王×王妃③
飛ぶ鳥を落とす勢いという言葉がある。
但し、その意味は本当に鳥を叩き落とすのではなく、権力や威勢が盛んな様子というごく普通のそれだ。
その日、海国王宮の奥深くにある王妃の室にある中庭にて、その琴の音が鳴り響く。
びよ~ん!!
ビロビロリーン!
ばさばさと飛ぶ鳥が大量に中庭に落下してきた。
そのどれもが口から泡を吹き、目を回している。
「凄いぞ、王妃。正しく飛ぶ鳥を落す音色だな」
王に悪気は一切無かった。
しかし、ビィィンと琴の糸を捻りきった王妃は、そのまま琴で王の側頭部を殴り、始まった大乱闘。
控えていた侍女達やら侍従達、また王の護衛として部屋の外に居た武官達も入り乱れる大騒ぎとなったのだった。
*
「どう思う」
「それは陛下、貴方が悪いでしょう。嫌味ですか」
王妃から暫く出入り禁止令を食らった王は、後宮の主である四妃の名を冠する四人の妃達の元を訪れていた。
王妃に相手にされないから別の妃の所へ――そんな王は歴史を顧みれば数多く居たが、海王の場合は意味が違う。
そもそも、後宮に居る妾妃達は全員男である。
まあ、男色家の王ならば別におかしくもないが、海国後宮の妃達は全員その美貌が災いし酷い目にあってきた過去から避難してきた者達であり、いわば後宮は避難場所。
王は手を付ける気は全くなく、妾妃という立場も避難してきた者達を追いかけ回す者達の牽制の手段にしか過ぎない。
そんなわけで、後宮の妾妃達は王にとっては守るべき避難民であり、同時に同じ過去を持つ同志、そして気の置けない仲間みたいなものだった。
他の妾妃達も物陰から様子をうかがっている中、事情を聞いた四妃達は溜息をつく。
政治に関してはあれだけ有能で、軍部も掌握し、民達からの人気も高い賢君のくせしてどうして王妃の心は掴めないのだろうか。
「私は王妃の事でわざと嫌味など言わない」
わざとでなければ言うのか。
「なら、飛ぶ鳥を落す音色って何ですか」
「飛ぶ鳥すら翼を休めるほどの音色という事で」
王妃からすれば全くそんな風には取れなかっただろう。
「そう、常に張り詰めている聴覚神経を強制的に麻痺させた挙げ句、三半規管を破壊し、バランス感覚を失わせ永遠の眠りへと誘う素晴らしい音色だと褒めた」
「そしたらなんて言われました?」
「死んでくれと言われて殴られた」
確かに四妃も王妃の楽の才は知っていたが――。
「これは、徹底的に教育し直す必要がありますね」
どちらをとは聞かず、他の三人の妾妃達が艶やかに微笑む。
「貴妃、凄く楽しそうだね」
「そもそも教師志望だったしな」
小さい頃の夢は教師――そんな可愛らしい夢を抱いたこともあった。
そしてその夢を、王妃が思い出させてくれる。
馬鹿な子ほど可愛い、出来ない子ほど教え甲斐がある。
貴妃にとって王妃は可愛い大切な生徒だった。
「いや、琴ぐらいなら私が」
「また殴られたいんですか」
王はあらかたの事は出来る。
殆どの楽器を弾きこなし、女としての教養も完璧。
男なのにどうして女に必要な教養を学んでいるのかについては、彼を女として飼っていた者達の趣味だ。
貴族夫人にも匹敵する程の教養は、絶対に自分の妻にしようとバカ共が企んでいたからだろう。
だが、それを披露したら確実に王は王妃に捨てられる。
絶対にだ。
一切の躊躇いもなく王妃は王を投げ捨てて行くだろう。
それは王に男としての魅力がないからか――いや、王妃が他の女性の様に王の地位や身分、外見に拘らない素敵な女性だからだろう。
「ん? それだと、王は中身の点で失格という事になりますか?」
「は? 私の中身がどうした?」
王の言葉を無視し、四妃達は考える。
王として最高、男としても最高、女としても最高、でも夫としては――。
四妃達は顔を見合わせ、揃って王を盗み見る。
どうしてそこだけ落第点になるのか。
すると、王が溜息をつくのが見えた。
「陛下?」
「近頃王妃は怒ってばかりだ」
哀しげに微笑む王の色香に、四妃達は引き摺り出される欲望に震える体を押え付ける。
「王妃は私の事が嫌いなんだろうか」
「陛下――」
自分の知らない間に勝手に目を付けられ、更に知らない所で勤め先である凪国国王と身柄のやりとりをされ、なおかつ相手は同性愛者だと思っていたら嘘でしたとなり――。
嫌う要素ばっちり!!
