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王×王妃④(シリアス物)

 神は五十年で一つ年を取る。

 あれから三百年。

 王子達は共に六歳になった。


 それは、同時に遠く離れた私の娘も同い年になった事を示す。


 王子達の親族は全て処分された。

 全員が反乱に関わっていたからだ。


 反乱における王の対応は英断とされ、河国はその後王と上層部の尽力によりたった百年で元の水準まで戻る事が出来た。

 更に二百年が経過し、発展を遂げた。


「おかあさま」

「かあさま」


 夫によく似た王子達が私に駆け寄ってくる。

 先に死んだ七人の王子達とは違い、この二人だけは夫にそっくりだった。


 長男の方は美しい銀髪を一本に三つ編みにし、弟は後頭部で高く結い上げている。

 まるで双子のような容姿は、成長するにつれてその輝きを増す。

 それでいて、父譲りの聡明さと才知は六歳にして学者達、将軍達も舌を巻くほどだった。


 あれほど罪人の子供と蔑んでいた者達でさえ、良い婿がねとして見るほどに。

 そればかりか、王宮全体の雰囲気も今では柔らかくなっていた。


 実の母を失った王子達は、世話役である私を本当の母として慕う。

 確かに王妃ともなれば、第二の母とも言うべき立場。


 しかし、乳母すらつかなかった王子達を世話した私にとっても、二人の王子は本当の我が子のようだった。


 それでも、最初は王子達を世話する気など私には無かった。

 それは妾妃の子供だからではない。

 ただ、いつ王宮から居なくなるか分らない私が、中途半端に手を出す事は自重するべきだろうと考えたのだ。


 私はいつか王宮を去る。

 日々募る娘への思いに、当時私はそう決心していた。


 夫を愛していたけれど、それでも娘を思う気持ちの方がいつしか優りだした。

 一番良いのは娘を引き取り夫に事の次第を話す事だが、それは無理だった。

 新しい妾妃達が入る事が決まっている状態で、正妃の子供の存在は危険すぎたから。


 でも、娘の存在を明かせないのは、それだけが理由では無かった。


 娘は声を出すことが出来なかったのだ。


 言葉を話せないのではなく、声自体が出ない。

 それを知り、私は愕然とした。


 理由を付けてもう一度娘に会いに来た私は、どんなに促しても声を出さない娘に言葉を失った。


 泣き声がない。


 それは、笑う年齢になっても、言葉を話す年齢になっても同様だった。

 転んだ時に痛みで涙を流しても、声だけは出ない。

 声帯に問題があるわけでもない。


 言葉も覚え、読み書きも出来る。


 けれど、「声」だけは無いまま。

 まるで私のお腹に忘れて出て来てしまったかのようだった。


 会話は全て書字や手話だけで行う。


 こんなんでは到底王位を継ぐことは出来ない。

 そればかりか、まず周囲から反対が来るだろう。


 どうして?


 なぜ?


 喜怒哀楽に富んだ娘。

 心優しく他者を思いやる娘に成長しながらも、「声」だけは紡げないまま。


 どれほど自分を責めただろうか?


