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海国宰相×海国文官⑥


 夜の道をひた走る。

 月の無い新月の闇が、この身を覆い隠してくれるのを願いながら、私は必死に走った。

 激しい誘惑にかられて後ろを振り返って後悔した。


 灯りが付く。

 騒がしくなり始めた屋敷に、私が抜け出した事がバレたのだと知った。

 いつかは知られると分かっていたが、これほど早くに気づかれるとは思っていなかった。

 けれど、もう後戻りは出来ない。

 次に捕まれば、私は今度こそあの檻から出られなくなる――。



 あの日、宰相様に中庭で体を奪われた私は、そのまま宰相様の別宅に連れ込まれた。

 宰相様の本邸は王宮の敷地内にあるが、そちらに連れ込まれなかったのは私の存在を王宮から覆い隠す為だったのかもしれない。


 壮絶な陵辱に意識を飛ばし、別宅で目覚めた私に待っていたのは、自由のない虜囚生活だった。


 広い別宅の中でも、離れと呼ばれる場所に私は閉じ込められた。

 それは、屋敷の者達はまず近づかないような場所で、私の世話をする侍女数人以外には宰相様しか訪れなかった。


 ただ虜囚と言っても、生活の場として与えられた場所は、私には不相応なものばかりだった。

 広すぎる部屋は続き部屋も含めて三室あり、家具も調度品も全て高級品で埋め尽くされていた。

 生活していく為に必要なものだけではなく、贅沢品と呼ばれる物もあった。

 毎日身に纏う衣服は貴族の姫君が着るような衣装ばかりだし、装飾品のあまりの美しさにはしばし凍り付いたほどだ。


 浴室もトイレも全て揃っていて、食事を作る場所もあったが、基本的に調理場は私の部屋の外にある為、部屋から出られない私が入った事は一度も無い。


 何もかもが揃っていた部屋。

 けれど、窓は全てはめ殺しの細工窓で牢屋を思わせ、部屋の扉には外から鍵がかけられていた。


 それが開くのは、食事や贈り物を運ぶ侍女の訪れか、宰相様が来た時だけだった。


 毎夜のように離れを訪れる宰相様は、私に夜伽を強要した。

 拒んだところで、不機嫌になった宰相様に強引に体を奪われるかの違いだけで、一週間もしないうちに私は抵抗するのをやめた。


 それは、不機嫌になった宰相様が避妊をしない事に気づいたからだ。

 けれど、従順にしていれば、宰相様は冷静に振る舞われる。


 私は子を身ごもる事だけは避けたくて、必死に宰相様の機嫌をとった。


 ただ、そんな私でも、最初の頃は宰相様を説得し続けた。


 こんな事をして何になるのか。

 私をここに閉じ込め続けたら、周囲が異変に気づく。

 宰相様には見合いが控えているのに、屋敷に女性を閉じ込めていては泉国が誤解する。

 私は家族を養わなければならないし、面倒を見るためにも家に帰して。


 けれど、私の説得は全て宰相様に封じられた。


 というのも、元々辞表届けを私が出していた事もあり、宰相様が手を少し回すだけで正式に退職扱いになったという事。

 家族には、宰相様から私が別の仕事に就く事になり、その仕事場に単身赴任で行くことになったと説明した事。

 幼い兄弟達の面倒は、宰相様の信頼おける方が見ているという事。


 だから周囲が異変に気づく事はないと言われた。


「まあ、あいつだけは五月蠅かったがな」


 あいつ――それは、侍従長様だ。

 あの方は最後まで私の行方を知りたがって宰相様に詰め寄ったと言う。

 しかしそれ以上の事は教えてもらえなかった。


 また、泉国との事についても私の訴えは全て流されてしまい、結局私の説得は全て封じられてしまった。


 ただ、それでも私は諦めていなかった。

 泉国の王妹の為にも、私は絶対に宰相様から離れなければならないのだから。


 しかしこれといった打開策はなく、一週間、一ヶ月。

 無為に時は過ぎ去り、私は日々宰相様に体をむさぼられ続けた。

 そしてそれに慣れてきた自分も居た。

 最初こそ激しさを増したが、次第に労るような抱き方となり、抵抗さえしなければまるで恋人同士の逢瀬かとも錯覚する夜の時間。


 毎日届けられる贈り物に心は動かされずとも、宰相様の訪れに反応する私は酷く現金なのだろう。

 いつまでもこの時間が続いて欲しい。

 たとえ終わりが待っているとしても、気づけばそんな事を思っていた。


 だから、バチがあたったのだ。


 離れに閉じ込められてから二ヶ月目。

 その夜、宰相様は離れに来ることはなかった。

 付けられている侍女に聞けば、王宮での仕事が長引いているとの事だった。


 しかし、その次の日も、そのまた次の日も宰相様は来なかった。

 次の日も、次の日も。


 気づけば、二週間が経過しようとしていたその日、聞き覚えのない声を耳にした。

 離れの窓からそっと外をうかがえば、侍女姿をした少女が数人。

