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海国宰相×海国文官⑨【完結】

これで完結です。

逃げ出した「私」の、それからについてです。

「雨が晴れてきたわね――」


 そう告げられたお方に、私は刺繍枠から顔を上げて外を眺めた。


 長く続いた長雨の終わり。

 分厚い雲間から差し込む太陽の光が少しずつ数を増していく。


 何度も見た光景だが、その美しさに私はしばし見とれていた。


「少し休むか。お茶の用意をしてくる」

「っ!王妃様、それは私が」

「いいのよ。それより、テーブルの準備をして」


 そう言うと素早く行動に移るかのお方に、私の伸ばした手は虚しく宙を切った。


「うぅ……王妃様」


 もう何度目になるか分からない主従逆転のこの現状。

 というか、祖国に居る時もそうだったが……あれか?現在の王妃と言うのは皆こうなのだろうか?


 ――と言っても、私が直接知る王妃は今のお方で二神目でしか無いが。



 今から五年前、私はこの国に来た。

 津国という、炎水界において凪国に次ぐ大国に。


 逃亡生活は二年続いた。


 紅藍姫に助けられ、何とか王都から出た私だったがその後も追っ手は続いた。

 それでも必死に他国に行く船に密航し、そうして辿り着いたのが津国だった。


 それからも大変だった。

 正式な手順に則っての入国ではない事から、滞在に必要な証明書もなかった。

 しかも戸籍はいまだ海国にある。

 不法滞在は国への強制送還。


 見つかれば一巻の終わりだ。


 それでも日々日雇いで小銭を稼ぎ、何とか生活してきた私だったが、津国に入って二ヶ月目でとうとう限界を迎えてしまった。


 その日もこうして長い雨の続く頃だった。


 海国の王都では、紅藍姫に運良く助けられた。

 でもそうそう幸運が続くわけでもない。


 これで命運尽きたか……と薄れゆく意識の中で諦めた私だったが――。


 刺繍枠を片付けながら呟く。


「きっと、私の運は、あそこで使い切ってしまいましたね」


 再び目覚めた時、私の前にはあのお方が居た。


 津国王妃――芙蓉様が。

 凪国王妃である果竪様の従姉妹であられる彼女は、私が居た国境近くの街に丁度滞在されていた。

 王妃様と言えば、王宮、それも後宮で暮らすものであり、外を歩くなんてとんでもない――と自国の王妃様である紅玉様を見てきた私は思っていた。

 王妃様と言えば守られる存在である。

 大切に、大切に後宮の奥深くで守られ健やかに暮らして頂く。

 その気持ちを煩わせる事なく、少しでも危険から遠ざける為には力を惜しまない。


 そもそも、あの尊い存在が傷つく事など考えられないのだから。

 敬愛する陛下の為に、数多くの物を諦め、危険を承知で嫁いで来て下さったお方。

 守らなければ。

 あのお方が引き替えにした神生に見合うものを返したい。


 だからこそ、王妃というものは王宮から出ないものだと思っていた。


 けれど芙蓉様は、そんな私の既存概念をあっけなく覆してしまった。

 確かに王宮を出ることを皆が皆快諾しているわけではないが、それでも海国よりはよほど自由である。


 あの日も、そうして芙蓉様は私の前に現われた。

 辺境の地に「仕事」で来られたあの方に私は命を救われたのだ。


 ただ、それからが色々と大変だった。