 私のせいで……。


 嘆き続けた日々。

 けれど、逆に「王位継承者」として「欠陥品」ならばとも考えた。

 最初から争うだけの価値もなければ、見過ごして貰えるかもと。

 娘の命が脅かされる事なく、王宮に引き取れるのではないかと夢見た事もあった。


 しかし、少しでも隙を見せればあっという間に食い殺される伏魔殿。

 娘は命こそ奪われないかもしれない。

 けれど、利用されないなどという保証が何処にあるのだろう。


 それに、夫が娘の存在を知れば、きっと手元に置こうとする筈だ。

 それこそ、二人の王子達よりもずっと、これから産まれるだろう新しい王子や姫よりも可愛がってくれるかもしれない。


 だが、それではまた先の妾妃達の二の舞になってしまう。


 一人だけを寵愛すれば、絶対にバランスが崩れる。

 妾妃達や子供達の嫉妬が娘を殺してしまうかもしれない。


 それだけは避けなければ。

 それに、「声」を失った娘は奇異の目で見られるだろう。

 心ない者達の声も未だ高く、娘は格好の餌食となってしまう。


 老夫婦の元でのびのびと育っている娘。

 時折顔を見せる私を母と慕ってくれる娘を、そんな危険な場所に連れて行くことは出来ない。


 せめて、娘だけは幸せに育って欲しい。


 手元に引き取れない娘に涙し、代わりに私は王子達を精一杯育てた。

 それに、この王子達の母は私のせいで死んだようなものだ。


 心の何処かでは、妾妃達が一掃された事を喜んでいた私。

 どうして、もっと妾妃達の事に気を配らなかったのだろう。

 同じ男を愛した者同士、わかり合える所もあったかもしれない。


 例え無理でも、せめて王子達から母を奪う事だけはしたくなかった。


 偽善者と言われるかもしれない。

 愚かだと蔑まされるかもしれない。


 けれど、娘を授かった私にとって、ただ母を失った王子達の将来だけが気がかりだった。


 罪人の子供として蔑まされ、厄介者として扱われていた二人の王子。

 縁者の娘を妾妃に差し出したい者達は厄介者という視線を向け、下級の王宮勤め達は好奇な目を向け、中級の者達はできる限り関わらないようにし、上級の者達に至っては完全に仕事と割り切っていた。


