海国宰相×海国文官 番外編
「私」を逃がした後の紅藍のお話です。
①宰相が酷い②紅藍がかなり酷い目にあっています。
また、前回の活動報告で宰相は「お仕置き」をしなかったうんぬんと説明したので、「お仕置きしてるだろ!!」という突っ込みが出るかもしれません。
しかし、宰相にとっての「お仕置き」は「処刑」もとい「命を奪う事」とイコールになってますので、彼にとっては今回の事は「可愛い戯れ」程度という認識です。
海国の精霊姫。
およそ男に使う言葉ではないが、そう呼ばれている彼は海国宰相がその神。
小さい頃は妖精姫とも呼ばれ、その儚げで清楚な美貌は触れる事すら躊躇われる程。
な筈だが、星の数ほど拉致監禁されたのは何故だろう。
花嫁として連れ攫われ、妾として囲われ、妻として監禁され。
それは全て、女性よりも美しく色香溢れる、彼の男の娘的美貌のせい――。
いやいや、今はそんな事はどうでも良かった。
海国国軍が『左』。
雲仙と名乗る彼は、宰相の手駒の一神に誘われその場所へと向っていた。
「こちらです、『左』様」
さっと彼女の美しい繊手で扉が開かれれば、くらりとする程の濃密な香りに包まれた。
甘く、けれど脳を侵すそれは『魔香』と呼ばれ、相手の意思を奪い意のままにする時に使われる。
ただ、微かに違う香りも含まれている事から、自白剤系のものも混ざっているのだろう。
体が慣れている雲仙はそうでもないが、一般神なら確実に吐く。
雲仙は一歩中に入ると、部屋の中央に佇む相手に声をかけた。
「宰相閣下――」
男物を見に纏ってなお、一国の皇后にも劣らぬ気品と傾国の寵姫の如き色香が滲み出る。
だが、腰まで伸びた艶やかな髪が後頭部で結ばれている姿に、雲仙は息を呑んだ。
今では緩やかに首筋で結ぶ事が多い彼だが、大戦中は常に後頭部で結んでいたそれ。
その意味する所は――。
やばい、マジだよこの神!!
「さ、宰相」
上層部仲間ではあるが、彼らの中に共通する暗黙の了解がある。
『宰相閣下には逆らうな――』
静かなる猛獣――と仲間内から呼ばれていた宰相は、常に冷静さを忘れない分恐ろしい。
狡猾で残忍残酷。
智略と謀略に長けた鬼畜。
そういう者達は上層部の殆どに当てはまるが、宰相は頭一つ分どころか果てしなく飛び抜けている。
【車】で言えば、上層部がブレーキをかける所でも容赦なくアクセルを踏み込み、なおかつ深い谷の向こうへと降り立つ――それを表情一つ変える事なく行えるのが宰相である。
そんな男を飼い慣らしたのが海国国王と言えば、どれだけ現国王が凄いのか分かるだろう。
実際には飼い慣らしたわけでなく、宰相が勝手に陛下に惚れ込んでくっついてきただけではあるが。
まあそれは、他の上層部にも言える事である。
なんて現実逃避とも思えぬ現実逃避に走った雲仙だが、宰相の足下に在る存在に気づき小さく呻いた。
「宰相、閣下」
宰相は何も言わない。
視線すらも向けない。
ただ、それを踏みつける。
華奢な背中を容赦なく。
着ている服同様にボロボロになっているのは――。
「紅藍、姫」
それは、宰相閣下から逃げたあの文官の少女を匿った貴族の姫。
宰相の差し向けた追っ手から、すんでの所で少女を逃がした事は雲仙も知っていた。
ただ、彼女はあの少女が誰に追われて、どこから逃げてきたのかは知らなかった。
端から見れば、巻き込まれただけ。
その上、普通なら関わり合いになるのを厭うだろう。
素性も知れず、なおかつ誰かに追われている相手を匿うなど。
しかもボロボロの状態で倒れていたのだ。
けれど紅藍姫は少女を助け、医者に診せ、そして世話をし――最後は逃がした。
少女の見る目は確かだった。
しかし、それが宰相の逆鱗に触れたとも言える。
だが――。
「宰相閣下、その姫君は」
「ああ雲仙。良い所に来た」
謳うように、けれど何処までも冷たい声音に雲仙の体がゾワリと震える。
「薬も駄目、痛めつけても駄目という相手には、どうすれば良い?」
雲仙の専門を知っていて、その質問を投げかける宰相。
現状を見れば一目瞭然だが、雲仙は宰相が彼女に行なった事を改めて思い知らされる。
