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冥姫~梓の母のお話~

「おかあさま」


 小さな娘が私を見上げる。

 それに、私はいつもの様に返した。


「なあに?」


 偽りの笑みを。


「こんどは、いつかえってきてくれますか?」


 ツキンと胸が痛む。

 けれど、それを押し隠して私は言う。


「仕事が終わったらね」


 その言葉に、娘の目が潤む。

 けれどそれを押し隠して笑顔を浮かべた我が子に胸が痛んだ。


 お腹を痛めた我が子。

 可愛くないわけがない。

 けれど、この子は私の血を引くと同時に、あの男の子供でもある。


「いってらっしゃい、おかあさま」


 健気な笑顔を浮かべて手を振る娘。

 その隣に音もなく現れたのは、篠宮家の嫡男。

 娘が理人と呼び、そう呼ばれた少年が絶世の美貌に笑みを浮かべる。

 それは、夫が浮かべるものと同じ。


 幼い娘を女として見る少年に私は叫び出したくなった。

 けれど、その前に夫の意を受けた者達が私を車に押し込める。


「遅い」

「娘に挨拶していただけです」

「さっさと済ませろ」

「……娘との別れの挨拶にその言いぐさですか」

「家に居る間、部屋に引きこもり娘とロクにあわないお前が言うのか?」


 クツリと笑う隣に座る忌々しい相手。

 ほっそりとした長身に、女性と見紛う妖艶な美貌。

 老若男女問わず堕落させる様な美女だが、本来の性別は男。

 そして、私の夫。


 ――夫の言うとおりだった。

 私は、久しぶりに得られた家での時間を全て自室で過ごした。

 誰も中に入れず、娘すら拒んでいた。


 だが、それは誰のせいなのか。

 にも関わらず、最も拒みたい筈の夫だけが全てを拒む扉をこじ開け入って来た。


 泣いて拒み、嫌だと懇願する私をベッドに押し倒し、獣の様に貪る夫。

 四六時中、どこにいようと夫は私を捕らえにかかる。


「可哀想に……母を求めて泣いていた」

「っ――」

「子には罪はないと言うが、そうでもないのか」

「誰の、せいでっ!」


 娘が。

 私が産んだ小さな娘が、母を求めて泣く。

 それを見て心痛めぬ母が居るものかっ!


 けれど――私はその手をとる事は出来ない。


「奈都――」


 男が私の腕を掴み引き寄せる。

 夫と言う名の、男が。


「お前は永遠に、この私のものだ」


 おぞましい程の妄執で私を絡み取る。


「子供はもう」

「梓は女だ。榎木の跡継ぎたる男を産め。孕むまで産ませ続けるからな」


 その言葉に絶望する。


 どうして


 どうして


 幼い娘に対して、暗く淀んだ私の心が叫ぶ。


 どうして、男に産まれてきてくれなかったの?!


 梓が産まれた時の絶望が、蘇る。







 柊 奈都には産まれた時からの婚約者が居た。

 その相手とは、幼馴染みとして付き合っていた。

 彼は奈都よりも三歳年上だったが、いつも奈都には優しかった。


 奈都は町工場の娘。

 彼はその取引先の息子。

 いわば政略結婚だったが、奈都にとっては慕わしい相手と共に居られるならどんなものだって良かった。


 そうして奈都が十八の誕生日を迎えた日の事だ。

 高校卒業と同時に結婚する事になっていた奈都は、半年後に控えた結婚式の準備を始めだしていた。


 その一つとして、花嫁衣装の手直しだった。

 今は亡き母の思い出の衣装。

 それを彼との式で着るつもりだった。

 彼の母親は古めかしいと難色を示していたが、奈都にとっては大切な母の思い出の品。

 必死に未来の義母を説き伏せ、彼の援護射撃もあって何とか認めて貰った。


 しかし、やはり少しは手直しが必要だとして、それを持ち店へと向かっていた。


 そこで奈都は出会ってしまったのだ。

 彼の会社と取引のある、大会社を経営する榎木 薫と。

 彼の会社とは比べものにならない大会社を経営する若干25才の青年実業家。

女性と見紛うその美貌に思わず見とれた奈都だが、それはほんのつかの間の事だった。

 すぐにその瞳の奥底に宿る底知れぬ輝きに恐ろしいものを感じた。

 けれど、榎木 薫の奈都に対する対応は非常に紳士的であり、奈都はついつい心を許してしまった。

 そればかりか、絶世の美貌を間近にし、恥ずかしさと恐れ多さに終始俯いていた奈都をじっと見つめていた薫。


 何故なのだろう?


