海影一員×生贄(妻を傷付けた者達に対する夫の復讐物)前編
警告)サブタイトルにも書きましたが、妻を傷付けた相手への夫の復讐物です。嫌な方はUターンして下さい。
警告2)前編、後編の続き物です。一話で終わらせようかと思いましたが、続きます。
ドンッと突き落とされたのは、暗い暗い水の中。
服が水を吸い、縛られた手足につけられた重石が私の体を沈めていく。
酸素を求めて体を動かすが、その度に肺に流れ込む水にどんどん酸素が奪われた。
ごめんなさい
姉の泣き顔が蘇る。
すまない
恋人の泣き顔が蘇る。
本当は、姉が生贄になる筈だった。
村一番美しかった姉。
村長の若様の従姉妹。
けれど、村長の若様だった恋人は、私ではなく姉を選んだ。
物心ついた頃から、恋人と姉と三人で遊んでいた。
産まれた時から生贄になる事に決まっていた姉とは違い、私が若様の許嫁となった。
けれど、それでも若様は優しく私を愛してくれた。
お前を愛している
幸せだった。
と同時に、姉の運命に憤りを感じた。
何故姉が生贄になるのか。
私のたった一人の姉。
なのに美しいという理由だけで生贄に捧げられる。
村の悪しき因習。
今までも何人もの美しい少女達が海の藻屑と消えた。
おかしい、おかしい、おかしい。
どうしても姉を助けたくて、調べた。
生贄を捧げる必要性があるのかと。
生贄を捧げたって、海の荒れが鎮まらない時はあったではないか。
ならば娘はただの無駄死に。
これ以上犠牲を出してはならない。
若様の許嫁となった私であれば、生贄制度自体を潰せるかもしれない。
こんな、悪しき因習。
絶対に、無くさなければ。
けれど、何百年も続いた因習は村人達の心に染み込み、私は幾つもの壁にぶちあたった。
そうするうちに、姉が生贄になる日が近付いて来た。
このままでは姉が死ぬ。
けれど、姉を逃がしても別の少女が生贄に捧げられる。
村に少女が居なければ、別の場所から連れて来られる。
それを防ぐには、因習から村を解き放たなければ。
私は、村の最長老にして若様の曾祖母様に直接嘆願した。
何度も、何度も。
生贄制度はおかしいと。
同じく姉を失った曾祖母様なら、きっと分ってくれると信じて。
けれど海は次第に荒れ始め、少しずつ説得に応じて来た曾祖母様や村の古老達の心も揺れ始める。
そして最後の日。
説得が上手く行かなかった私がせめて姉だけでも逃がそうとした時、若様がやってきたのだ。
若様が姉を助け出そうと言った時に私は即座に頷いた。
やはり若様も姉を助けたいと、生贄制度の廃止を願っていたのだ――と嬉しくなった。
まさか、思ってもみなかった。
若様と姉が愛し合っていたなんて。
代わりに私を生贄にする気だったなんて。
若様と姉は愛し合っていた。
幼い頃からずっと。
けれど姉は生贄になる。
だからよく似た妹の私を許嫁にしたのだと、縛られていく私に若様は告げた。
どうしても諦められなくて。
募った恋心。
積もった狂気。
姉を愛している。
姉を死なせたくない。
何故あの少女なのだと。
何故、あの少女が生贄にならなければならないのだと。
何故、別の少女ではなかったのだと。
生贄制度を疑問視するのではなく、姉が生贄になる事に疑問を抱いた若様。
他の少女でも良いではないか。
他の少女でも構わないではないか。
愛する少女以外ならば誰でも良い。
そうして選ばれたのが、私。
生贄となる姉とよく似た妹ならば構わないと。
神をも謀る恐ろしい考えを抱き、企て実行した。
そして私は、若様の意を受けた者達に縛られ海へと投げ捨てられた。
時化の酷い、嵐の晩のことだ。
生贄となった私は、海の奥底へと沈んでいった。
ごめんなさい
姉が泣く。
泣いて、泣いて、私が沈められていく事を謝っていた。
すまない。
若様が謝る。
何度も何度も頭を下げて、その口の端に笑みを浮かべる。
そして二人は寄り添い、苦難を乗り越え神に祝福された恋人の様にお互いを抱き締め合う。
悲しかった。
苦しかった。
憎かった。
辛かった。
吐き出すのは罵倒のそれ。
だった筈なのに、叫んだ言葉は全く違った。
「お願い! なら、せめてこれで最後にして! 生贄は、最後に!」
生贄制度を調べる中で分った沢山の悲劇。
生贄となった少女達の家族や恋人の哀しみと苦しみ。
昔は確かに生贄を捧げて海の荒れが収まった事もあったかもしれない。
しかし、近年では生贄を捧げて海が収まることの方が大幅に少なくってきた。
けれど、昔から続くからとして、続けられる呪われた儀式。
せめて、せめて。
生贄になど出したくなかった――
前回の生贄となった娘の母を訪れた私に、彼女は泣きながら思いの丈を吐き出した。
それでも、最後には村人達に連れ攫われた娘。
本来生贄になる筈の少女は、村長の息子の妻になるからと、代わりに選ばれた。
結婚を三日後にして、突然生贄にされたのだ。
けれど、海の荒れは収まらなかった。
家族の命と引き替えに海に消えた娘の命。
こんな制度、無くして欲しいと必死に枯れ枝の様な皺の手で私を掴み、彼女は泣いた。
生贄制度なんていらない。
いらないのだ。
でも、私は生贄となる。
生贄にされる。
ならば、どうかこれを最後に。
不思議だった。
辛いのに。
苦しいのに。
恐いのに。
悔しいのに。
助けてと叫びたいのに。
それでも……。
「お願い、生贄制度を」
「大丈夫だよ」
若様が笑う。
「そんな事を気にするより、お前は海の神に精一杯仕えてくれ」
狂気の笑みが私を居抜き、指が鳴らされた。
ドンッと、若様の配下の青年に私の体は海へと押し出された。
そんな事?