「この娘の所に匿われているのは知っていたさ。だから、どうせなら鼠をあぶり出し害虫退治と思いきや、まさか予想外の事をするとは――流石は、謝家の無能姫」
「閣下――」
宰相が紅藍姫を蹴飛ばす。
その体は衝撃のままに床を転がった。
泥だらけになった髪が顔に張り付き、その顔には鼻血が顎まで伝っている。
ただ、少女を逃がしただけなのに――。
いや、違う。
雲仙は彼女に関する情報を引き出した。
謝 紅藍。
海国王都に住まう貴族――謝家の末娘。
その謝家は、名門だが悪い意味での貴族だった。
色々な悪事に手を染め、民を食い物にする。
その子供達も無能が多く、悪い意味で名高い。
だが、そんな中でこの紅藍に関しての情報はと言えば。
「いたいけな少女を拉致監禁にて調査、それを足がかりにして一斉検挙し首を落としてやろうと思っていたというのに」
やはりこの方は宰相だ。
自分の目的を果たすだけでなく、それを利用し多くの実を取る。
正しく――策士。
この分では、それに加担する者達も芋づる式に捕まるだろう。
「あれは馬鹿のくせに疑心暗鬼で疑り深い。今回の事は最大の好機と思っていたのに……それを、このクズ姫のせいで全てが水の泡だ」
嘘だ――と雲仙は心の中で断じる。
確かに最大の好機だが、次の手は既に打ってあるだろう。
民達にできる限り被害を出さずに、けれど最大の利益を手にするその方法を。
雲仙は気配を消して部屋の隅に佇む宰相の手駒へと視線を向けた。
声もなく、けれど伝わる情報に自然と眉が潜まる。
雲仙でさえ情報を掴めずに此処に連れてられた紅藍姫。
彼女が連れて来られたのは、三日前の事だ。
少女を逃がして間も無く、彼女は屋敷に忍び込んだ影によって此処に監禁された。
そして宰相直々に拷問を受けていたという。
けれど、絶対に紅藍姫は少女について話そうとしなかった。
元々情報を持っていなかったのかもしれない。
しかし驚く事は――少女の態度。
宰相の姿を一度目にすれば、それはどんな催淫剤よりも強力な効果をもたらす。
そして与えられる拷問は、どんな自白剤よりも相手の口を軽くするだろう。
にも関わらず、紅藍姫は決して口を割ろうとしなかった。
薬を使われても、辛い拷問を受けても。
冷たい水を浴びせられた事もあるのだろう――ぐっしょりと濡れた姿は、到底彼女が貴族の娘とは思えない。
それでも彼女は、楽になるという甘い誘惑も何もかも振り切った。
『絶対、絶対にあんたなんかに言うものですかっ!!』
強い眼差しは弱まることも濁ることもなく、宰相の手駒達ですら息を呑むほどに――。
「そして、行き過ぎた結果がこれか……」
少女が逃げ出した事に、宰相の焦燥と怒りは凄まじい。
絶望と怒り、焦燥と嫉妬。
王宮で、宰相が少女を監禁していた事実を知るのは――雲仙のみである。
王は気付いているかもしれないが、何も言わない。
そして気付いた雲仙も、口を挟むことは出来なかった。
そもそも証拠を掴ませない時点で、下手に告発したところで誰が信じるか。
そうして躊躇している間に少女は逃げ、紅藍姫に匿われ、そして再び逃げた。
代わりに、紅藍姫は此処に連れ込まれ、そして今も痛めつけられている。
「どうせ死ぬのが早まっただけだ」
宰相の言葉に、雲仙は紅藍姫を見る。
両親の悪事、兄姉の横暴。
行き着く先は、家のお取りつぶしと当事者達の処刑。
紅藍姫は直接関わっていないとしても、その家の娘。
連座して処刑か、全てを失い追放されるかのどちらかだ。
それこそ、謝家と縁を切らない限りは。
「もう一度言う。あの娘の逃げた先を話せば楽になれるぞ?」
夢魔の囁きよりも淫靡で甘い言葉をその耳に落とす。
散々痛めつけた相手にもかかわらず、その一言に心を動かされないものはいないだろう。
地獄の中の光として、その手に縋り付いてしまったとしても誰が責められるだろうか。
言え、言ってしまえ。
そうすれば、少しは楽に殺して貰える。
しかし雲仙は、見誤っていた。
紅藍という少女を。
貴族の我が儘姫。
無能だが、態度だけは一神前。
その他多くの嘲りの言葉を向けられてなお。