 私に付けられた侍女ではない事から、別邸自体に勤めている侍女達だろう。


 年頃の少女達に特有などこか軽めな明るい雰囲気を漂わせ、噂話に興じていた。

 私に付けられた侍女達は、必要の無い事は話さないように言い含められているせいか、殆ど会話が成り立たない。

 しかも、私の部屋にも必要な時以外は立ち入ろうとせず、私は常に孤独に苛まれていた。


 それもあったのだろう。

 夜の宰相様の訪れが、次第に嬉しく心待ちになっていったのは。


 それにしても、ここに近づく者達は珍しかった。

 元々この場所に用のある様な者は居らず、下働きでさえ近づかないとされていた場所だ。


 話に夢中になり過ぎて迷い込んでしまったのかもしれない。


 と、その話の内容が分かるほど侍女達が離れに近づき、私は耳を澄ませた。

 その時、なぜ姿を隠したままにしたのかは後になっても分からない。

 ただ、何かの予感があったのかもしれない。


 私の耳が、それを聞き取った。



 泉国の王妹様が――。



 驚き目を見開いた私がその言葉を脳裏で反芻するも、理解する間もなく耳は新たな言葉を拾っていった。



「本当にお似合いよね、宰相様と泉国の王妹様は」

「ええ、まさしく一枚の絵画。歩く絶景。あれほど美しいお二人はいらっしゃらないわ」

「あら? 陛下は美しくないの?」

「陛下は美しいけれど、王妃様がね~、なんか残念って感じだし」

「はは、言えてるわね」

「どうしてあんな平凡な王妃様を迎えたのかしら。私の方がよっぽど美人なのに」

「はいはい、あんたの文句は後で聞くから、今は宰相様の事よ」


 くすくすと侍女達の笑い声が木霊する。


「宰相様は王妹様と結婚なされるのかしら」

「もちろんするでしょう! あれほどの仲の良さだし」

「もう、出会った瞬間互いに一目惚れしたっていうか」

「いや、絶対にしてるわよ! 二週間前の初めての顔合わせの時にはしばらく見つめ合っていたもの」

「周囲もかなり乗り気ですものね」

「特に、泉国側がもう宰相様を気に入って凄いみたいだし、これは確実に結婚すると思うわ」

「という事は、王妹様が私達の奥様になるのね」

「そうね~、でもあの方なら是非とも仕えたいわ!」

「あれほど美しくて優しい方はいらっしゃらないわ……自国でも聖女様って呼ばれているらしいけど、あの方は本物の聖女様よ」

「ああ! 早く宰相様と結婚してくださらないかしら」


 感極まったように騒ぐ年少の侍女に、年長の侍女が呆れたように言う。


「というか、いくらお二人がご結婚されても、王妹様が住まわれるのは王宮の本宅でしょう? 別宅の侍女である私達がお側に行く事は出来ないわよ」

「えぇ~!」

「まあ、別宅の侍女達ってようは本宅に勤める事の出来なかったあぶれ者って感じだしね」

「あ~あ、落ちこぼれは辛いわね」

「何よ! 私、絶対にあの美しい王妹様の侍女になってやるんだから!」

「はいはい――て、やばっ! 話しているうちに変なところまで来ちゃったじゃないっ」

「げっ! ここって、あの立ち入り禁止区域の?」

「そうよ! しかも入った事がバレたらお目玉だわ!」

「なんで立ち入り禁止区域なの?」

「知らないわよ! おおかた、何かやばいものでもあるんじゃないの? まあ貴族なんてやばいものの一つや二つは抱えているって言うし」

「それこそ、妾とか」

「そんなわけないでしょ! 居たとしても、遊び女じゃない? けど、王妹様と結婚されるんだもの! すぐに放り出されるわよっ」


 哀れね――。


 まるで私が聞いているのを知っているかのような言葉だった。


 私は動けなかった。


 宰相様は既に王妹様と出会っていたのだ。

 という事は既に見合いは行われたのだろう。


 いや、それよりも驚いたのは、それらを私は全く知らなかったという事だ。

 知らないまま、ずっと逃げ出す機会を探っていた。

 違う――探っていたんじゃない、このぬるま湯に浸かっていただけだ。


 少し強く言われて宰相様への説得を諦めて、その後は逃げ出す機会を伺うと良いながら、私はこの生活を少しずつ受け入れ始めていた。

 外と切り離され、全ての喧噪とは無縁のここで、夜ごと宰相様を受け入れる日々を、いつしか心地よく感じていたのだ。

 だからこそ、私は今もここに居るのだ。


 王妹様と宰相様がとっくに出会った事も知らずに。


 二週間――。

 それは、宰相様が私のところに訪れなくなった日の始まりである。


 なぜ宰相様が来なくなったのかと怯えていた。

 けれど、それも当然だった。

 宰相様はその日に王妹様と出会い、そして恋に落ちたのだ。

 侍女達が言っていたではないか。

 互いに一目惚れし、とても仲が良いと。

 周囲が乗り気で、泉国は宰相様をとても気に入っていらっしゃる。


