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王×王妃②(シリアス物)

 十八歳での出産は、神々の世界では普通だったし、もっと幼くして子を産む者も居た。

 けれど、貧困が日常化していた大戦中に成長時期だった私の体は余りにも未熟で、どんなに大目に見ても十代後半とは思えない体付きだった。


 その上、長らく心身をすり減らした体での出産は、やはり多大な負担がかかった。

 三日三晩、私は苦しんだ末に娘を産んだ。


 けれど、無事に産まれた筈の娘からは、いつまで経っても産声は聞こえない。

 しかし、それ以外は元気な娘に、私はクタクタの体に鞭打って我が子を抱き締めた。


 もしかしたらその時、既に分っていたのかもしれない。

 この子との時間が余りにも短いことを。

 この子との別れがすぐそこに迫っていた事を。


 私は老夫婦の家で子供を産んだ。

 離宮には数少ない共だけを連れて来ていたが、彼らには一切妊娠を教えなかった。

 というのも、私は殆どを寝台の上で過ごしていた事と、服を着込めばお腹がそれほど目立たなかった事、そして何よりも老夫婦が協力してくれたのだ。


 もちろん、共達も信頼出来る者達であるが、彼らの主は王である。

 王のために、私の産んだの子の存在を明かすかもしれない。


 しかし、私は子の存在を決して報せる気はなかった。

 既に七人目の妾妃が、三ヶ月前に七人目の子供を産んだという報せが入っている。


 全員男の子という巡り合わせ。

 これから先は、我が子を跡継にしたい妾妃達とその親族達で壮絶な争いが繰り広げられるだろう。


 もし私のお腹の子が男の子ならば確実に殺される。


 実際には娘だったけれど、それでも危険性は変わらなかった。

 娘だって王位は継げるのだ。

 それに、もし男しか王位が継げなかったとしても、一人産めたのだ。

 次に男を産まれたらと向こうは考えるだろう。


 それを思えば、私は子を産めない女でいなければならなかった。


 これ以上、争いを激化させない為にも。


 しかし娘は可愛かった。

 小さな体、温かな体温。


 到底手放せないと思った。

 後から後から湧き上がる母性本能が叫ぶ。


 この子と共に生きたい!!


 王妃としての身分を捨て、産まれたばかりの小さな娘と暮らしたかった。


 夫への愛が薄れたわけではない。

 夫の事は変わらず愛していた。


 今も上層部と共に必死に国の為に力を注いでいる夫を支えたいと思う。


 けれど、夫の下に戻るという事は、この子を手放さなければならない。


 産むまではそれも仕方ないと考えて居た。

 夫を支え、子も守る為にはそれも仕方ないと。


 例え子に恨まれても、あんな伏魔殿にこの子を連れ帰ってむざむざ殺されるぐらいなら……。


「手放せない……」


 でももう無理だ。

 腕の中ですやすやと眠る娘。

 まだ、目も開けていない我が子の温もりを知ってしまった今、もう駄目だった。

 十ヶ月お腹に入れて守ってきた。

 初めて動いた時も、子供の生きている音も全て知っている。


「この子と共に生きたい」


 成長し、愛する男と結ばれ子を産むまで見届けたい。


 娘はどんな女性に成長するだろうか?


 どんな相手と結ばれるだろうか?


 孫は男の子か女の子か?


 それは、母となった者ならば誰もが抱く夢。


 けれど……所詮夢は夢だった。


 そして私は、やはり母にはなれなかった。


 出産から数時間後、老夫婦の夫が私の元にやってきた。

 それは、離宮からの使いを知らせる為だった。


 私は我が子を老夫婦に預け、急ぎ離宮へと戻った。

 その時、私は再び我が子に会えると思っていた。


 ずっと側にいる事は出来ないけれど、離宮から老夫婦の家はそう遠くなく、私が離宮にいる限りは頻繁に訪れる事は出来る。


 ずっと側にはいられない。

 けれど、その分通い子の成長を見守りたい。

 せめて、子が乳離れするまでは。


 少しでも、長く、娘の側に。


 長く居れば居るほど情が移り、子供を手放せなくなると分っていても願ってしまった。


 娘と共に暮らす……儚い夢を。


 しかし、その夢はあっけなく潰えた。


 離宮に来たのは、懐かしい上層部の一人だった。

 出産間もない体の私は、よほど具合が悪く見えたのだろう。

 私を気遣う様子は、本当に心配しているのが分った。


 もともと、上層部の中では一番仲の良かった相手だったから、余計にだろう。

 そうして一通り再会を喜び合った後、私は相手の言葉を待った。


 離宮に来てから数ヶ月。

 今までは上層部ではなく、彼らが信頼する部下が定期的に来ていた。

 なのに此処に来て上層部が来るという事は、何かがあったのだ。


 もしや王宮に戻れと言うのだろうか?


