?」

「王に寵愛されない名ばかりの妃。名目上はそうよ。でも、たとえ名ばかりの妃とはいえ、冷遇されているとはいえ、貴方は今も海国『後宮』に存在し続けている。悪知恵が働く者達にとっては、格好の的なのよ」

「……」

「貴方を傷つけた男もそう。貴方が過去に付き合ってきた男達もそう。あれらは、貴方に利用価値を見付けている。紅玉、貴方に接触を図ろうとしてくるわ」


 接触……それは再び彼等と対峙しなければならないという事か。

 ぶるりと身体が震え、自分を守る様に手で抱き締める。


「貴方は私達の誇りよ」

「明燐、様」

「貴方は常に自分を磨き続けたわ。向こうで、いくら大切にされているとはいえ、心細かった筈だわ。見知らぬ土地で、しかも王妃という地位に就かなければならない。多くの悪意にだって晒された事もあった筈。でも、貴方は『後宮』の男妃達とも仲良くやって下さって……本当に、頑張ってるわ」


 そう言って優しく頭を撫でられれば、瞳から涙が流れる。


「海国が返したくないと騒ぐのも当然ね」

「え?」


 聞き返した私に、明燐様は悪戯っぽく笑った。


「今までに、何度か貴方の里帰りを打診した事があるの。でも、全て却下されたわ。何でも、貴方を狙う悪党どもが居るから危険で『後宮』から出せないって」

「……悪党……暗殺者ですか?」


 それなら沢山居たと言えば、明燐様は吹き出すように笑われた。


「そんなの、どうとでも出来るわ。海国の力ならね。まあ、悪党にも色々な意味はあるけど」

「……あるんですか?」

「ええ。悪意を持つ者だけがそうではないわ。そうね、全く正反対の気持ちを持つ者も、その相手によっては悪党となるもの」

「正反対……って、それって」


 私の勘違いで無ければ。


「そ、そんなの、居るわけないじゃないですかっ」


 それは、好意というものだ。上層部や『後宮』の男妃達からは好意的に受け入れて貰っているが、それ以外には居ない。


「ふふ、どうかしら?」


 どこか神の悪い顔をする明燐様に、私は顔を真っ赤にして騒いだ。


「……良かった。それだけ元気なら、暫くの間は心配はありませんね」

「え?」

「言いましたでしょう? あれらが貴方を狙っていると。貴方を利用して、何事かを為そうとしている。大方予想はつきますが。そこで問題なのが紅玉、貴方ですわ」

「わ、私?」


 私が問題--いや、問題ありすぎる神生なので、今更どこが問題かと言われても。


「優しい貴方の事です。もしかしたら、絆されてしまうかもしれません」

「ほ、絆される?」


 そんな馬鹿な事--と言いたかったけれど、明燐様の表情があまりにも真剣で、私は黙った。


「物事には絶対なんて存在しませんわ。それに、心は変わる物。たとえどんな苦しみや悲しみでも、心を守る為にそれらは形を変え、時には忘れようとする。どれほど激しい憎悪や怒りでさえそうなのです。そうならないのは、時間が止まる事ぐらい。けれどそれは死を意味します」

「……」

「生きている限り、どんな物にだって時間は流れますもの。神は不老とはいえ、心の移ろいは存在する。変わっていないようでいて、変わっている部分は神にだってありますもの」

「明燐、様……」

「その上、貴方は優しすぎる。貴方は『母』なのですから」


 『母』--それは、私がなりたくてもなれなかった物だ。


「明燐様、私」

「貴方は『母』です」


 どうして、そんな事を言うのだろう。

 戸惑う私に、明燐様は静かに微笑む。


「『後宮』の男妃達を見れば一目瞭然ですわ」


 その言葉に、私は思い出した。そうだ、彼等は家族に恵まれないで来た。中には『母』と言う物に憧れを抱いている者達も居た。甘えたかった--でも、そんなものは彼等には許されなかった。


 ある男妃が私を『母』と呼んだ。私はそれを受け入れた。


 そう--可愛い『子ども達』。たとえ血が繋がっていなくても、彼等は『私の子』だ。


「『母』というものは偉大です。時として全てを受け入れてしまう。どんな悪ガキだって、『母』にとっては可愛い子。その子が危険な目にあったり、死にそうな目にあったりすれば、それを阻止しようと立ち向かう。全ての災厄から我が子を守ろうとする、強い存在ですわ」

「……私は、そこまで強くないです」

「そんな事、ありませんわ」


 明燐様が私の手を握りしめた。


「貴方は強くて頼もしくて、優しくて包容力に溢れた『母親』です。だから、どんな理不尽な仕打ちをされても、それを受け入れ許してしまう部分が強い。そう……いくら自分に酷い事をした相手であっても」


 私はそこまでお神好しと思われているのだろうか?


 ちょっとムッとしたが、明燐様は真剣だった。


「思ってますわ」

「明燐様?! 今、私の心を読みましたよねっ?! プライバシーの侵害ですっ」

「力は使っていませんわ。紅玉、貴方は顔に出やすいのです。昔に比べればかなりマシになりましたが、少し心の安定が崩れるとすぐですわ。いけませんわよ? 笑顔で男を手玉にとれなければ」

「て、手玉?!」

「そうですわ。コロコロと転がして差し上げて下さいませ。ああ、海王を手玉にとって彼に我慢を強いている所は凄いですわ、流石ですわ。その調子ですわ」

「そ、そんな事してませんっ!」


 そんな風にして、私は明燐様にからかわれた。

 でも、明燐様が帰る頃には、あれだけ気が重かった心は少しだけ晴れていた。


 明燐様が最後にはわざとああ言って私を元気づけてくれたのだと気付くのは、夕食を部屋で取ろうと夫が声を掛け、共に食事をする中での事だ。


 夫は、何も聞かなかった。

 私が倒れた事を問い質したかっただろうに。


 でも、彼は何も聞かずに食事を終え、入浴を済ませ、そして--。


「寝るか」


 用意された寝台に先に横たわると、ポンポンっと自分の隣のシーツを叩いた。

 此処に来いと言っているのだ。


「……やっぱり、寝台は一つか」

「広いから問題無いだろう。それに、幾つもあったら面倒だ」


 それは海王を狙う相手に忍び込まれたらという


「掃除が」

「掃除っ?!」


 どうしてそこでそういう言葉が出てくるのか。

 完全に調子を崩された私は、半ば夫に引きずり込まれる様に寝台の上に引っ張られ、気付けば眠りに落ちていたのだった。


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