 芙蓉様に助けられ、王宮に連れて来られたまでは良かった。

 しかし津国の上層部には私の事を知っている方が居て、私の素性はすぐにバレてしまった。

 それから、私の身の処遇をどうするかで話し合いが行なわれたのだ。

 海国に返すかどうか。

 もちろん、普通に考えれば戻すしかないだろう。


 けれど、そこに救いの手を差し伸べて下さったのが芙蓉様だった。

 あのお方は私を王妃付きの侍女として引き取り、安全な王妃宮へと連れてきて下さった。


 何も心配する事は無いから――。


 実際に、海国からは私の情報を察知してそれとなく探りが来たようだが、全て芙蓉様が追い返して下さったらしい。

 そればかりか、津国の影を使い私が残してきた弟妹達の様子も教えてくれた。


 どうしてそこまでしてくれるのかと思った。

 私の素性を知ってなお、芙蓉様はお優しい。


 一度だけ聞いてみた。


『まあなんて言うか……従姉妹にしてあげられなかった事を貴方にしてるだけよ』


 芙蓉様の従姉妹君である凪国王妃様。

 元々お二神は全てが終れば……大戦が終結すれば、二神で暮らしていくつもりだったという。

 けれど、凪国王妃様は凪国側に連れ攫われ、芙蓉様も津国側に連れて行かれた。

 そうしてそれぞれ望まない王妃という役割を押付けられたという。


 それでも凄いのは、押付けられた役割であるにも関わらず、その仕事を放棄しない事だ。

 必要であれば、辺境の地まで赴く。

 常に勉学に励み、そして王妃としての責務をしっかりと理解している。


 ああ、このお方は強い――。


 海国の王妃様も強かったが、このお方の強さもまた私を酷く傾倒させた。


 この方こそ、私の新たな主。


 忠臣は二君に仕えずとの言葉がある。

 もちろん、私は海国国王陛下と王妃様に忠誠を捧げており、それは今も変わらない。


 けれど……。


 それでも私は、このお方に仕えたい。


 このお方の力になりたい。

 その為にも、力を付けなければ。


 侍女の仕事の傍ら、このお方と共に学問に励み、また武術などの他の分野も学ぶのが私の日課である。


 そうして一日一日はあっという間に過ぎ去り、この国に来てもう五年もの歳月が過ぎていた。


 とはいえ、今も思い出さないわけではない。


 あの方――宰相様の事を。


 あれから、宰相様が結婚したという報せは聞いていない。

 海国宰相様との結婚ともなれば一大行事であるから、すぐに動きは分かるだろう。


 だから、それが無いという事はまだ結婚していない事になる。


 それに対して、嬉しさと共に恐怖を覚える。

 まだ結婚していないという事に一抹の希望を抱いてしまう辺り、私はまだあのお方への思いを断ち切れていないらしい。


 それを芙蓉様に知られた時には、さらりと言われてしまった。


『別に良いじゃない。思うだけは自由でしょう?』


 自由……。

 思うだけなら、赦されるのだろうか。

 もう二度と会わないと決めていれば。


 この身があのお方の災いになるのだけは嫌だった。


 私が芙蓉様の侍女となってから、あのお方からの追っ手はピタリと止んだ。

 とうとうあのお方も目を覚まされたのだと思う。

 きっと、そう遠くない日に泉国の王妹様と結ばれるに違いない。


 ただ――その報せを実際に耳にした時、私は耐えられるだろうか?