そんな事って?
私は何だったのだろう?
「生贄制度を無くすなんて出来るわけがないじゃないか。なぜならこの村は」
微かに聞こえて来た言葉に、絶望に目を見開く。
ゴポンと最後の気泡が口から出され、私の意識は途切れていった。
最期に、美しい何かを見た気がする。
*
「何してるのよアンタ」
「い、茨戯様」
自分の配下である男の手元を見ながら、茨戯は首を傾げた。
この男にこれほど似合わないものはない。
「こ、これは、その」
男が慌てて隠したのは、アンティークドールのカタログ。
といってもこの男の趣味ではないのは確かだ。
「なんでそんなもん持ってるのよ」
「そ、それは、その」
頬を染め、もじもじとし出すその格好は到底二十代前半の男とは思えない。
しかも見た目は、他の男の娘達とは違い、妖艶ながらも精悍な男性的な美貌をしている。
似合わない
茨戯は本気で思った。
美形だけど、美男子だけど、他の男の娘達とは違う男性的な美貌には、余りにも似合わなかった。
「ってかそれ、朱詩の持ってたカタログよね?」
「か、借りたんです」
「ターゲットの趣味?」
茨戯もこの男も国王直属の影――『海影』に所属する。
諜報、暗殺、その他裏に関わる全ての仕事を引き受ける。
ターゲットの所に潜入する事もあり、その為の情報収集としてなら茨戯も自分の趣味ではない雑誌を読みふけることはあった。
しかし、男は首を横に振った。
「いえ、これは妻への贈り物で」
「妻? ――ああ、あの子ね」
「はい」
茨戯は男の妻を思い出した。
男が熱愛し、献身的に尽くす相手。
確か、数年前に男が人間界の海で拾った少女だった。
荒れ狂う海に潜む『魔性』退治に赴いた先で、海の中に沈んできたという。
「海の神を偽る『魔性』への生贄だったのよね」
「ええ――」
男が見つけ、瀕死の状態で凪国へと運び込まれた。
「当時は扱いに困ったのよね」
人間なのだから人間界に返す。
けれど、生贄として捧げられたとしては家に帰せない。
というのも、以前に生贄は必要ないと返した所、人間達はその生贄を忌むべき者として扱い、別の生贄を捧げてきたからだ。
だから逃がすならば別の場所。
それもなるべく早く。
人間の体では、神々の世界は毒であり、長く留まれば後遺症どころか死んでしまう。
しかし……少女は心を壊していた。
「姉と恋人――いえ、許嫁に騙され、姉の身代わりとして生贄にされたなんてね」
「茨戯様」
「分ってるわ、言わないわ」
心を壊した少女をどうするかと途方に暮れた上層部に、この男は願い出たのだ。
自分の妻にしたいと。
「アンタなら、相手なんて選び放題だったのに」
男の申し出は受け入れられた。
炎水家が許し、神籍が与えられたからだ。
「茨戯様」
「あら、アタシは感心しているの。アンタの献身さにね。おかげで、奥方もかなり調子がいいと聞くし」
他の部下達の話で囁かれていた。
その時は右から左で聞き流してはいたが、微かに頭の隅に留めて置いた。
「そうであってくれれば良いのですが」
一目惚れだった。
少女が意識のあった最後に自分を見た時の、その瞳に。
男は心奪われた。
それは少女が心を壊しても変わらぬほど、少女に恋い焦がれた。
自分が待ち続けていたのは、この少女。
生贄を求める神の心が少しだけ分った気がした。
だが、男は生贄を求める神の様に強引な手段はとらない。
「まあ、アタシも人のことは言えないけどね」
男は茨戯を見る。
ただ一人の少女だけを求めた主。
そして、今も少女が生まれ変わるのを待ち続けている。
そんな主は、自分が少女を引き取ると決めた時に、即座に同意し、擁護してくれた。
「人形も良いけど、アンタ達の子も早く見てみたいわね」
「それは授かりものですから」
「ふふ、神に授かりもの――人間達が知ったら驚くわよね」
子供が欲しくて神に願掛けする者達もいるぐらいだから。
「そうだ、そんなアンタにとびっきりのお仕事あげる」
「え?」
「一切の容赦を加えなくても良いわよ。ふふ、奥方も連れて行ったら良いんじゃないかしら?」
優しい笑みが、ニタリと妖艶で見る者全てを堕落させる様な笑みへと変わる。
そして渡されたファイル。
「出発は深夜。そのまま決行よ」
男は渡されたファイルの中を一目すると、ゆっくりと息を吐き出した。
ああ、長かった。
けれど、ようやくこれで。
「情状酌量の余地は無し。例え巻き込まれても、致し方ないわ」
生贄制度が続いても、仕方ない――
自分達の業は自分に返る。
「そうですね」
さあ、始まりだ。
観客は妻。
とびっきりの舞台を披露しよう。
後編に続く