 確かに王妃が長らく王宮から離れているのは、決して褒められたことではない。

 王妃不適合として退位させられてもおかしくない。


 だが、相手の話した内容は驚くべきものだった。


「実は、王子達が……」


 殺されたの。


 私は茫然とした。

 王子――妾妃達の子供達が殺されたという。

 妾妃達とは愛しい相手を巡るライバル。

 けれど子を産んだ今、我が子を失った哀しみはいかほどかとそればかり考える。

 もし私が娘を失ったら……きっと生きてはいられない。


「どういう……こと?」

「実は……彼らを殺したのは、その、母親達なのよ」

「っ?!」


 話はこうだ。


 子が産まれた後、王は出産後の体を労るという名目で子を産んだ妾妃に通うのをやめた。

 もちろん、妾妃からすれば相手が出来ずとも通ってきて欲しいのが本音だ。

 それに、子は多ければ多い方が良いから、その点から言っても王にはむしろ通ってきて欲しい。

 だが、それ以上に妾妃達は王を愛していた。


 それに、子を産んだ後こそ側で愛して欲しい。

 その逞しい腕で自分を抱き、激しく抱いて欲しい。


 けれど王は、妾妃達の陳状を一切受け付けず、子供の顔を見るのも侍女に言って自分の所まで運ばせる始末だった。


 まるで、子供さえ生まれれば後は用はない。

 義務は果たしたと言わんばかりのそれに、妾妃達は嘆き悲しんだ。


 だが王はなしのつぶて。


 それどころか、妾妃達に冷たく告げたという。


『最初に言った筈だ。お前達は子供を産む道具。子供を産む代わりに一生生活に困らない面倒は見るがそれだけだ。契約に違反するなら、とっとと放り出すまでだ。お前達の代わりなんていくらでも居る。俺が欲しいのは子供を産む、道具だ』


 それは最初から、何度も言われていた言葉だ。

 けれど、妾妃達は願っていた。

 子供さえ生まれれば、いつか王も自分を愛してくれるかもしれないと。


 その儚い願いに縋り付いていたのに、王の心は決して変わらない。


『他の者達にも言おう。俺が妾妃に求めるのは愛ではない。子供を産む為の器であって、それ以上でもそれ以下でもない。もし今後俺に新しい妾妃を差し出すならば、それを徹底しろ。いいか? お前達はそれでも良いから娶れと言ったんだ。そしてこうも言ったな? 私達の娘は本当に聞き分けの良い娘だと。王の意に沿う物静かな娘だと』