ピクリとも動かなかった筈の、紅藍姫が。
「っ――」
強い瞳で、濡れた髪の間から宰相を射貫く。
ボロ雑巾のように床に這いつくばったまま。
顔を上げ、凜とした空気を纏い。
「誰が、言うものですか」
ガンッと紅藍姫の顔面に蹴りが入った。
カハッと小さな声と共に、血が舞う。
そんな紅藍姫に興味は失せたとばかりに踵を返す宰相。
けれど、その歩みが止まった。
いや、止められた。
「醜いな」
背を向けたまま、向けた言葉は紅藍姫へと。
自分の足首を掴む彼女に、雲仙を始め宰相の手駒達も息を呑む。
どうして、そこまで頑張れる。
「醜くて愚かで……長生き出来ないタイプだ」
宰相の鋭い視線が紅藍姫へと向けられる。
掴まれた足とは反対の足が、紅藍姫の頭を踏みつけた。
「離さないと頭を踏みつぶすが」
「やれ……ば?」
売り言葉に買い言葉。
しかし紅藍姫の瞳に宿る光がそれをただの買い言葉とは違うと周囲に知らしめる。
「やれば、いいじゃない。でもね、たとえ死んだって私はあんたから離れない。絶対、絶対に、あんたを行かせない!!」
「愚かな娘。むしろここまでされてもなおあの娘を庇う姿には敬服するが……果たして、それは報われる事だろうか?」
宰相の言葉に雲仙は目を閉じる。
確かに、その通りだ。
「今頃、あの娘はお前がこんな目に遭わされているにもかかわらず安全な場所へと逃げている。それどころか、時が経てばお前の事など忘れてしまうだろう。そう、ここまでしてくれたお前の事など、あの娘にとっては使い勝手の良い駒ぐらいの価値しかない」
相手の心を傷つけ、疑いの芽を息吹かせ、憎悪を育てる様に囁かれる言葉。
「そもそも、自分が逃げれば匿った相手を危険な目に遭わせると知っていた筈だというのに……そんな薄情な娘に利用され、最後には忘れ去られてしまうとはな」
「……」
「お前の間違いは、あの娘を匿った事だ。本当に愚かだ。素性も知れない娘を拾い、追われていると知ってなお匿い逃がした。何一つお前の利益になる事などないのになぁ?お前の両親の方がもう少し上手く立ち回れただろう」
頭を踏んでいた足を降ろし、代わりに伸ばした手で、その髪を引っ張る。
ブチブチと何かが引きちぎれる様な音が聞こえたが、宰相は気にしなかった。
「お前はもう少し要領よく生きる事を学ばなければならなかった。何も知らない世間知らずの愚かな娘。中途半端に手を出し、最悪の選択をした結果がこれだ。本当に、報われない娘だ」
心を惨たらしく傷つけ、折り、ボロボロにする。
智略謀略で知られる彼にとっての武器――『言葉』。
それは、時として刀で傷つけられる傷よりも深い傷を心に残す。
心が死ねば、直に体も死ぬ。
そう――屈辱と怒り、絶望にのたうちまわりながら相手を死なせる事など、宰相にとっては日常茶飯事だった。
むしろ、彼の美声を聞きながら死ねるのだから幸せとも言えるだろう。
ああ、この少女も終わりだ。
雲仙は今度こそ思い、そして再び思い知らされる。
「それが?」
紅藍姫はあっけないほどあっさりと言った。
これには、雲仙達だけでなく宰相は目を見張った。
「私が、あの子を助けたのは……報われるとか、報われないとか、そういう問題じゃない」
宰相の手を振り払い、どこにそんな力があるのかと思う姿で体を起こす。
「私があの子を助けたのは、もう、二度と、後悔しない、ため、よっ」
話をする度に咳き込む。
紅くなった喉を見れば、喉にもかなりの負荷を与えられたのだろう。
大方、踏みつけられたか何かはしている筈。
それでも、彼女は叫ぶ。
「私は、私の為に助けた。だから、あの子が逃げようと、どうしようと関係ない。そもそも、私が、逃がした」
「利用されているだけだ」
「あら?この世の中で、一度も誰かを利用した事のない、相手が、いるかしら?」
勝ち気な瞳と言葉。
宰相の視線を真っ向から見返す、その強さ。
「ここまで痛めつけられて愁傷な事だ。待ち受けているのが死だとしても、同じ事が言えるのか?」
「あの時助けなければ、一生後悔して、苦しんで、生きたまま死んでいた」
雲仙は、ハッとした。