 二人は、結婚される。


 そして王妹様は王宮の本宅に住まわれるのだろう。

 それを思えば、直接顔を合わせずに良かったと思う。

 もしここが本宅、または王妹様が別宅に招かれていればいつか顔を合わせてしまったかもしれない。


 いや――もしかしたら、宰相様はそこまで考えていたのかもしれない。

 王妹様の心を傷つけない為に、私を別宅に人知れず囲い、王妹様を王宮の本宅へと迎える。

 確かに警備の面を考えても、その方が断然良い。


 そう、王妹様は私と顔を合わせることはない。

 しかし、それにホッとしたのもつかの間。


 王妹様と顔を合わせる事はないとなれば、私の存在を王妹様が知る可能性は少ない。

 いや、誰かが吹き込むかもしれないが、あの宰相様の事だからそういう可能性にも手を打っているだろう。


 それに、宰相様は王妹様を迎えてからこちらには一度も訪れていない。

 きっともう二度と来ることはないだろう。

 偽物よりも本物。

 安いものよりも高いもの。

 貧乏文官よりも、美しい聖女の様な泉国の王妹様を選ばない男性など居ない。


 私は近いうちにここから出される。


 流れる涙を無視し、私は喜んだ。


 あるべき流れに戻るのだ。


 この場所の事は全て夢。


 そう、不相応な夢だったのだから。


 私は最初から最後までセフレ以外の何ものでもなかった。

 妾にすらなれない、ただの抱き人形。

 けれど、それが私の選んだ道であり、その結果だった。


 私はここを去る。

 そして今度こそ、宰相様の下から姿を消すのだ。


 長く離れている幼い兄弟の顔を思い浮かべ、未来に思いを馳せる。

 その未来が、どれも暗く閉ざされている事に目をつぶって――。


 実際、未来は塗りつぶされていた。

 更に一週間後、宰相様は私の居る離れを訪れた。


 そして、何事もなかった様に私を求めたのだ。

 それに驚き、けれど怒りを覚えて私は抵抗した。

 当然驚いた宰相様は私を押さえつけたが、私のいつにない激しい抵抗には手を焼かれていた。

 その優勢に私が調子にのったのがいけなかった。

 王妹様がいるにも関わらず、私を求める宰相様に私は恥知らずと叫んでいた。

 そうしてついつい、私が離れの側まで来た侍女達から話を聞いた事を口にしてしまった。

 程なく、私は自分が大失敗を犯した事に気づいた。


 宰相様は何も言わず離れを出られ、小一時間もせずに遠くで騒ぎが起きた。

 怯える私に同情したのか、侍女の一人が小さく囁いた。


『気にしてはなりません。あれは、当然のことです。ただ、命を奪われずに追放されただけ温情と思うべきなのです』


 私は問題となった侍女達が追い出された事を知った。

 私の不用意な一言のせいで、侍女達を路頭に迷わせた事実に怯え、悲鳴をあげた。


 なんという事をしてしまったのか。

 と同時に、宰相様の恐ろしさを再度認識した。


 ただ彼女達は噂話をしていただけだ。

 誰だってするもので、ただそれに集中しすぎて離れにまで近づいてきてしまっただけ。

 それに彼女達は真実を話していただけだ。


 それは、宰相様と激しい口論をした時にしっかりと確認出来た。

 宰相様は王妹様を酷く大切にされている。


 だからこそ許せない。

 王妹様を裏切る行為が。

 そして、王妹様という愛しい相手がいるにも関わらず、戯れに私に手を出す事が。

 いや、私は自ら戯れの関係を結んだ。

 けれど、愛する相手が出来るまでという期限での契約だった。


 その関係は終わった筈なのに、いまだこうして宰相様に囲われ続ける私。


 間違いは正さなくてはならない。


 気づいた時、私は外に出ようとしていた侍女を突き飛ばしていた。

 そして侍女の悲鳴が上がる前に私は外へと飛び出した。


 離れの場所が、果たして別宅のどの位置にあるのかは分からなかったが、とにかく外に向かって走り出す。


 運が良かったのだろう。

 別宅に、王妹様が訪れた時に抜け出せたのが。

 泉国王家の紋章の入った馬車から降りてくる王妹様の姿を遠くから見た。

 そして、皆がそちらにかかりきりになっている時に、私は外へと向かって走り出した。


 最初に考えたのは幼い兄弟達。

 彼らを連れて、逃げなければ。

 ここから、この国から。


 ただ、それは酷く難しいだろう。

 逃げ出す為の資金集めはどうしたらいいのか。


 そして、どうやって隣国まで逃げだしたらいいのか。

 隣国に抜けるにしても、あの方の影響が及ばない場所なんてこの国にはない。


 絶望しかない未来。

 いつしか空は灰色の雲で覆われ、豪雨が降り注ぐ。

 逃げ切れるかすら分からない逃亡だが、もう私に後戻りは出来なかった。

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