 王は嘲笑ったという。


『とんだ欠陥品だ』


 あの人がそんな事を言うなんて、信じられなかった。


 けれど、上層部は仕方の無い事だと言った。

 妾妃達の争いは日に日に激化しているばかりか、妾妃の位を笠に着てやりたい放題。

 贅沢も制限無く行い、日々国の財政を傾けているという。


 もちろん王は何度も警告したが、聞き入れず余計に度は増していった。

 親族達も嗜めるどころか、そんな妾妃達の権を笠に着て権力闘争に明け暮れる始末。


「今思えば、妾妃達は王の注意を惹くためだったんだろうけどね」


 しかし王は何度も宣言した。


 妾妃は子供を産む道具だと。

 愛する正妃を悲しませてでも跡継の為に妾妃を娶った。


 妾妃は道具。

 妾妃は愛するものではなく、子供を産む為だけに存在する。

 妾妃は子供を産むことで国家に尽くすのであって、それが嫌ならならなければいい。


 王は決して妾妃に強制はしなかった。

 中には、本人の意思に反して強引に後宮入りさせられた者も居たけれど、そういう相手は密かに逃がし、結局は本人の意思で来た者達だけが妾妃となった。


 そしてその者達にも何度も伝えた。


 お前達はただ子供を産めば良い。

 道具として、きっちり役目を果たせと。

 それが嫌なら、帰れと。


 その言葉は、凪国や津国など他国の王達の出席する宴でもしっかりと伝えられていた。


 だから周辺国も、この国の王が妾妃達を迎えたのは跡継の為だけで、子供を産ませればそれで終わりだと認識していた。


 妾妃達やその親族達の思惑を余所に、大勢の前で宣言する事で夫は正妃への愛を示していたのだ。


 けれど、それがどれだけ妾妃達の心を傷付けたのだろう。


 子供を産んだ途端、宣言通り見向きもされなくなった妾妃達。

 子供は多ければ多い方が良いから二人目をと王に懇願しても、七人も居るのだからと断られ、また産まれた子をしっかりと育てるように告げたという。


 確かに七人も居れば子供の心配はないし、また余りにも多ければ余計に争いが起きる。

 それを津国と凪国の王達がそれぞれチクリと言ってくれたという。


 彼らは私に同情してくれた。

 二人とも、ただ一人の妻を愛していた人達だった。


 そして二人は、夫と私が愛し合っていたのを知っていた。

 だからこそ、夫の苦渋の決断に何も言わなかった。


 子供は必要。

 それが分かっていたから。


 それは王である限り――他者の上に立つ限り、逃れられない義務である。


 ならば王を退位すれば良いという話もあるが、代わりが居るならすぐに夫はそれを選んでいた。


 代わりが居なかったからこそ、妾妃を娶るしかなかったのだ。

 そして、私を側に置き続けるには、彼らの要求を呑むしか無かったのだ。


 上層部も必死に抗ってくれた。

 今、私の目の前にいる彼女も。


 それでもどうにもならなかったから、妾妃は迎えられたのだ。


 その時、私には二つの道が呈示されていた。

 妾妃を拒否して王の元を去るか、それとも受け入れて側に留まるか。


 私は自分の意思で選んだ。

 王の側にあり続ける事を。


『結婚して欲しい』


 そうぶっきらぼうに言いながらも、必死な形相の夫を受け入れた時に誓ったのだ。

 夫が私をいらないと言うまで側に居ようと。


 だから夫の側に居続けた。

 夫が妾妃を抱いている時も必死に耐えた。


 王である事を捨てられない夫。

 それは、権力の為では無く、夫を信じてついてきた者達の為に。


 夫が王を辞めるという事は、その者達全てを捨てると言う事。

 今この時点で捨てられれば、彼らは生きてはいけない。

 あっという間に戦火に飲込まれて国は瓦解する。


 だから夫は、王で有り続けるしかなかった。

 と同時に、夫が妾妃を迎える事で上層部への風当たりを弱めさせた。


 上層部にも、子供に恵まれない夫婦は何組か居たから。

 彼らの為にも、そして国の為に夫は王で有り続ける。


 だからこそ、私は愛したのだ。

 そんな優しく誠実な夫を、愛したのだ。


 誰よりも誠実な夫。

 決して思わせぶりな事をせず、妾妃達にも誠実に対応した。


 愛せない事は分っていたから、そう伝えて。

 でも、決して蔑ろにはしなかった。


 妾妃達とは夜の生活以外は殆ど会わず、会わなければならない時には必ず第三者を同席させた。

 妾妃達やその親族達がどれだけ第三者を排除しようとも、絶対にそれを認めなかった。

 妾妃達が生活に困らないようにきちんと采配をふるい、最低限の事をした。


 でも、それだけ。

 王の愛が欲しかった妾妃達は満足できなかった。


 王に愛され、正妃の座に就く。

 その為には、どんな手段だって彼女達は取った。


 それが、実の子供を殺すという事だった。


 子供が産まれてからは、どれだけ懇願しようとも王は通ってくれなくなった。