 追っ手が無くなった事に安堵し、けれどもうあの方に必要とされていないという現実を思い知らされ今も落ち込む私に。


 自ら逃げ出し全てを捨て去ったくせに、あまりにも傲慢で身勝手な思いを私は抱いている。


 逃げたくせに、捨てたくせに。

 それでも、どこかで希望を抱く。


 それを身勝手と言わずして何と言う。

 それを傲慢と言わずして何と言う。


 私は俗物だ。

 身勝手で傲慢で、心は清らかとは程遠い。


 割り切った筈なのに、諦めた筈なのに、今もグジグジウジウジと。

 本当にウジウジ娘だなぁと思う。


 こんな私だが、いつか、あのお方への気持ちを本当の意味で乗り越える事が出来るだろうか。


『焦らない、焦らない』


 何でも無い事のように言い切った芙蓉様の言葉を改めて思い出す。

 神の時間は長い。

 悠久にも近い長い時を生きれば、きっといつかは乗り越えられる――そう信じよう。


 そしてその時こそ、本当の意味で前に進む事が出来るだろう。


 たとえ、もう二度とあのお方の前に姿を現す事が出来なくても。


「せめて、弟妹達には会いたいけれど……でも、それも無理ね」


 弟妹達を見捨てて逃げた最低の姉。

 今更のこのこと出て行った所で、あの子達の為になるとは思えない。

 あの子達は宰相様の所で健やかに平穏に暮らしている。


 そこにあの子達の心を煩わせる存在が出向くのは彼らの為にはならない。


 二度と会わない覚悟を持つ。


 それに私の様な姉に育てられるよりも、宰相様に育てられた方があの子達の将来的にも良いだろう。


 ただそれでも本来なら面倒を見なくても良い筈のあの子達の面倒まで見て下さった宰相様に、私は心から誓う。


 いつか、御恩に報いよう。


 それを聞いた芙蓉様は「馬鹿ね」と言われた。


 確かに拉致監禁されたし、強引に体を奪われていた時期もあった。

 それでも、そこにどこか幸せを感じていたのだ。


 あのお方はそれほどまでに私を求めてくれる。

 王妹様との結婚が控えていても、私の方に来てくれる。


 それは女の醜い嫉妬。

 国の為に身を引く――いや、私はただのセフレだから本来であればすぐにでも姿を消すべきだった。


 セフレになったのは私の意思。

 宰相様は強引に受け入れさせられていただけ。


 私から提案して、宰相様に強引に認めさせた。


 そしてその偽りの関係に満足し、傲慢な夢を見てしまった。


 宰相様はようやく解放されたのだ。

 本来結ばれるべき相手と、ようやく結ばれる。


 それに嫉妬するべきではない。

 祝福しなければ。


 そう……それが、今まで沢山の罪を犯してきた私が出来る償いの一つであり、始まり。


 これから、私の償いは始まる。


 宰相様に。

 王妹様に。


 見捨てた弟妹達に。


 あの日に相談にのってくれた副事務長様。

 慰めてくれた侍従長様。


 と、そこであの時の言葉突如蘇った。


『好きなんだ、君の事。ううん、愛してる、男として』



 そう――今まで忘れていたけど、私、侍従長様に告白されたんだった。

 けれど……もうその有効期限はとっくに過ぎているだろう。

 あれほど美しく秀でたお方だ。

 今頃は婚約者が居てもおかしくない。


 それに……私自身、思えないから。

 侍従長様との未来を想像出来ない。


 あるのは宰相様への思慕。

 馬鹿だなと思う。

 どれだけ被虐思考なのかと呆れる。


 でも、今はまだ割り切れない、好きでいたい。


 だから、やっぱり侍従長様への答えは一つしか無い。


 ただ願わくば、お礼を言いたかった。


 こんな私を好きになってくれてありがとう――と。


『待ってる』


 そう……紅藍姫にも礼を。


 また来ると約束したから。




「お茶の用意が出来たわよ」

「は、はいっ」


 何とかテーブルの上を片付け終った頃、芙蓉様がお茶と菓子を載せたお盆を持って現われた。


「あ、今日は花茶なんですね」

「そう。何でも白鷺が隣国で手に入れた神気の商品だとか」


 そう言ってテキパキと働く芙蓉様に、私も慌ててお盆の上の物をテーブルに並べていった。




 そんな平穏な日々。

 きっと私は今後も津国で暮らしていくのだろうと思っていた。


 ずっと、ずっと。


 もう、二度と海国の土を踏むことは無い。



 そう、思っていた。




「そんなっ!どうして芙蓉様が王妃の地位から引きずり下ろされなければならないんですかっ!」

「仕方が無い、国の為。それに、私としては王妃の地位から降りられて万々歳だし」

「でもっ!」


 王妃の地位から引きずり下ろされる事になった芙蓉様。

 その日から……いや、本当はずっと前からおかしくなってきていた。


 凪国王妃様が、凪国王宮より追放された時、から。


「それより、問題は貴方。私付きの侍女の貴方は、私が王妃の地位から降りると同時に解任される」

「私の主君は芙蓉様だけですっ!」

「ありがとう。ただ貴方には新しい王妃に仕える事も出来る」

「芙蓉様!」

「ただ、そうなると貴方の身を守る事は出来ない」


 その言葉の意味を私が知るのはもう少し後。

 本当は、収まってなど居なかった。


 ずっとずっと、来ていたのだ。


 宰相様からの、追っ手が。


「芙蓉様!」


 目の前で奪い去られていく芙蓉様。

 王妃の地位を降りて自由に――と言うのは無理でも、どうして。


 冷宮に幽閉された芙蓉様には、一神の侍女も共を赦されなかった。

 私は、他の芙蓉様を慕っていた侍女達と共に王に直訴したが受け入れられなかった。


 そればかりか、新しい王妃側が芙蓉様を虐げる。

 主に実行するのは、王妃本神ではなく周囲の、王妃の故国の者達。

 王妃本神は為すがままの神形の様な方だった。

 流されるままの姿は、海を漂う一枚の木の葉のように頼りない。


 けれどそんな事はどうでも良かった。


 芙蓉様の側に行きたい。


 今も王妃側の者達によって、芙蓉様の命は危機にさらされている。

 満足な物資もない状態で、外にも出られない、差し入れも満足に出来ないとなれば、芙蓉様の命は長くない。


 特に津国の冬は厳しい。

 それは王都も同じで、程なく来る長い冬を耐えるには余りにも物資が心許なかった。


 どうにかしなければ。

 けれど、王妃側の目が光っている。


 どうすれば良い、どうすれば良い、どうすれば良い?!