特に向こうは今までロクな男に恵まれず、最後の男に至ってはその愚かな暴挙によって子供を望めない体にされた。
もう男は沢山と思っていて、同性愛者でただのお飾りだからと説得されて来てみれば、実はそういう目でみる男が夫。
「嫌われる要素が多すぎますね」
「んなっ?!」
四妃達は、自分達も王妃がこの国にくる原因となったにも関わらず、その所行を完全に棚上げした。
というか、例え王が一目惚れしても、妾妃達が凪国国王に強く強く願わなければ、穏便に王妃を手に入れる事は叶わなかっただろう。
「とりあえず、全力で謝れ」
「離縁こそが王妃の幸せかと思うよ」
「徳妃の言うとおりだ」
「お前らは私と王妃の仲をどうしたいんだっ!」
別にどうもしたくない。
それが四妃の本音だった。
というか、王妃の事は気に入っているし慕ってもいる。
自分達の様な特殊な存在も丸ごと受け入れてくれる女性なんて王妃ぐらいだろう。
王妃が来る前に来た女性達など、勝手に嫉妬に狂い襲い掛かってきたし、また男妃として侮蔑と嘲笑を向け、中には見目麗しいからと色目を使ってきた者達も居た。
ある意味それが普通なのだと諦めていたのに、突然ポッと現れた王妃。
彼女との時間は本当に優しく、砂糖菓子の様に甘く心地良かった。
しかし彼女の幸せを望むなら、この王を犠牲にしなければならない。
だが、王も自分達を助けてくれた慕わしい存在であり、大切な仲間である。
というわけで、最終的に下した結論は、必要以上にかかわらず中立を保つ事だった。
「しかし怒ってばかりという事は、何処かに不満があるという事か」
王は必死に考えた。
妻の不満、それについて。
「王妃には色々なものを与えた。王妃としての地位と身分、安定した生活に」
与えたものは数知れず。
確かに、女として沢山のものを得ただろう。
しかし、それでも王妃は不満があるのだ。
ぶつぶつと呟く王に四妃達は思う。
どうしてそこで考えつかないのだ――自分の一言多い口を。
「もしや、外国の――隣国を攻め滅ぼせと」
「やったら殺すぞボンクラ亭主」
ズゴゴゴと凄まじい殺気を燃やす王妃の出現に、四妃達は一斉に部屋の隅まで逃げた。
五分後――王妃に意識を落された王が側近達に回収されていく中、王妃は出されたお茶を片手に一息ついていた。
「ってか、何考えてるんですかあの王はっ」
常に貴方の事を考えてました――と心の中で突っ込む部屋の主たる四妃は乾いた笑みを浮かべた。
「それより、王の御前で琴の音を披露したと聞きましたが」
その瞬間、王妃は素手で茶器を握り潰した。
バキバキと粉々に砕け塵と成るそれに、四妃達は王妃の心の傷の深さを見た。
「あのボンクラ亭主が……話したの?」
「いえ、王妃様。あの陛下が話さずとも、情報を取る手段はいくらでもありますから」
おほほほほと袖で口元を隠して笑う貴妃に王妃は溜息をついた。
その仕草が女らしいとは決して言わずに。
「ってか、確かに私の演奏が駄目なのは分かってるけど、飛ぶ鳥を落す音色ってなんですか! 嫌味ですかあれはっ」
そうか、王妃も嫌味だと感じたのか。
「しかもその後、王が完璧に曲を弾きこなすし」
女の嗜みで覚えさせられたと言い切った王の顔面にどれだけ渾身の一撃を叩込みたかったか。
王妃の言葉に、貴妃達は血の気が引いた。
既に後の祭りだったらしい。
いや、まだ大丈夫だ。
大切なのはこれから。
これから、王が王妃に琴を教えるなんて余計な事をさせなければ、まだ何とかなるっ!!