 妾妃達は次第に子供を産んだ事を後悔し始めた。


 子供が出来た時はあんなに喜んだというのに、子供が産まれたばっかりに王の足は遠のいた。


 自分達は子を産むための道具。

 けれどそれを認められず、ひたすら儚い希望を抱き続けた。


 そして考えついたのだ。


 子供を作る為ならば、王は来てくれると。

 しかし、二人目を願おうにも来てくれない。


 数は十分だからと言って。


 ならば方法はただ一つ。


 今居る子供を殺すしかない。

 それも、自分の子供を殺すしかなかった。


 というのも、他人の子供を殺したとしても、それでは王の足は他人に向いてしまう。

 今居る子供をしっかり育てろと言うのが王の言葉。

 だから、自分の子供を殺すしかなかった。


 一番最初に子を産んだ妾妃は、私が離宮に移って数日後に我が子を殺した。

 まだ、五ヶ月目だった我が子の口と鼻を塞いで。


 けれど……悲劇はそれだけでは終わらなかった。


「最初の子が死んだ時は、赤ん坊に良くある突然死として処理されたの」


 大戦前もそうだが、今も赤ん坊の死亡率は高い。

 それは、子供を産む時に母子共に死んでしまう場合も含めてだが、子供が大きくなるには今の時代は余りにも過酷だった。


 だからこそ、赤ん坊が死んだと聞いても突然死として処理されたのだろう。


 そして妾妃の予想通り、王は親族達の煩い追い立てにより子供を作るべく訪れた。

 妾妃は狂喜し王を迎え入れた。

 と同時に、妾妃は子供が出来ないように細工をしていたという。

 それは、子供が出来れば王の足は遠のくから。

 だから、妾妃は王を独占する為に子供が出来ないようにしていた。


 しかし、その企みはすぐに他の妾妃達にも伝わった。

 そうして王を独占する妾妃に憎悪し、王を取り戻そうと次々と子供達を殺したのだ。


 子供はただの道具――そう笑いながら、子供を殺した妾妃も居たという。


 七人とも、死んだ。

 それもたった二月の間に。


 余りにも異常だったそれに、王が不審を抱いたのは言うまでも無い。

 そうして秘密裏に続けられた調査。


 王は妾妃達の油断を誘う為に通い続け、二人ほどが妊娠した。

 その二人は最初に殺した妾妃と違い、子が産まれてもまた殺せばいいと思っていたのだろう。


 そして調査結果が出たという。

 今から、一月半前に。


 妾妃達は子を殺した殺人罪で全員が捕らえられ、また親族達も次々と捕縛されていった。

 それは、余りにも煩い親族達を叩き出す為の材料集めをしていた王と上層部の努力が実り、人身売買、奴隷狩り、その他多くの罪を親族達が犯していた事が発覚したのだ。


 何としても自分の血を引く子供を次期国王に。

 その思いが暴走し、多くの罪を重ね始める機会を王達はずっと狙っていたのだ。


 彼らがやり過ぎたのは、妾妃の親族という自負が強すぎたのが原因だ。

 いつしか、まるで自分達が王のように振る舞い、暴走し始めた。


 それは、子飼いの奴隷商人達の暴走も許し、各大国から民達を誘拐するまでとなり、各国を怒らせたのだ。


 とくに凪国と津国は、言い逃れの出来ない証拠を叩付けた。

 それは、王と上層部とあらかじめ相談していたものだった。


 親族の暴走が過ぎ、各国にまでその魔手を伸ばしていたと知ってすぐに王と上層部は各国の王達にその旨を伝え、親族達を一斉に捕らえる準備を練っていた。


 頼るべき親族が居なければ妾妃達も好き勝手にはできない。

 そう考えてもいたのだろう。


 結果、妾妃達への注意は弱まり、その隙を突かれて子供達は殺されていった。

 しかも、何処からか情報が漏れ、親族達の一部に逃げられてしまった。


 妾妃達を見捨てた親族はそれぞれの領地に籠もり、徹底抗戦をしたという。

 また彼らは、離宮に居る私を人質に取ろうとしたが、凪国と津国側に協力を依頼していた為、近付く事は出来なかったらしい。


 間者は徹底的に始末されたから。


 けれど向こうはそれでも諦めずに交戦し、王妃を人質に取ろうとし続けた。

 しかし、とうとう十日前に決着が付いたという。


「親族は全員確保。後は処罰を待つ身よ」


 全員が捕まった。

 但し、協力者達という残党はまだ残っているという。


 それに、一月以上に及ぶ内乱による余波もある。

 余波は余りにも大きく、流石の津国と凪国もそれには介入出来ない。


 それぞれの国にも、それ以上の余力はないからだ。

 この国よりも遙かな大国を統治している各王と上層部達。

 むしろ十分過ぎるほどしてくれただろう。

 他の国では、介入させるだけの力すらないのだから。


 だから、後はこの国の者達だけで何とかしなければならない。


 多くの者達が犠牲になった。

 内乱に巻き込まれただけでなく、親族達が降伏を言い渡す王達に交戦し、無駄に多くの者達を死なせたからだ。