 上層部はマシだったが、それでも妾妃の血を引く子として見てしまい、王は我が子として扱うがどうしても壁があった。


 このままでは、子供達の未来すら狂いかねないとして、私は世話役を願い出た。


 見捨ててしまえば良い。

 思わなかったわけではない。


 けれど、それでは何も変わらない。

 新たな悲劇を生み出し、それは大きな禍根となってこの国を揺るがすだろう。


 それは、王妃としては避けなければならない事態だ。

 しかしそれ以上に、誰からも厄介者として扱われる王子達を見捨てられなかった。


 そうして私は密かに母乳を与えた。

 我が子に与えられないそれを、二人の王子達に与えたのだ。

 誰にも知られないように、ひっそりと。


 オムツを替え、ぐずればあやし、できる限り子供達の側に居た。

 遠く離れた娘に出来なかった分、溢れんばかりの愛情を注いだ。


 と同時に募りゆく娘への思い。


 娘に会いたい。

 やはり娘と離れて暮らすなんて無理だ。


 王子達を育てれば育てるほど、遠くの我が子への思いは強まる。


 そして王宮を離れる事を、より強く決意させた。


 いつか私は王宮を去る。

 だからこそ、中途半端に関わるべきではない。

 関われば、王子達の哀しみは何倍にも跳ね上がって返ってくるだろう。


 なのに、それでも私は見捨てられなかった。

 気付けば、王子達が六歳になるまで私は育てていた。




 そこに辿り着くまで、色々な事があった。

 中でも一番は、夫の自暴自棄だ。




 妻に拒まれ続けた夫。

 王として賢君と謳われるまでに国を支え、発展させ、周辺国で内乱や戦が勃発する中でも国を守り続けてきた。


 そんな夫を支えてきた私だったけれど、夜のそれだけはどうしても受け入れられなかった。


 それどころか、子を産んだ体を知られたくなく、側に近付ける事もしなかった。

 普通ならばとっくの昔に愛想を尽かされも当然で、別の女性の下に行かれてもおかしくなかった。


 嫌だった。

 他の女性の所に行かせるなんて。


 けれど、夫は新しい妾妃を娶る事は決まっているし、それまでの猶予期間を突っ返しているのは私自身。


 文句など言える身分ではなかった。

 それに、周囲は私が夫を拒んでいる事に対して、「子を産めない女として当然」と思っている節があった。


 それは、下級の王宮勤め達や妾妃を献上したい者達ほど顕著だったが、他の者達も思っていただろう。


 子を産めないのだから、夜を共にする必要などない。

 そう声高に嘲笑する者達も多かった。


 中級の者達は我関せず。

 上級勤め達は下級の者達を叱咤するが、完全に口を閉じさせる事は無理だった。


 仕方ない。

 仕方ない。


 夫を支えたいと願いながら、私自身が夫を傷付けている。

 分っているけれど、受け入れる事は出来ない。


 いっその事、今のうちに正妃から妾妃に格下げして貰おうかとも思ったが、妾妃が政治に関わる事は出来ない。


 妾妃は子を産むだけの存在。

 王の手足となって駆けずり回る必要がまだある今、やはり正妃から降りる事は出来なかった。


 早く、早く、早く。


 必死に働き続け、一刻も早く国が落ち着くのを願った。


 けれど、夫の心はそれよりも早くに大きく揺らいでいった。


 そして――。


「一緒に逃げよう」


 ある夜、夫は私を寝台に押倒して囁いた。


 逃げよう。

 もうこんな国どうでもいい。

 こんな国などいらない。


 今まで弱音一つ吐かずに戦ってきた夫の初めての泣き言だった。


「いらない、いらない、いらない!」


 夫はこの国を憎んでいた。

 いや、最初は愛していたのかもしれない。

 けれど、妾妃達を強引に娶らされ、子を作らされ、挙げ句の果てには子を殺され妾妃達は自分の要求ばかりを押し付けてきた。

 そして親族達は身勝手に振る舞い、反乱を起こして内乱を勃発させた。


 夫は叫んだ。


 壊れてしまえ――と。


 この国に対して呪詛の言葉を吐き、私が遠のくきっかけとなった妾妃達への怨嗟の言葉を吐き続けた。


「国を……ようやく落ち着いてきた国をここで見捨てたら、どうなるの」


 私は夫に語りかけた。


「それに、王子達の事も」

「子供には信頼おける養父母を見つける」


 夫は言った。

 子供を愛せないと。


 子供を通して妾妃達を見てしまうと。


「努力した! 何度も、何度も!」


 夫は子供に無関心だったわけではない。

 毎日我が子の顔を見に来たし、抱き上げたりもした。

 来れない時も様子を他の者に聞き、病気の時には滋養に良い物を運ばせた。


 無関心だったわけではない。

 でも、愛する事は出来なかった。


「分ってるさ! 一番の被害者は子供達だって事を! 跡継として作っただけでは余りにも哀れだ。愛そうとした。母親達は憎くても、子供は別だとして! けれど、愛せない。お前をより惨めにする子供など愛せない!」

「惨め?」

「そうじゃないか! お前に散々酷い事をした妾妃達の子供をお前が育てる。子宮を失い子供の産めなくなったお前に別の女の子供を育てさせている。はっ! 俺はとんだ駄目夫だ! なんで、なんでこんな――違う、違う、俺だ、俺が悪いんだ」