「いつか、いつか――」
ボキボキと腕を鳴らす王妃に、その先の言葉を四妃達は正しく理解した。
「王妃様、では私達と練習しましょう。そして王を見返して差し上げましょう」
貴妃の言葉に、王妃は彼らを見る。
私達と練習――。
そういえば、後宮の妾妃達は皆楽器を嗜んでいるが、中でも四妃の奏でる音色は天上の調べと言われている――。
「嫌です」
べたんと床に寝っ転がった王妃に彼らは慌てた。
「何でですかっ」
王と練習する事に比べればマシではないか。
そう思う彼らだったが、やはり類は友を呼ぶ。
自分達もかなり王に似ているという事を、彼らは思い浮かべる事が出来なかった。
王妃にとっては、王の代わりに妾妃達に習うとしても、それはそれで女として何かが負けたような絶望感を味わせられるという女心があるという事を、彼らは完全に失念していた。
「王妃様らしくないよっ」
「戦う前から諦めるなど一体どうした」
「それとも王を殴りたいのか」
「私は一体どんな暴力王妃ですかっ」
もう嫌だ。
彼らに愚痴をこぼす事でストレス発散しに来たのに、これでは逆に倍増する。
王妃は素早く立ち上がると、そのまま出口へと向かって走り出した。
「王妃様?!」
「誰か王妃様をっ」
「警戒態勢を五段階にあげろっ」
四妃が後ろでギャアギャア騒ぎ、それと共に他の妾妃達が来る。
というか、女性物、しかもあれだけヒラヒラしたものを身に纏ってよくそれだけ動けると思う。
しかも何が腹が立つって、男のくせに全く違和感なく着こなしているところだ。
どう見ても美女にしか見えない姿に、いつもならなんてことはないのに今は更に腹立たしさを増す。
その上、男妃達のもちもちスベスベな白い肌が、動く度に着崩れて露わとなる胸元から見え、王妃は切れた。
「こんちくしょうっ! 羨ましくなんかないんだからっ」
「王妃様っ!」
武術を学んでいる男妃達の手をすり抜け、そのまま閉まりかけていた後宮の門の隙間を潜り抜ける。
ガタンと後ろで閉まる扉の音は勝利のファンファーレ。
だが安心はまだ早い。
「ふんっ! 絶対に逃げ切ってやる」
しかし、走りだそうとした王妃の前に現れた相手に思わず呻いた。
「王妃様、何処に行かれるのですか?」
「さ、さささささ宰相」
やばいのが来たと思った。
銀の長い髪を靡かせ、ぎらりと鋭い眼光を浮かべる麗しの麗人は夫の懐刀。
「おほほほほ、相変わらず麗しいですね」
「ありがとうございます、ですが日の光が邪魔してよく見えないでしょう。どうぞお部屋に。存分に見せてあげますから」
確かに宰相の美貌は一日中、いや、ずっと見ていたいほどの代物だ。
全てと引き替えにしてでも欲しいと謳われ、更には今も多くの者達が宰相を望む。
しかし、王妃からすれば、宰相をものにしたところで自分が綺麗になるわけでもない。
それなら薔薇茶でも貰った方がマシである。
なので、王妃は宰相の申し出を笑顔で断った。
「お断り致します」
「そんな事を言わずに。まあ部屋が嫌なら、後宮にお戻り下さい」
後宮は確かに王妃の住まいでもあるが、中に居る妾妃達は全て男。
普通は何かあったら困ると近付けないものだが、この国では違う。
はっきりいって、妾妃達が王妃を異性として見る可能性は、王が妾妃達に手を出す可能性よりも低い。
なので、全く問題なしであり、むしろ四妃達に王妃のお守りをしてもらう方が安全とばかりに宰相は王妃を追い込んでいく。
「どいて」
「中に戻れ」
どちらも引かずに飛び散る火花。
その時、背後の後宮に続く門が動いた。
隙間から、強烈な怒りが伝わってくる。
それに釣られるようにして、王妃は後ろを振り向き悲鳴をあげた。
幾つも伸びてくる沢山の腕。
怪談とかで聞いた事がある、井戸から伸びる大量の手の様なそれに、王妃はわたわたと走り出した。
「いやあぁぁぁっ! お化けお化けお化けが出たあぁぁぁっ」
妾妃達の白く滑らかな腕も、王妃にかかればただのお化け。
わあわあと騒ぎながら、王妃はその腕を振り払う。
しかし前には宰相。
後ろには沢山の腕。
前門の虎後門の狼という言葉が頭によぎる。
というか、一体なんだってこんな目にあっているのか。
その時、ガシっと宰相に抱き留められた。
「はい、捕獲」
「離してえぇっ」
「ここで王妃様に質問です。このまま後宮で大人しくしているか、部屋に戻るか、それとも陛下に食われるかのどれがいいですか」
「ちょっ! 最後の選択肢おかしいって!」
「はい、三番目が宜しいという事でこのまま執務室に直行します」
宰相の無情な言葉に王妃の悲鳴が響き渡った。