彼女の情報を調べた中で、彼女が今もトラウマとなっているその過去を知っているがゆえに。
もう二度と後悔しない。
我が儘姫と言われながらも、その中に燻り今も彼女が神知れず苦しんでいる過去。
嘆き悲しむだけの者達が多い中、彼女はそれを行動に移した。
たとえ、それであの過去が清算される事はなくても。
過去に失った女性とは違うとしても。
貴族としては型破りな娘――。
雲仙が調査書から抱いた印象は、今なお現実味をもって彼の心に刻みこまれる。
「私は、あの子を助けて後悔してない!たとえ誰に何を言われようとも、もう二度と会えなくても、それでも――」
本当はあの時もそう出来れば良かった。
たとえもう二度と会えなくても。
それでも、何としてでも。
雲仙の耳に、羽ばたきの音が聞こえた気がした。
「助けた事を後悔なんてしないっ!!」
遠いどこかで生きていてくれるなら、それで良かった。
そんな彼女の言葉が、聞こえた気がした。
ドサリと紅藍の体が力なく床に沈んだ。
とうとう体が限界に達したのだろう。
それでもなお、宰相の足首から手を離さない彼女を雲仙と手駒達で何とか引き離す。
そんな中、誰もが宰相を見る事が出来なかった。
手駒達は主の恐ろしさは十二分に知っているし、雲仙もまた大戦時代からの付き合いでその本性を知り尽くしている。
そもそも、そんな宰相がどうしてあの娘にそれほどまでに執着するのか――。
いや、雲仙には分かっていた。
雲仙が己が妻――槐に出会ってからを思い出せば、きっと彼女こそが宰相の唯一の存在なのだ。
そしてその存在を手に入れる為には、どんな手段だって用いる。
神権を徹底的に否定され、己が心と体を好き勝手にされ、大切なものを作る事すら赦されず、なおかつ全てを奪われてきたからこそ。
見付けた唯一への執着は凄まじい。
それでも――。
雲仙は紅藍姫を失う事を惜しんだ。
宰相に気圧されず、逆に自分達を圧倒するあの気迫。
強い意志とそれを貫く信念。
そして、どんな姿になろうとも消えない凜とした美しさ。
美貌は確かに恵まれているが、これぐらいの美貌なら王宮にはごまんと居る。
いや、上層部の美貌に比べれば足下にも及ばない。
当然、後宮の男妃達に比べればなおさらどこにでも居る容姿である。
けれど確かに、雲仙は魅入られた。
その、美しさに。
損得抜きに、自分の身が実際に危険に晒されてなお、彼女は命乞いをする事もなく自分の意思を貫き続けた。
恐ろしく馬鹿正直で、けれど眩しい程の美しさに。
惜しい――と思った。
「謝 紅藍」
宰相の声に、誰もが身構える。
次に放たれる言葉は死刑宣告か。
「謝家の無能姫、つまはじき者、居なくなっても誰も悲しまない」
「宰相閣下?」
「そう……三日も娘が居なくなっても誰も気付いていないし、気付いた家の者達も報告すらしない。生きながらにして死んでいる娘。ならば、このまま居なくなっても何の不都合もないな」
「宰相閣下!」
雲仙が一歩足を進めれば、宰相がこちらへと視線を向けた。
「別に殺すとは言ってない。思いの外使い道があるからな」
「閣下?」
その言葉に、何とか紅藍姫の命が繋がった事に安堵し――けれど、こみ上げる不審と嫌な予感に雲仙は宰相を訝しげに見た。
「あの娘は思った以上にお神好しだ。この娘がこちらの手にあると分かれば、危険を承知でこちらに戻ってくるだろう――どれだけ、時がかかろうとも」
宰相が膝を折り、紅藍へと手を伸ばす。
「それに先物買いという言葉もある。原石だろうと磨けば宝石だ」
「閣下……」
「使える神材は多い方が良い。それに、あれに宛がう相手を探していたから丁度良い」
「あれとは?」
「ふん……強かで気紛れ、けれど強情で縁遠い猫だ」
それが誰を指しているのか――雲仙には分かった。
四阿でゆったりと過ごしていた淑妃の元に宰相が訪れたのは、そろそろ日が暮れるという時刻だった。
「石が欲しくないか?」
「は?」
突如現われた宰相に淑妃は首を傾げた。
夕日に照らされた美貌は幻想的なまでに美しいが、その濡れた唇からもたらされた言葉は相変わらず意味不明だ。
「石、ですか?」
言葉で相手を惑わす事を得意とする宰相。