 夫は自分を責めた。

 子供を愛せない自分。

 妾妃を取るしかなかった自分。

 妻は一人だけと言いながら、それを果たせなかった自分。

 妾妃達が私を虐めていながらも、手出しする事で妾妃達を余計に刺激させかねないとして黙殺するしか無かった自分。


 そして反乱を未然に防げなかった自分。


 夫は最後に言った。


「もう……いらない。いや、この国には俺はいらない」


 そんな事ない。

 そんな事などない。


 夫が必死に努力したから、この国は今も続いている。

 もちろん夫だけの力では無い。

 けれど、夫が率先して前に立ち続けることで、多くの者達が着いてきた。

 王を助け、この国の為に働きたいと思わせ、実際に行動に移させたのは夫が頑張ったおかげだ。


 そんな夫を私は拒み続けた。

 なんて酷い妻なのだろう。

 けれど、分っていてもどうしようも出来なかった。

 全てを話したかったけれど、娘を殺伐とした世界に引きずり込みたくなかった。


「もう、いい……もう……国なんて、いい」


 死のう――。


 そう夫が告げた時、娘の顔が蘇った。


 全てを滅ぼし、共に消えようとする夫を……。


「な、何を」


 私は夫に短刀を突きつけていた。


「私は死なないわ」

「……」

「そして貴方も死なせない、絶対に」

「……生きろとでも言うのか? この、苦しみを続けろと」


 夫の怒りに、何度意識を飛ばしそうになったか。

 しかし退く事は出来ない。


「俺は王になどなりたくなかった!」


 それは夫の本音。

 そして、同じ本音を持つ王は炎水界だけでなく、天界十三世界に数多く居る。


 静かに、ひっそりと暮らしたかった。

 けれど、他に任せられる相手が居なかったから、なるしかなかった。


 凪国の王も、津国の王も、他の多くの王達も。

 中には自ら望んでなった王もいるし、当然と享受した者も居たが、それでも多くの者達は。


 でも、例えどんな理由があろうとも、王を引き受けた時点で義務と責任が発生する。


 例え――。


「俺はお前と静かに暮らしたかった!」


 それが、愛した人との仲を裂くことになったとしても。


「我慢した! 国のためだから、民達のためだから! それがこのザマか!」


 自分が我が儘を言っていると、夫は分っている。

 しかし、もう我慢すら出来ないほどに突き抜けてしまったのだろう。


 そして私は、そんな夫に短刀を突きつけている。

 一緒に死ぬことも、逃げることも選ばずに。


 なんて酷い妻。

 なんて酷い妃。


 けれど、逃げる事はしたくなかった。

 死ぬ事もしたくなかった。


 娘の為にも。


 夫が放棄すれば、国は消える。

 文字通り、消えるのだ。


 この国は他国に比べて空間が酷く不安定な国の一つであり、空間を安定させる王の力が消えれば即座に消滅する。


 そうなれば民達は死ぬ。

 この国に居る者達全てが、消える。


 娘も。


 だから、私は夫の願いを拒絶する。


 以前の私なら、もしかしたら頷いていたかもしれない。


 けれど、娘を産み守るべきものを得た今、それだけは出来なかった。


 例え、夫と敵対する事になったとしても。


 死ねない。

 逃げない。

 辞めさせられない。


 続け、維持させていかなければならないのだ。


 娘の未来を、娘の生きる世界を壊させないために。


 いつか何処かに居る娘の運命の相手と出会い、娘が幸せに生きる為にも。


 と、そこで自分を嘲笑った。


 民達よりも、娘を選ぶ自分もある意味一緒。

 でも、それでもいい。

 例えどんな理由だって……逃げられないなら、苦しみの中を生き続けるなら、私は、私は……せめて、自分だけには嘘をつきたくない。


 娘の為に、国を守り続ける。


 それが、王妃として生きる私が、娘にしてやれる唯一のこと。


「貴方は王。私は王妃。夫と妻である以前に、私達はこの国の柱」

「……」

「その道を選んだ時点で、私達には義務がある」


 そう……義務と責任が。


 泣き崩れる夫を私は抱き締めた。

 酷い事をしている。

 酷い事を言っている。


 私を憎めばいい。

 私を恨めばいい。


 苦しむ夫に更なる苦しみを与える私を。


 でもね……。


 本当は夫の手を取りたかった。

 娘と、王子――息子二人を連れて、何処までも逃げてみたかった。


 家族五人で暮らせる新天地で……静かに暮らしたかった。





 国も少しずつ安定し、新たな妾妃達の後宮入りを一ヶ月後に控えたその日、私は決意した。


 この頃には、王子達に対しても大幅に態度を軟化させた上層部達も多く、共に面倒を見てくれるようになっていた。

 信頼おける女性の一人も乳母の打診に快く応じ、この一年の間で王子達とも仲良くなってくれた。


 彼女ならば、王子達の母代わりとしてしっかり育ててくれるだろう。

 既に子供を二人産み、彼女の夫もこの国の王の側近として働いてくれている。

 恋愛結婚だった。

 十年ほど前に夫の側近が訪れた辺境の地で見つけ、妻として連れ帰った女性。


 気が強くもあるけど、心優しく情に厚い彼女になら任せられる。