 日々焦燥を募らせる私は、そこでまた一つの罪を犯す。


 自分の為に、あの方を巻き込んだのだ。




「本当に美しい話だな?」


 寝台に横たわった私の髪を弄び、クツクツと笑う声に目をギュッと瞑る。


 あの時と同じ。

 私が、セフレ関係を解消すると告げた時と。


 けれど今度は、それとは逆だ。


「大切な主の為に自ら身を捧げる侍女。本当に涙が出るほど美しい主従関係だ」


 散々に酷使された体が重い。

 それでなくても、久しぶりの行為だった。


「なあ?」


 私の名を呼ぶあの方に、私は枕に顔を埋めた。


 取引をしよう――


 海国宰相様が私の前に現われたのは、冷宮の前で何も出来ずに虚しく自室に帰って来た時の事だった。


 どうしてあの方が此処に?!と、礼すら忘れるほど驚いた私を誰が責められただろう。

 海国宰相様は、海国の使者団の一神としてやってきたという。

 元々、津国と海国は使者団のやりとりが定期的にあった。

 ただ宰相閣下自らが来るなんて――。


 呆然とする私に、宰相様は言われた。


 芙蓉后を助けたくはないかと――。


 それは甘い誘惑。

 悪魔の囁き。


『本当なら海国への即刻帰還と行きたい所だが……残念な事に、それはまだ出来ない状態だからな。だから……』


 宰相様がこちらに留まる間、私は以前のようにその寝所に侍る事となった。

 その代わり、海国が芙蓉様の身の安全を図ってくれる。

 物資を、補給してくれる。


 そしていつか、芙蓉様が復権するにしろ、自由になるにしろ、その時には力を貸してくれる事となった。


 どうしてそこまでしてくれるのかと問えば、彼女は凪国王妃の従姉妹であり、そして元王妃という事で利用価値があるからと宰相様は答えられた。


 利用価値……。

 でも、それでも良かった。

 芙蓉様の命が救われるなら、あのお方から少しでも危険が遠ざけられるなら。


「きゃっ!」


 ぐいっと腕を引っ張られ、体を引き寄せられる。


「これで終ったと思っているようで悪いが」


 そうして再び、私は嵐に飲まれる。


 あれから、定期的に使者団の中に潜り込まれるようになった宰相様。

 宰相がそう度々自国を離れても良いのかと問いたいが、何やら津国国王陛下と密談を交わしているらしい。


 全ては、来たるべき日の為に。


 それが芙蓉様を救う為ならば、私は――。



「楽しみだな?その日が」





 ――今思えば、芙蓉様はこの未来を予測していたのだろう。



 私を守る事が出来ないと言ったその口で、芙蓉様は言われたのだ。



『私の王妃解任と共に、貴方が他国に逃げられるようにするわ』



 逃げるとすれば、泉国と言われた。

 まさか自分の妻となる女性の故国から、元セフレを奪う事は出来はしまいと。

 心情的には苦しいかもしれないけれど、自由になる為にはそれしかないと言われた。


 けれどそれを私は断わった。

 芙蓉様のお側に居たかったから。


 芙蓉様の説得を拒み続けた私。

 結局芙蓉様は冷宮に連れ攫われた。


 それでも芙蓉様の傍に居たくて、芙蓉様の命を受けた相手の手を拒んでここに残りたいと懇願して。


 今思えば、海国からの援助を引き出す為に私は此処に残されたのだろう。

 津国国王陛下も上層部も私が残る事を認めてくれた。


 それは全て、私という手駒を交渉の道具にする為。

 けれどそれが何だ。

 私はそれに薄々気づいていながら、残ったのだ。

 そして芙蓉様の為なら、この身すら投げ出せる。


 それに――結局は、私もこの関係を楽しんでいる。

 そう、宰相様と肌を合わせる事を仕方無いとしつつ、それを甘んじて受け入れる。

 いや、本当は私こそがこの関係を望んで居たのだ。


 それが王妹様を、多くの神達を悲しませると分かっているのに。


 本当に嫌なら、さっさと命を絶っていれば良かったのに。



 本当に愚かで汚らしい存在。

 身勝手で傲慢で罪深い存在。


 それでも、今だけ。

 芙蓉様が解放されたその時こそが。




 私が消える日と決めているから。




これで、海国宰相×海国文官は終わりです。

バッドエンド気味ですが、まあハッピーエンドは冷宮の方で(苦笑)



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