後宮に居てもなんらおかしくない美貌はいつ見ても慣れるものではないが、淑妃はその言葉の意味する所を探る様に聞き返した。
「ああ、そうだ。今はまだクズ石だがな」
『今は』という所に反応すれば良いのか、『クズ石』という所に反応すれば良いのか。
「別にいらなければそれでいい」
「その場合は、そのクズ石はどうなるんでしょうか?」
「いらない物はゴミ箱だろう」
にこりともせずに彼は言うと、そのまま踵を返す。
そう――いつものように。
それを淑妃はいつものように見送る。
筈だった。
何が淑妃の琴線に触れたのだろう。
ただ、気付けば声を上げていた。
「もらいます」
「何を?」
「『クズ石』をです。そもそも貴方様がわざわざいるか?と聞かれたものですからね。磨けばそれなりのものになりましょう」
淑妃の言葉に、宰相はただ一言「分かった」とだけ答えそのまま立ち去った。
しかしその後、どれだけ待ってもその石は届けられる事は無く――。
「あんたのせいで私は婚約者に捨てられまくったのよ!」
「うるせぇ!どう考えたって俺のせいじゃないだろっ」
婚約者全員淑妃に惚れた挙げ句に捨てられた紅藍が、淑妃に殴りこみをかけた。
けれどその裏に、あの鬼畜宰相様が関わっている事を知る者は誰も――。
「お前は相変わらず鬼畜だな」
「恋のキューピッドと呼んでください。そもそも、あの四妃の中で一番縁遠いアレの為に私は色々と苦心したというのに」
テーブルを挟んで向いあって茶を飲む海王と宰相。
部屋の隅では、雲仙が頭を抱えていた。
「紅藍姫の婚約者が尽く淑妃に惚れ込むように仕向けたお前の言う台詞か?その婚約者とくっつけるつもりだったというならまだしも」
「陛下、淑妃は男ですよ。まあ本神が望むならそれでも良いですが、あれはああ見えて意外にもロマンチストですからね。夢見る男です。将来的には可愛いお嫁さんと一緒に家庭を築き子供は三神持つのが夢ですから」
「意外にまともな夢だな」
かなり失礼な事をのたまう二神だが、雲仙は何も言えない。
「それにしても、よく私が関わっていると分かりましたね?」
「後宮から一歩も出られない筈の淑妃の姿を、その婚約者どもがいつのまにか知っているという時点でな……誰かが見せない限りは無理だろう」
「そうですか。まあ、その婚約者の相手とやらも結婚する前に相手の本性が分かって良かったのではないですか?結婚した後では目も当てられませんから」
「政略結婚なら関係ないと思うが」
「まあそれはどうでも良いとして……少なくとも、あの少女を手の内にするのはこちらとしても利益はあるでしょう」
「お前のだろう」
あきれ果てる王に宰相は艶麗に微笑む。
「で?どうして淑妃にしたんだ?」
「徳妃と賢妃は既に想い神が居ますし、貴妃は好みに煩いし神にお膳立てされるよりは自分で相手を見付けるタイプですからね」
「それは淑妃も同じだと思うが」
「そうですか?あの猫は中々に奥手で、下手すれば嫁き遅れるタイプですが。そうですね、色々グダグダ考えた挙げ句にご馳走を前に躊躇して他の泥棒猫に取られた挙げ句にいつまでもウジウジウジウジして、再度そのご馳走が巡ってきても取り逃がし、最終的には暴走してご馳走にがっつこうとして自滅するタイプですね」
かなり細かく説明する宰相の言葉は、後にほぼ十割正答の正答率を叩き出すこととなる。
「淑妃を猫呼ばわりするのもお前ぐらいだ」
「別に淑妃だけではありませんが。あそこの猫はどれも気位が高く気紛れで可愛い」
「ならばお前は?」
「私はさしずめ、ハイエナでしょうねぇ」
そう言って笑う彼は、崖の上に佇む獅子を思わせる威厳さを漂わす。
徒党を組むこともなく、孤高に咲き誇る高嶺の華――。
誰もが触れる事を躊躇う美しさに、触れれば消えてしまいそうな儚い美は正しく精霊姫と呼ばれるに相応しい。
そしてこの宰相が、男妃達の中では一番淑妃を可愛がっている事を知る王は。
難儀な事だなぁと思いつつも、言葉にすることなく茶器の中身を飲み干した。
その後ろでは、雲仙がまだ頭を抱えていたが――その事に触れる者は誰も居なかった。