 友でもある女性に私は初めて全てを告げた。

 我が子の事を。

 そして、王妃を辞めることを。


 驚く彼女は当然私を止めた。


「どうして?!」


 泣きながら、彼女は言った。


 どうして――確かに、どうして?だ。


 夫に苦しい道を進ませる事を強要した私。

 一度はそんな夫を支え続けよう。

 逃げずに、例え娘と共に暮らせなくても――そう願った。


 けれど、私が共に居る事で夫が危険な目に遭うならば、その限りではない。


 それは、去年から始まった隣国同士の戦が原因だった。

 国の規模は共に中規模で戦力も同等。

 けれど、二つの国の争いは周辺国にも及び、どんどん焦臭くなっていった。

 このままでは、直にこの国にも争いの火の粉が降りかかるだろう。


 それを止めるには力が必要だ。

 それも、各国に働きかける強力な力が。


 その力を持つのは、残念ながら王ではなかった。

 この国で最も狡猾と名高いある貴族。

 その貴族の当主は、夫と娘の婚姻を望んでいた。


 一応建前は妾妃として娘を献上するとの事だが、裏では正妃にと望んでいた。

 そうして私の下に、ご機嫌伺いと称してやって来た当主は、暗にそのことを告げていた。


 すぐにではなくとも、娘が妊娠するまでに王妃を辞めるようにと。

 もしこれを拒むならば、王に協力しないと。


 今此処でこの貴族に離反されれば、この国は一気に戦火に巻き込まれるだろう。

 今まで睨みを利かせてくれていた凪国や津国が自国で手一杯になり、これを好機と捉えた小国や中程度の国の一部で戦が勃発し始めている。


 そればかりか、大国にも牙を剥こうとする所までも。


 この国を戦火にさらせない。

 三百年前の内乱で民達は苦しんだ。

 そして、更に以前の暗黒大戦では財産も家族も全て失った。


 私も、家族を失った。


 これ以上、失えない。

 娘の事だけではない。


 王妃として、戦を回避出来る手段があるなら、それを選ぶまでだ。

 例え、私が王妃を降りる事になっても。


 それに――もともと王妃を辞めるつもりだったのだ。

 娘と暮らすために。

 娘と生きる為に。


 だから苦しくなんて無い。

 辛くなんて無い。


 夫は今度こそ、自分に相応しい妻を得るのだ。


「その娘さんを王宮には連れてこれないの? その、確かに危険だけど……だったら、王妃を辞めて王宮の片隅でひっそりと暮らすとかは」


 そうすれば、夫も通って来れるという彼女に、私は首を横に振った。

 彼女には、貴族の申し出の事に関しては何も話していない。

 ただ、娘の事でずっと以前から王妃を辞めようとしていた事、国が安定し、新たな妾妃達が後宮入りしてくる頃を目処に王妃を退位する事を考えていた事だけを告げる。


 そう――一番最初に考えて居た、退位のそれだけを伝えた。


 貴族のことは話せない。

 話せば、苦しませる。

 いや、話せば貴族は離反する。


 だから、上層部にも夫にも話すことは出来ない。


 誰にも知られず、王妃を退位してひっそりと娘と暮らすのだ。


「王妃様は、陛下の事はもういいの?」


 良くない。

 良くないに決まっている。


 けれど、私が側に残ればこの国は戦火に巻き込まれる。

 妾妃としても残る事を許さないと言った貴族。

 王宮勤めとしても、許さない。


 出て行けと言った。

 王都から出ていき、辺境の地でなら生きる事を許すと。


 私の力では、それを受け入れる事しか出来なかった。


 しかし、夫は受け入れてくれないだろう。

 きっと、激しく怒る。

 偉そうなことを言って、苦しい道を歩かせ、自分一人を置き去りにして私だけが楽な道を行く。


 でも、言えない。

 貴族の間者はそこら中に居る。


 言えない。

 言えない。


 そして私は結局逃げ出した。


 全ての仕事を終わらせ、王子達を乳母に任せ、王妃を対する旨の書状を残して。

 これで王妃が不在なままでも、新たな王妃を擁立し即位させられる。

 そうして夫達に事情を説明する以外の全てのやるべき事を終えて、私は一人王宮から姿を消した。


 そうして、老夫婦の下で娘を引き取り何処までも逃げた。


 辿り着いたのは、山奥の小さな庵。

 誰も巻き込めないから、同行するといった老夫婦すら振り切り六つの娘と逃げ延びた。


「これからは、ずっと側に居るからね」


 いまだ「声」を発しない娘を抱き締め、ようやく私は取り戻した。


 娘との時間。


 そして失った。


 夫や息子達との時間。

 仲の良かった上層部達。

 親身になってくれた老夫婦。


 失ったものは余りにも多かった。


 けれど、それでもこの国が戦火に巻き込まれずにすむならば……。


 私はそれだけを祈り、娘と新たな生活を始めた。


 貧しくとも充実した生活。


 しかし、それはたった三年で終わりを告げた。



 三年目のある満月の夜。

 私の居場所を突き止めた夫と上層部によって、私達は王宮へと連れ戻された。


 そして知った、貴族の死と夫達の狂気。


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