 できる限り助けた。

 できる限り保護した。


 けれど、複数で起きた内乱により国の経済は混乱し、民達の生活は大きく揺らいだ。

 周辺国にも多大な影響を与えた。

 今回の内乱で戦争孤児、戦争未亡人、家族を失った者達も居た。


 その者達の生活を立て直さなければならない。

 被害に遭った者達を補償しなければならない。

 そして死んでいった者達を弔わなければ……。


 それらを、王と上層部は行わなければならないのだ。

 それが、夫達の勤め。


 そして王妃である私の勤めである。


「でも、無理はしないで。まだ体調が悪いし……ただ、今回みたいに王妃が人質にされるかもしれないというのもあって、出来れば王宮に戻って欲しいの」


 警備面からしても――。

 そう伝える上層部の彼女。


 その瞳の中に、私は見てしまった。


 子を殺され、内乱で国が揺らぎ、それでも国を立て直す為に今も戦い続けている夫。

 その夫の側に戻り支えて欲しいと告げている。


 私は告げた。


「分りました」


 娘の事が頭によぎらなかったわけではない。

 けれど、私は決めた。


 王妃である責任を果たし、王を支え国の為に働こうと。


 一日だけ貰った時間で、私は老夫婦の元に戻った。

 そして数時間ぶりの娘を抱き締めた。


 娘は連れて行けない。


 確かに妾妃達や親族達は居なくなった。

 けれど、今回の事で一気に子供の数が減った王には、落ち着けばまた子供を望む声が上がるだろう。


 そうすれば、新しい妾妃達を娶らなければならない。


 その時に、正妃に子供が居ればやはり危険になるだろう。

 子供は娘だが、王位を継ぐ可能性だってある。


 既に子供が三人も居た以前とは違い、最初から子供が居れば、その子を王位にという言葉に賛同する者達は多いかも知れない。


 しかし、新しい妾妃達からすれば目の上のたんこぶであり、娘の命は狙われ続けるだろう。


 それに、まだ今回の事件が全て終わったわけではない。

 協力者達はまだ捕まっていないのだ。

 彼らは残党として、いまだ機会を狙って暗躍しているという。


 そんな所に娘を連れて帰れば、格好の標的にされる。


 誘拐、脅迫、殺害。


 あらゆる魔手が娘に向かって伸ばされていくだろう。

 王の他の子供達のように、小さな命を散らすかもしれない。


 そんなのは絶対にイヤだ。


 娘を守ろうにも、暫くは王も上層部も全員が駆けずり回らなければならず、娘の警備にまで手を回す余裕はない。


 夫は王。

 親友達は上層部。


 そして私は王妃。

 王妃は、国のために尽くすもの。

 今民達が苦しんでいる中で、娘を優先にする事は出来ない。


 だから……私は娘に謝った。


「ごめんね……ごめんね……」


 娘の安全の為にも、私がしてやれる事はただ一つ。

 王妃である事を選んだ私がしてやれる事は、娘を手放す事だけ。


 連れては帰れない。

 連れて帰れば、殺される。


 だから、娘を手放す。


 他の誰にも報せず、此処に置いていく。


 迎えに来た上層部の彼女にも伝えなかった。

 何処に『目』と『耳』があるか分らないから。


 信頼してないわけではない。

 でも、娘を守る為には報せない事が必要だった。


「ごめんね……」


 私は娘の名を呼んだ。


 娘だったら付けたかった名前。

 その名を呼び、母乳を与えて抱き締める。


「この子を頼みます」


 老夫婦に全てを話せば、自分達が面倒を見ると言ってくれた。

 その方が、もし私が子供を引き取りにきたいと言った時に、すぐに返せるからと。


「私達はこの子を一時的に預かるんです」


 あくまでも母は貴方だと老夫婦は言った。


 その言葉がどれだけ嬉しかった事か。


 いつか……いつか……。


 娘と共に暮らせる日が来たならば……。

 但し、それは同時に王妃を退位する事を意味する。

 夫との別れを意味する。


 いつか、そんな時が来たら……。


 その日は、娘と共に寝た。


 そして次の日、私は自分の持っていた匂い袋を手渡した。

 夫が初めて作ってくれた贈り物。

 側に居られない母の代わりに、それを形見としてもらう為に。


 ふわりと薫る椿の匂い袋を娘に握らせた時、娘の目が開いた。


 美しい、夫の色。


 ああ……紛れもない、私と夫の娘。


 そうして私は、老夫婦に娘を託して走り出した。

 後ろから母を求めて泣く娘の声に耳を塞ぎ、離宮へと戻った私は、待っていた上層部の彼女と共にその場を後にした。


 ごめんなさい


 ごめんなさい


 心の中で泣き、心の中で謝る。


 そうして数ヶ月ぶりに戻った王宮。

 そこで私の王妃としての戦いが始まった。

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