 もしかしたら、社交界の貴婦人と比べて洗練されていなかったり、彼が今まで見てきた社長令嬢と比べて田舎者だと思ったに違いない。

 奈都はそう信じて疑わなかった。


 それに、これは一時の出会いであり、きっとすぐに忘れてしまうものにしか過ぎない。


 けれど……それが奈都の不幸の始まりでもあった。


 それから三ヶ月後――。

 彼に呼ばれ、奈都はあるホテルへと向かった。

 きっと結婚式の準備に関係するものだと思い、沢山の資料を詰めた鞄を抱えていた。

 この三ヶ月、仕事仕事で彼とは殆ど話す暇もなかった。

 それに寂しさを覚えつつも、結婚したら今よりも一緒に居られると自分を慰めてきた。


 だから、浮き立つ心そのままに軽やかな足取りで向かったホテルの最上階。

 その部屋に居たのが、彼でないと知った時の奈都は驚いた。


「なんで」


 そう呟いた時、後ろで閉まった扉。

 驚いた奈都を背後から引き寄せた腕の力の強さに、思わず悲鳴をあげた。


 それから起きた事は、奈都にとっては悪夢そのものだった。

 強引に奪われた体。

 為す術もなく、奈都は薫のものにされた。


 泣きじゃくり、抵抗し、その全てを封じられ押さえつけられた。

 それでも必死に逃げ出し、婚約者である彼の下に向かった奈都だったが、ボロボロの彼女に彼は笑顔で告げたのだった。


 その隣に、見た事もない美しい美女を沿わせながら。


 ――榎木様は満足て下さったみたいだな。おめでとう、奈都。嬉しいよ、君が僕の役に立ってくれて。


 彼が奈都をもうずっと前から婚約者としてでなく道具として見ていた事を知った。

 彼が本当に結婚したかったのが、彼の隣に居る女性だと。


 それには奈都が邪魔で、結婚出来ないように誰かに襲わせようかと思っていたところに榎木 薫が欲しいと言ってきたと。

 だから、売り渡したと、彼は言った。


 奈都は売られたのだ。


 けれど嘆く間もなく、奈都は追い掛けてきた薫の手の者に再び連れ戻された。


 そしてそれから数時間もせず、奈都は薫の花嫁となった。

 梓を産んだのは、その十月後の事。

 その時に出来た子である事は疑いようもなかった。


 薫はとにかく奈都に執着した。

 片時も離さず、毎日のように奈都を我が物とした。


 子供を産め、跡継ぎを産め、男を産め。

 毎日の様に言われ続けた。


 そうしてようやく子供が産まれたが、それは女の子の梓だった。

 奈都の地獄は再び始まった。


 梓が男であれば。

 梓さえ男として産まれてきてくれれば。


 半分とはいえ血の繋がった我が子なのに、奈都は梓を拒絶した。

 お腹を痛めた我が子なのに、奈都は母を求めて泣く梓を振り払ったのだ。


「どうして男に産まれてきてくれなかったの?!」


 その罪の意識が、より奈都に梓を拒ませる。


 一方、薫は望んだ男でないにも関わらず、梓を可愛がっていた。

 仕事で殆ど一緒に居られなくても、女の子がほしがるものを全て揃えて梓へと贈る。


「梓は可愛いなぁ」


 奈都にそっくりな梓。

 そんな娘に夫が近寄るだけで心がざわつく。


 触らないで。

 近づかないで。

 あの子に触れないで!!


 けれど、そんな奈都の叫びも虚しく夫は娘を可愛がる。

 そして奈都を貪り続けるのだ。


 ――こんどはいつかえってきてくれますか?


 娘の思い。

 それに奈都が応えられる時は来るのだろうか。


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